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昨日はあんなに晴れていたのに、今日は一面の曇り空だ。いつ雨が降ってきてもおかしくない。あまり気持ち良くない朝だ。日差しが直接届かないので、秋の初め頃のように涼しい。
千歳は一人で大通りを歩いている。隣街とこの街をつなぐ大きな道路のため、様々な車がひっきりなしに行きかう。特に大型トラックが多く、それらが通るたびに排気ガスが辺りに立ちこめ、思わず口と鼻をふさぐ。
通学路になっているせいか、同じ学校の生徒の姿を多く見かける。友達と二人で歩いている者や、恋人と歩いている者が目立つ。それぞれ、昨日見たテレビやドラマ、ネット上の動画の話で盛り上がっている。千歳のような一人で歩いている者を除いて。
本当はこんな道なんて歩きたくないのに。彼女は常々そう思っている。
千歳の家からは、住宅街を通って行った方が十分くらい早く着ける。しかし、一年ほど前からこの街で謎の失踪事件が起き始め、一応安全のためにと人通りの多い道での通学を、学校が呼びかけているのだ。だから、わざわざこうして遠回りしている。毎週月曜日には、先生やPTAが街頭に立つ。今日はその姿は無い。
こうして歩いていると、不安が尽きない。なぜなら、バレー部の誰かがいる可能性があるからだ。
絶対わたしの悪いうわさをしているに決まっている。そんな場面に立ち会いたくない。
開いた口がふさがらないとは、このことなのだと思った。
上靴の中に、大量の画びょうが入っている。どちらとも山盛りだ。
なんでこんな所に画びょうが……。危険なものだからと、教室から撤去されて職員室の先生の机にしかないはずなのに……。
あるはずのないものが、ここにある。それが疑問であり、不思議だった。
「まさか……」
こんなこと、アレしか考えられない。力の強い者が弱い者を抑えつけ、抵抗しようとしても阻止され、助けを請おうと声を出すことができない。力が強いくせしてこそこそと隠れてやるものだから、余計にたちが悪い。強い者は、それに快感を覚え、自分の存在意義を証明する。
いじめだ。千歳はそう確信した。
とにかく、この画びょうを隠さないと。頭はすっかりパニックになっていたが、次々と他の生徒が登校してきている中、これを見られたくはないと思って行動することは出来た。
ゴミ箱に捨てよう。まず、外靴を仕舞い、そっと上靴を持ち上げた。画びょうでも、靴の中に敷き詰めるように入っているとなかなかの重さになる。その重さの変わりように少しビックリし、手を滑らせた。
「ああ……!」
派手に音を立てて玄関にばらまいてしまった。慌ててそれを拾う。心臓がバクバクと大きく鼓動し、体が熱くなってきた。脇にはすでに汗をかいている。額にも汗がにじんできた。
上靴を落とした瞬間を見られたらしく、外から三人ほど玄関のガラス越しに覗いている。顔立ちが若いから、おそらく一年生だろう。ほとんど拾い終わって千歳が彼らの方を見るとそっぽを向き、獲物から逃げるウサギのように素早く視界から消え失せた。
「はあ……」
朝から気持ちがピンと張り詰めて疲れた。コンビニで買ったお昼用のサンドイッチをカバンの中に移し、空いたビニール袋に画びょうを全部入れた。底に針が刺さっていくつも穴が開いてしまっているが、破れることは無さそうだ。固く口を縛って、玄関掃除用の道具が入ったロッカーの隣に置いてあるゴミ箱に投げ入れた。
半開きになっている靴箱の扉を閉めた。元々閉められていたから、画びょうを盛られたことを知っているのは、自分と犯人以外いないだろう。
これからどうすればいいんだろう……。何も分からないが、とりあえず教室へ行くしかない。休んだら、目立ってしまう。いつも通り過ごすしかない。
あんまりひどいようだったら、先生に相談しよう。
そう決めて、二階への階段を一段一段ゆっくり上がっていった。筋肉痛のせいか、足が重い。
階段の上から、誰かが話しをしながら下りてきた。再び心臓が鳴り出す。もしかしたら、犯人かも。だとしたら、一体何を言われるか。こちらは何と答えればいいのだろう。きっと何も言えないだろうなぁ……。
だが、下りてきたのはほとんど話したこともない同級生の女の子三人だった。昨日のテレビ番組の話しをしている。
「それでね、人形に恨みを晴らしたい人の名前を書くと、早ければ次の日の朝には書かれた名前の人が行方不明になっちゃうんだって」
「えー、それって人形に呪われたってこと? 怖い~」
「正確には、呪いを込めた人に殺されたのよ。人形に、殺してほしい相手の名前を書いた紙を貼るといいらしいわ」
「あんた、何でそんなに詳しいの? まさか、もうすでに誰かを呪っちゃったー?」
キャー! と二人が笑う。そして千歳の横を通って行く。
「ネットで調べたのよ。今話題なんだから。昨日、今この街で起きている連続失踪事件もその人形のしわざかもってスレッドが立てられてた」
「マジで!? あたしも呪われるかな。どうしよう……」
「大丈夫よ。そうさせないように私が守ってあげる。呪いの解き方を色々調べてるから」
ありがとうー! という言葉を最後に、彼女たちは階段を下り切って角を曲がって行った。
ああ、昨日のあの番組か。いいなあ。……ん?
いけない、いけない。千歳は階段を上がり切ると、すでに登校しておしゃべりしている人たちの間を縫って、廊下の一番端にある教室へ歩いて行った。
結局、その日は画びょう事件以外何も起きなかった。部活もいつも通り始まって、決まった時間に終わった。今日、佐緒里は「ドンマイ!」という言葉以外千歳に絡んで来なかった。その言葉でさえ、マニュアル対応をする店員のような雰囲気を感じさせた。
4へ続きます。次回も事件がおきます。