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どうしよう。千歳は土日の間ずっと考えていた。
朝起きるたびに、自室の北側のテレビ台の横に置いてある人形がいつの間にか消えていてくれないかと祈るのだが、そんなことはなく昨日の夜と同じようにそこに座っている。
金曜日の夕方に不思議な二人と出会ってから、心の中がもやもやしてグチャグチャしていた。あの人形を使えば、佐緒里を消せる。杏子という少女は、確かにそう話した。
はっきり言って、信じられなかった。人形で呪いをかけるというのは、科学が支配している現代では漫画やアニメでしか存在を許されていなく、今回みたいに突如目の前に現れていいはずがない。
もしかしたら、悪徳商法の一つかもしれない。最初にお金を取らないと言っておきながら、後で「お金を払ってもらわなければ困る」と脅してくるのかもしれない。
制服でお店へ寄ったから、どこの学校に通っているかは分かるだろうし、名前も教えてしまったから、個人情報がばれるのも時間の問題だろう。そのうち、電話がかかってくるかもしれない。
そうだとしたら、杏子やケンの雰囲気は変だと思う。呪いの人形と言ってしまうのはどうなのだろう。千歳は持って帰って来てしまったが、詐欺の入り口としては失敗しているのではないか。
だいたい、人を消せるとは物騒な話だ。つまり、殺すということだろう。
佐緒里のことは、確かに嫌いになった。素っ裸にされて写真を撮られて、いくら引っ込み思案の千歳でも黙っていたくはない。ただ、本人に直接立ち向かう勇気は、ない。
そんな彼女にとって、恨みを晴らしてくれる第三の存在は、魅力的だ。自分が苦労することなく懲らしめてくれるのだから。
うーん、でも消すっていうのは……。
結局、千歳は土日の練習もサボった。ケータイには反応せず、着信が途切れるのを毛布を被って待った。もちろん家の固定電話にもかかってきたが、それには「風邪をひきました」と言ってごまかした。
明日は月曜日だから、学校は行かなくてはならない。そうしたら、嫌でも佐緒里や先輩と会うことになる。そんな時、どんな顔をすればいいのだろう。
「千歳、どうかした?」
お母さんが、キッチンで料理をしながら尋ねた。
「え?」
ハッとしてお母さんを見ると、包丁でザクッザクッと歯ごたえのよさそうな野菜を切っていた。
「ぼーっとして何か考え事? テレビでバレーやってるのに」
そうだ、わたしは晩ご飯ができるのを待ちながらバレー観戦をしていたのだ。
「う、うん。地区大会が近いから」
「でも、金曜日から三日も休んでるじゃない。先輩から何か言われたの?」
さすが母親だ。先輩ではないが、なかなか鋭い。
「もうすぐ先輩引退しちゃうから……。気を引き締めないとって思って」
「ふーん」
お母さんは、それ以上聞いてこなかった。
とりあえず明日、先生にこっそり相談してみよう。きっと佐緒里に気づかれることなく解決してくれるはずだ。写真も、彼女から没収して削除してもらおう。
その日は、もうそのことについて考えることはしなかった。
登校したら、校舎内に自分の写真が貼られていた。
部活で大した活躍はせず、委員会にも所属していない彼女が全校生徒にその名を知られることは、まずない。しかし、その日の朝は確かに登校してきた生徒のほとんどに名前を知られることとなったのだ。
靴箱の横や廊下の掲示板など、校舎の目に付く所にこの前撮られた千歳の裸の写真が貼られていた。
目にモザイクがかかっていて名前はイニシャルだけだったが、同級生が見ればそれが東千歳であることはすぐに分かってしまった。
生徒玄関に入って靴箱の横に貼られたそれを見た彼女は、バッグを手から滑り落とした。辺りを見回すと、写真の貼られている所に男子が密集している。それをケータイで撮影している者もいる。
「コラ! 何やってるの!」
生徒指導の女性教諭が、校舎中の写真を回収している。しかし、それまでに多くの生徒が写真を見ていた。
「あ、いた」
一人の男子生徒が、千歳を指さした。辺りにいる十数人の生徒が、一斉に彼女を見た。そして、逃げるようにその場を離れて自分の教室に帰っていく。
佐緒里の仕業だ。それしか考えられない。千歳はその場で泣き崩れた。喉が痛むほど声を上げ、涙が筋となって流れる。
写真は二枚だった。下着姿と、全裸姿。写真は、目以外一切隠されていない。見られてしまった。大勢の男子に。同級生だけでなく、名も知らない先輩や後輩にも。ケータイにも保存されてしまった。
息をするのが辛いほど嗚咽が漏れる。鼻水や唾液を拭うことすら出来ないほど苦しい。
「ちょっと来てよ」
突然、腕をつかまれて無理やり立たされた。
「体育館裏まで来て」
写真を校舎に貼りまくった犯人だった。
体育館裏まで連れて来られると、手首を引っ張られて地面に叩きつけられた。ゲホッと千歳はむせ返った。
「なんであんた、退部届出してないの?」
咳が落ち着いて見上げると、佐緒里がまっすぐ自分をにらんでいた。
「言ったよね? 退部届出さないと写真を公開するって。あれからもう三日も経っているのよ? 説明してよ」
涙が止まらない。鼻水もどんどん垂れる。やっと拭うことが出来たが、とても顔は綺麗とは言い難かった。
「早くしなさいよ。そんな汚い顔、見たくもないんだから」
佐緒里は、足で千歳の左肩を蹴っ飛ばした。再び嗚咽が漏れる。
一分ほど経って、ようやく彼女は口を開いた。
「……やめ……たくない……」
「そんなの嫌。あんたがいると邪魔」
「……先輩たちが、助けてくれる……」
「ふん、それは思い違いね。皆がっかりして見放してるわ」
「……見放されているのは……佐緒里よ……」
だんだん怒りが湧き起こってきた。
「はぁ!?」
「……佐緒里は、いつも自分勝手……。先輩たちは……、良く思ってないわ」
「ふ、ふざけんじゃないわよ」
「……きっと、先輩たちは佐緒里が間違っているって言ってくれる……。絶対……」
「調子に乗るなよ!」
佐緒里は千歳を平手打ちした。地面に倒れ込む。
「あんたみたいなノロマに、誰がついてくるって言うの? 千歳は邪魔。それはあたしたちの共通認識なのよ」
「……そんなこと、ない!」
ケホッと咳こみながらも、震えるひざに手を当てながら立ち上がった。
「……いつも、励ましてくれた。わたしを、心配してくれた。だから、今回も助けてくれる」
「ゴタゴタ言ってないで、消えなさい! あんたはバレー部に必要ないわ」
その時、千歳は佐緒里をにらみ返した。
「……いいえ、消えるのはあなたよ、佐緒里。わたしはあなたを決して許さない。わたしをどん底にまで落として恥ずかしいことをさせたこと、絶対許さない。あなたが生きている限り、わたしは一生怖い思いをして生きていかなくちゃいけない」
佐緒里は、それまで見せなかった千歳の目にたじろぎ、一歩後ろに下がって距離をとった。
「許して、佐緒里。わたしは、あなたに復讐したい。だから、汚い手を使うかもしれない。わたしはあなたを許さないけど、あなたはわたしを許して」
お願い。
そう言い残すと、千歳は朝日で出来た自分の影を引きずるようにして、その場を去った。玄関に戻ってバッグをとると、校舎には入らず外へ出て校門をくぐった。
帰った後すぐ、千歳は人形に佐緒里の名前を書いた紙を貼り付け、北側のテレビ台に置いた。それから、夕方に母親が帰ってくるまでベッドに潜った。
三日後の放課後、北見拓也は図書委員として返却された本をカウンターで項目ごとに整理していた。
この学校には読書家が多いようで、そのうちの六割を小説が占めている。後の三割は漫画で、一割は参考書などの専門書だ。冊数もなかなか多い。
作業を始めてから本棚に戻すまで、真面目にやっていれば一時間以内に終わる。しかし彼は、新聞部が発行した記事の白黒コピーを読みながら作業していた。他に当番の図書委員はいないし、先生もいないため、のんびりと仕事ができる。おそらく三十分は余計に時間がかかるだろう。
『二年生女子失踪か!?』という大きな見出しの横に数行の概要があって、そこから一行開けて長々とA3用紙いっぱいに記事が続いていた。一番左下に、香田佐緒里の顔写真が載っている。
彼女で、この街から失踪した人数がちょうど十人となる。しかも、旭高校から初の失踪者となってしまった。三日も家に戻っていないし連絡も取れていないという。
この記事を書いた部員はどこから情報を仕入れたのかと読み進めたら、彼女が所属していたバレー部の同級生から住所を聞き出し、直接母親に話を聞いたらしい。
ガラッとドアが開いた。ふと顔を上げると、顧問の先生だった。そっと記事を仕舞う。
「北見くん、明日は当番じゃないけど、放課後少しだけ委員全員集めて話しをしたいから来てもらえないかしら」
あと一年で三十歳になる東川先生は、図書準備室のカギを開けながら言った。
「はあ、まあ用事は特に無いからいいですけど。何か大事な話ですか?」
「明日、新しく委員になる子がいるから紹介したいの」
「へえ、帰宅部だったんですかね」
「ううん、つい最近までバレー部に入っていたけど、自分に向いていないから辞めたんですって」
先生は、準備室から新たに学校が購入した書籍を十冊持ってきてカウンターに置いた。それらの整理を彼に頼むつもりなのだろう。
「二年生の、東千歳さんよ」
第一話は終了です。第二話へ続きます。