ワンハンドレッドバナナ
およそ一年ぶりに休みが取れたので、インターネットのニュースが言っていたバナナフェスタに参加するために新幹線に乗った。一時間も経たないうちに県境を幾つか越えて、バスを乗り継いで海辺の町に到着する。
右足を労わって、バスを降りた辺りから、昨日出張に行っていた土曜日の渋谷に負けずとも劣らず人が湧いていて、老若男女が賑やかに集まっていた。少し歩くとバルーンでできたアーチがあり、そこにはネットの写真通りに「朝倉バナナフェスタ2015」と掲げられていて、その下をひっきりなしに人が通っている。僕もその会場へ入っていく人の流れに乗ってアーチの下をくぐると、葛飾北斎風の波の絵にバナナが浮かんだ、社会人サッカーチームのユニホームを着たお姉さんが、強引にパンフレットを押しつけてきた。都会での営業活動で鍛えた、人ごみの中でも歩きながらぶつからずに書類を読む技術を駆使し、パンフレットに目を通す。
長崎県の朝倉という町は、意外と知られていないが海バナナの名産地である。
海風に吹かれて育ったというそれは、毎年夏の初めに収穫されて一度海中に浸けられる。その後、今日のような雲ひとつもないような夏の真っ最中に引き上げられて海外に輸出され、バナナパエリアやフィッシュアンドバナナチップス等の料理へと変貌する。もちろん、そのまま食べても問題ない。塩分が弱い、ただの甘いバナナに関しては、専用の機械で選別され、日本のスーパーでフィリピン産と偽って流通するのだ。
果実と塩分を掛け合わせる手法は、昔からよく使われていた。ご存知の通りスイカに塩をかけると甘みが引き立つという化学技術である。その、塩を振りかける行為を消費者にさせるのではなく、生産者が事前にしてあげておこうというおもてなしの心が、海バナナを生んだのだと、パンフレットには記載されていた。
会場は南北を四百メートルにわたって横切るメインのストリートから、碁盤の目のようにサブのストリートへと、あちこちの横道から移れるようになっていた。少し不自由な右足を引きずって歩くには骨が折れそうなほどの規模で、この場所に出店している出店の全てが、バナナを扱った店だというのだから驚くばかりである。
まず、近くで何かを買おうと思った。朝早くの新幹線にギリギリで飛び乗ったために、何も食べていなかった。そうめんのように、一本だけ赤く熟れたバナナの房の叩き売りをしている賑やかなブースの横で、客が入らずに苦々しげな表情を浮かべている店員がいる店に入る。店員の顔が少し綻んだが、僕は顔をしかめた。営業で培った批判的な目が発揮され、売っている物を見て何故売れないのか理解したからだ。店主からバナナを買う。客がむく。色々なソースがアルミの容器に入っており、二度漬け禁止のルールのもとに客が自分で漬けていく。それがいけない。パンフレットに載っていた、海バナナが生まれた経緯を思い出してほしい。そこには、消費者が果実に調味料をつける行為を省く、おもてなしの心から生まれたとあった。この店の販売方式では、海バナナの存在意義が否定されてしまう。だからこそ売れないのだ。
休みであるにも関わらず、仕事の癖が自動的に発揮されていることに若干の絶望を覚えながらも、チョコレートソースに一度浸かったバナナを口に運んだ。苦めのチョコレートに、甘さ際立つ海バナナがよく合う。いつか、子供の頃に食べたものと同じ味がした。ああ、あれは海バナナだったのかと、お腹をさすり、一人で納得する。
子供の頃、僕は大食漢だった。眼に入るものなら何でも食べた。それは、運動をしていたからだが。葛飾北斎風の波の絵にバナナが浮かんだマークの右下にジュニアと書かれたユニホームに身を包み、フォワードとしてコート内を走り回っていた。練習が終わると、家に帰り、まずはバナナを食べる。一本じゃない。一房である。右手で上手いこと皮をむき、左手で口に運ぶ。手品のように喉の向こうに消えていった。時々見かける、赤いバナナは幸せのバナナだと心の中で呼び、慈しんだ。中学校に上がる前の夏には町内会のわんこバナナ大会に参加し、見事お椀に盛られたバナナを百杯食して、優勝を勝ち取れた。友人からは、僕が一旦お椀の中で潰して飲み込むという手法をとったことから、バナナプレッサーというあだ名をつけられ、それは大人になった今でも変わらない。
中学の時にバナナのおかげか、ますますサッカーにのめり込んだ僕は、高校から特待生として声がかかり、サッカーの名門校に上がる。
かつてのことを思い出しているとドンっと、誰かとぶつかってしまった。目の前では、わんこバナナ大会をやっていて、参加を募る係員に肩をぶつけたのだ。キッと係員の男性に睨まれた後に、瞬く間に強引にステージの上へと引っ張られる。見物客から見て、右端の席に座らされた僕は、緊張と係員を恨む心が沸き起こる反面、高揚感もあった。かつての自分と比べ、どれほどの記録を出せるのか。純粋に興味が湧いたのだ。しかも、優勝者には、塩対応ながらも、その中に垣間見える甘いオーラが話題のアイドルとのハグ。頑張らないわけにはいかない。
司会者が高らかに始まりを告げる合図をして、目の前のお椀にバナナが盛られた。すぐさま潰しにかかる。そして飲む。数杯繰り返すと、頭の中がバナナで一杯になる。駄目だ。余計なことは考えちゃいけない。何も考えるな。考えるな。考えなければ良かったのに。ああ、駄目だ。考えちゃいけないということを考えている。ということを考えている。
両手で数えられる程度を飲み込むと、口からバナナを思い切り噴き出して、頭の中が真っ白になった。
高校二年の時、右足を折った。その時と同じく頭が真っ白だった。相手チームのフォワードの、怪我をさせるためのスライディングをまともに受け、しかし、審判は見ておらず、プレーは続行。怪我した直後に病院に行っていれば良かったのだが。九州大会への出場を決める大会には出場できなくなってしまった。足には若干の後遺症が残り、今でも走るのはぎごちない。学校から今までちやほやされていたのが、すぐさま冷ややかな目に変わり、アイドルの塩対応とは比べ物にならないほどの冷ややかさ。部活も精神的に追い込まれて辞めさせられた。あんなにエースとして、休みなく働いていたにも関わらずである。僕は放課後海辺を彷徨った。休日にはバスを乗り継ぎ、新幹線に乗って、土曜日の渋谷の街でバナナシェイクを飲みながら、真っ白に歩き回る。何かを深刻に考えながら。
気がつくと、僕はベンチに横たわっていた。手には赤いバナナを握らされている。きっと、わんこバナナの参加賞だろう。僕はそのバナナを右手に持って、片づけを始めた海辺の、バナナフェスタを開催していた町を歩く。何かを深刻に考えながら。
明日からまた仕事が始まる。ここで今度は見捨てられないだろうか。駄目だ。考えちゃいけない。ということを考えてしまう。
僕は右手を高く上げて、レッドカード、と叫んだ。誰かが僕を見て笑った気がする。そのことに満足をして、また僕はバスを乗り継ぎ新幹線に乗った。車内で食べた赤いバナナは甘さが際立って美味しかった。