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ねえ、人形売りの少女のうわさ、知ってる?  作者: 和田喬助
第二話 『掴まれた右腕』
9/29

 桜子を家に誘っただけあって、部屋の中は片付いていた。

 男の一人暮らしなんて、どうせ服は脱ぎっぱなしでゴミが床に散乱しているような目も当てられない状態になっていると思っていた。だが、このマンションの一室は、部屋の中心にローテーブルがあってソファもあり、三十インチの薄型テレビとストーブが置かれた、とてもすっきりしたリビングとなっている。

「自分の趣味は、全部隣の部屋にぶち込んだ」

 スーツを脱いでスウェットに着替えてきた雄武先生は、自慢するように言った。

「てっきり、あなたの部屋かなり汚れてると思ってたから、掃除するぞーって覚悟してきたんだけどなぁ……」

 桜子は、雄武先生が買ってきたお酒をキッチンの冷蔵庫に入れた。お互い深酒するため、缶のお酒が所狭しと並んだ。ついでに冷蔵庫の中身をチェックしたが、野菜は全くなく、消費期限が昨日切れた生姜焼用のアメリカ産豚肉が三切れ入っている。後は、卵が二つとカレーとシチューのルーの箱が一つずつ、調味料各種、ウインナーがあった。

「先生、かなり栄養が偏った食事してるのね」

 ローテーブルにおつまみを並べている先生を、彼女は首を伸ばして心配そうに見た。

「冷凍庫を見てみろ」

 先生はこちらを見ないで答えた。

 冷蔵庫下部の冷凍庫を開くと、ほうれん草、ブロッコリー、一口大のカボチャがぎっしり入っていた。

「なんだ、ちゃんと野菜は食べてるんだ」

 案外、桜子よりも健康的な食生活をしているかもしれない。彼女は、週に三日はスーパーの弁当だ。

「森くん、先にシャワー浴びてきたらどうだ。ビールが冷えるまで時間かかるし、その間に済ませたらいい」

「あれ、一緒にお風呂入るんじゃないの? あたし、ちょっと期待してたんだけど」

 リビングに戻ってきて、先生の向かいに座った。あぐらをかいて頬杖を突く。

「それは……まあ、いいが。シャンプーやボディーソープは男物しかないぞ?」

「ご心配なく。ちゃんとあそこに入ってるわ」

 桜子は、部屋の隅によけられたエコバッグを指さした。ベージュの生地に、横に紺色の鎖状の模様が入っている。ここへ来る前に、一度家に寄ったのだ。

「分かった。今、お湯を入れてくる」

 ドアを開けて、浴室に通じる廊下に消えた。

 五分後、リビングに戻ってきた。

「風呂掃除してお湯を入れてる。二十分くらい待てば大丈夫だろ」

 ふーん、と桜子は返事し、勝手にリモコンでテレビをつけた。次々とチャンネルを変え、世界で起きた珍事件をまとめた番組に落ち着いた。そして、ケータイをいじりだす。

「それが分からないんだ。それが」

 いきなり、つつくように先生は言った。

「何が?」

 きょとんとした顔を上げて彼を見る。

「テレビをつけてるのにケータイをいじってるのが、俺には理解出来ん。せっかくつけてるのに、番組の内容、ちっとも頭に入らないんじゃないか?」

「いいのよ、別に。聞き流すだけでいいの。BGM代わりよ。あなたの家、音楽再生機器が何一つないんだもん」

「音楽を聞くのは趣味じゃないからな。カセットもCDも持っていない」

「先生、古い。音楽は、ネットでダウンロードして聞く時代よ」

「そんなの知るか。ネットなんかなくても生きていける」

「人生損してるなぁ。服もバッグも、食料品でさえもパソコンで簡単に買えるのに」

「商品は、直接目で確かめて買う主義だ」

「アクティブね。どうせ車や自転車を使わないで走って買い物してるんでしょ」

「まあ、通勤や遠出以外は車も自転車も使わないな。節約になるし、健康的だ。君も歩きなさい」

「いやーよ、面倒くさい。家にずっといて音楽聴いてたりアニメ見てたりする方が楽しいし」

「……俺たち、何で付き合ってるんだろ」

「知らない。先生が告ったんでしょ」

 その後、ダラダラとテレビを見ているうちに、お湯が張られたアラームが鳴った。そして、着替えを持つと、二人して浴室に向かった。


 スウェットに着替えてから行くね、と桜子はリビングにとどまったため、雄武先生は先に服を脱いで風呂に入っていた。浴槽から洗面器でお湯をすくって肩にかける。

「熱っ」

 二人で話をしながら過ごしていたらお湯がぬるくなってしまうと思って熱めに入れたのだが、やはり最初は熱い。しかし、彼の分厚い皮膚がそれを少し和らげてくれている。がまんすればなんとか入っていられる。

 五分くらいして、さすがにがまんできなくなった。時間がもったいないから、先に頭と体を洗ってしまおう。体の上から下に順番に洗っていく主義だから、頭、顔、体の順を毎日守っている。

 ひげを剃っていると、背後の戸がガラッと開く音がした。ペタッペタッと彼の横まで来ると、シャワーのノズルを勝手に取って体にかけ始めた。

 顔を横に向ける。女の子らしくちょっとだけプクリと膨らんだお腹が、顔と同じ高さにあった。肋骨がわずかに浮き出ている。

 ノズルを戻すと、背を向けて右足を浴槽に入れた。「熱っ」と先生と同じ反応をする。お尻はキュッと締まっていて小さいけれど、初めて触った時はお餅のように柔らかく、かつ若々しい筋肉の厚みも奥の方に感じてビックリした。

 桜子は、先生と同じ方角を向いて座った。熱さをがまんしているのか、全く動こうとしない。顔も強張っている。

「熱すぎでしょ。水入れるよ?」

 そう言いつつ、先生の言葉を待たずに蛇口をひねった。ドジャーと音をたてて浴槽に混ざっていく。

「そんなことしたら、最後の方ぬるくなるぞ」

 洗顔クリームを泡立てながら口を尖らせた。

「追い焚きすればいいじゃん。出来るよね?」

「まあ、出来るが、色々もったいないだろ」

「あるいは、お互いくっついて浸かっていれば……いいでしょ?」

 桜子は、こちらに向けていた顔をそむけた。顔が赤くなっているのは、お湯が熱いのか、それとも……。

 ボディーソープを泡立てた布で体をこすっていると、

「もう無理! のぼせる!」

 急に彼女は立ち上がり、両足を先生の方に投げだして浴槽のふちに腰かけた。見ると、肩から下が、はっきり分かるくらい赤くなっている。

 彼にとって気になって仕方ないのが、桜子と互いに裸で急接近していることだ。頭から足まで、彼女の体の正面を直に見られる、というか見えてしまう。

 胸は、いわゆるお椀形というタイプで、まるでお椀をひっくり返したような形をしている。最初見た時は、整っていてなんて綺麗なんだろうと、その輪郭をなぞりながら見入ってしまった。そして、今も体にシャワーをかけながらチラチラと彼女の胸部を見ている。

 彼女は特に自分の体を隠していない。別にこれが初めてのお披露目ではないし、彼に触らせてもいる。今さら見られなくする必要はなかった。

 イスを変わると、桜子も先に頭を洗い始めた。先生を真似しているつもりはないらしく、子どもの時からそうしているという。

「ショートヘアーってこんな時便利なのよねー」

 髪を洗っている時やドライヤーで乾かしている時、一度つぶやいたことがある。

「君は、ロングヘアーの方が似合うと思うんだがなぁ……」

 彼はよくそんなことを打診しているけれど、まるで聞く耳を持ってくれない。あたしのことはあたしが決める。そう言われると、それ以上はなにも反論出来ない。

 全て洗い終わると、桜子も浴槽に入ってきた。彼女の体積分水かさが増え、お湯が漏れでていく。一リットルくらいは流れたな。先生はそう思った。

 桜子は、背中を彼の正面に預けてきた。彼女のお尻と肩甲骨が触れ、お互いの足が絡み合う。

「あっ、先生興奮してる」

 振り向いて面白そうにニヤリと笑った。

「うるさい。前を向いてろ」

 彼の下半身は、彼女の裸に反応している。吐き捨てるように返事した。

 それから五分ほどお互い黙って浸かっていた。その沈黙を破ったのは、桜子だった。

「ねえ、結婚って考えてる?」

 警戒するように、彼女は尋ねた。

「さあな。俺は一回結婚と離婚を経験してるから、どうしても慎重になってしまう」

 ふう、とため息をついた。息が桜子の後頭部にかかる。彼女の頭と肩が、くすぐったそうに少し動いた。

「あたしは、もう準備できてるよ。なんなら、この仕事すぐに辞めてもいい」

「簡単そうに言うが、経済的なことも少しは考えろ。平教師の給料で二人分食えると思うか?」

「バイトするもん。コンビニ店員でもスーパーのレジ打ちでもやるから」

「元教師なら、家庭教師や塾講師の道があるじゃないか。せっかくの教職免許と経験が泣くぞ」

「それに、先生もいい年なんだから、管理職になったらいいじゃない。教頭や校長、あなたにあってると思うけど」

「なりたいのは本音だが、教頭か校長の推薦が無いと試験を受けられないからなぁ。俺、人徳ないし」

「ホント、それね。先生、いい意味で熱血だから」

「悪い意味で言ったら?」

「強情で面倒くさい」

「彼女にそう言われると、考えなおさなくちゃいけないなって思うよ」

「どうせ直す気ないでしょ? 性格だもの」

「まあな」

「待ってるから。先生が決めるのを」

 余裕たっぷりな笑顔を、彼に向けた。


 特に祝うことはないがとりあえず乾杯の音頭は取りたいという桜子は、先生の向かいに座って缶を突き出した。

「乾杯!」

 笑顔で缶をぶつけてきた彼女に、彼は真顔の無言で応える。

 桜子は梅サワーを置くと、つまみ代わりのポテトチップスを開けた。いわゆるパーティー開けというやつだ。

 三分の二ほど缶を空にした後、「言っておきたいことがあるんだけど」と切り出した。

「先生、生徒に目をつけられてるよ」

 桜子の言葉に、テレビを見つめていた顔を彼女に向けた。

「つけられてるって? 俺たちのことがバレたのか?」

 半分ほど残っていたビールを、彼は一気に飲み干した。

「ううん、そうじゃなくて。先生がきつく当たってる生徒がいるじゃない」

「男子生徒には平等に厳しく接しているつもりだが……」

「弓道部部長の、深川隼人よ」

 その名前を聞いたとたん、彼は思い出したように「ああー」と相づちした。

「あいつのことか。……まあ、あいつに対しては特別扱いしてるかもな」

「どうして? ずっと前に言ってたじゃん、『あまり目立つ指導はしない方がいい』って」

「今の時代、親御さんの目が異常にギラギラと学校に向けられてるだろ? 一人ばかりに接していると、その親からクレームが来るんだ。俺も何度苦労したことか……」

 ため息をつきながら、二本目のビールを開けた。

「それって矛盾してない? あなた今、深川くんに居残り練習させてるんでしょ? それってまずくない?」

「ああ、あいつの親は大丈夫だ。両親は亡くなっているし、今は祖母の家でお世話になっているそうだ。担任のお前なら知ってるはずだ」

「確かにそうだけど……。最近じゃ、おばあちゃんが学校に駆け込んでくるって話も聞くけど?」

「去年の担任に聞いたら、あいつの祖母は家事洗濯買い物は出来るが、最近ボケ気味らしい。特に気にする必要はない」

「……そこまで彼にベッタリしてるのはなんで?」

「決まってるだろ。実績をつくるためさ。あいつが地区大会優勝、そして全国に行ってくれれば、自然と俺の指導が良かったと上から評価が下りる。そうなりゃ、教頭への道は開ける」

 ポカーンと、桜子は驚きを隠せなかった。こんな身近に、生徒を利用して昇進しようとする者がいようとは……。

「マジか。そんなことを考えてたなんて……。というか、やっぱり教頭になりたいって思ってたんじゃん」

「当たり前だろ。早く、クラス担任なんて面倒くさい仕事からはおさらばしたい」

「だよねー。あたしもそう思ってるとこ」

「お前はまだ最初のクラス担任だろ。そこでくじけてどうする」

「あたしに合ってないのよ。だいたい、色んな生徒の相手をするのが面倒くさい。深川くんみたいなイケメンばかりいてくれたらいいけど、オタクみたいな顔をした男子や、ブスやデブな女子の話し相手になるのは、もう嫌。キモいし疲れる」

 彼女は、早くも三つ目の梅サワーを飲み干した。

「でも、生徒の話しを聞く限り、お前のことを悪く言うやつはいないぞ?」

「当然。皆にいい顔するように振舞ってるもの。その成果あって、一応人気はあるわ。その代わり、それを妬んでいる他の先生には無視されてるけど」

「そんな先生たちのことは放っておけ。どこの職場にも、気の合わない奴はいるものだ」

 返事を待っていた先生だが、桜子は大分アルコールが体を回っているのか、口をつぐんでしまった。そのまま寝てもらっては困る。これからベッドでやりたいことがあるのに。

 三分ほどぼうっとしていると、突然桜子が空き缶を放り出して詰め寄ってきた。

「いい加減、体触らせて! いつまでじらす気なの?」

 正面から抱きついてきて、胸板に顔をこすりつけてきた。彼の顔のすぐ下にある彼女の頭から、シャンプーの香りがする。

 桜子の手は、先生の二の腕に触れていた。感触を確かめるようにこすったり、揉んで硬さを感じたりしている。

 彼は、無言で受け入れた。そろそろいい時間だろうか。疲れて眠ってしまう前に、早いとこ済ませてしまおう。

 先生は桜子をお姫様抱っこすると、ベッドのある隣の部屋に連れていった……。


4へ続きます。

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