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 午前0時。

 田舎街だから元々それほど騒々しくない住宅街だが、この時間になるとほぼ無音となる。たまに車の走る音がするだけだ。今日は風もなく、街路樹を揺する音もしない。

 拓也は、自室の机に人形を置いてながめていた。それは、昨日の夜に杏子という人形売りの少女から買ったものだった。真上、横、そしてひっくり返して後ろ姿を調べて感触も確かめたが、いたって普通のお姫様人形だ。

 こんな人形で、本当に人を呪い殺せるのだろうか。とてもそうは見えない。小さい子どもの遊び相手にふさわしい可愛らしい見た目が、その疑いを深くする。

 机の引き出しを開け、カッターとピンセットを取り出した。今夜は、この人形を解体してみるつもりだ。呪いを起こすメカニズムはいったいどうなっているのか、それを知りたかった。彼は、人形の中に何かが入っていると考えている。お札か宝石か、超次元的な力が込められた何かが埋められていると思った。それが呪いを発動する源になっている。それを証明したい。

 しかし、不安もある。もし人形にカッターを入れて呪いの力が自分に降りかかったら……。十分にあり得ることで、自分が殺されるおそれもある。そう思うと、手が震えてくる。

 ただ、自分はジャーナリストだ。体を張って調べなくてはならない時もある。それが今なのだ。呪いが発動するならしてみろ。そのための対抗策も準備してある。デジカメを録画状態にし、手元から顔まで写るように傾けて置いた。仮に自分がここから消えたとしても、その瞬間が録画されていれば、きっと何者かが完全な証明をしてくれるだろう。

 さて、どこからカッターを入れようか。腹を割いてみるか? 仰向けにしてみるが、キラキラした目で振りまく笑顔を見ながらそれをやるのは、さすがに気が進まない。背中からやろう。その方があまり抵抗がないと思う。

 待てよ、とカッターの刃がもうすぐ刺さりそうなところで手を止めた。自分の夢は、たくさんの事件の謎を解いて世間に発表することだ。まだ一人前のジャーナリストになれていないのに、こんなところで命を落としてもいいのだろうか。いや、絶対良くない。リスクは回避すべきだ。無茶はしなくていい。やはり怖い。

 拓也は、人形を南側にあるベッドに放り投げた。北側に置いておいて勝手に呪いが発動されると困る。

 人形を解体しなかったことで、千歳を呪い殺すという選択肢が出来た。出来たけれど、彼はすぐに行動を起こせずにいた。確かに、佐緒里を呪い殺した千歳には恨みがある。それは間違いない。今すぐにでも刃物を持って切りかかりたいところだ。

 しかし、それをやってしまうと、自分の嫌いな「ルール違反をした愚かな人間」に成り下がってしまう。それは嫌だった。今度は、自分自身を恨んでしまうだろう。

 そうすると、佐緒里の敵討ちはどうなるか。いくらいじめをしていたからといって、殺されるのはおかしい。過剰防衛というやつではないのか。千歳を懲らしめる必要はある。

 どうして選択肢なんてあるのだろう。ただ辛いだけじゃないか。自分一人の行動で女の子一人の命を左右する。こんな責任重大なことはなかなかない。

 頭が混乱して考えがまとまらない。こんな時は、いったん現実逃避したい。

 どこか落ち着くところに行きたい。自分の部屋じゃなくて、好きな人の部屋に。

 そうだ、旅に出よう。

 拓也は、時刻表を取って、列車の時間を調べ始めた。


 拓也の住んでいるところは行政上「市」に分類されるが、他の市と比べると畑が非常に多く、大型店舗も二つしかない。スーパーと家電屋だ。

 今、彼が電車で向かっているところは、「町」とつくところである。市から三駅ほど離れたところだが、そこはさらに畑の占める面積が多い。中心部には小さい店舗がいくつかあるけれど、車を走らせればすぐに畑を見ることが出来る。村と認定されてもおかしくないほど過疎化が進んでいる。

 電車を降りると、拓也は深呼吸をした。さすが田舎だけあって空気がさわやかだ。見渡せばどこかに必ず緑があって、不思議と安心できる。

 空は晴れていた。雲は多いが、所々に青空が見えている。ときどき山から吹いてくる突風が気になるが、それほど強くはない。

 電話で到着時刻を伝えてあるから、迎えが駅前に来ているはずだ。改札を通って駅を出て、辺りを探す。

 あった。シルバーの車体の軽自動車。十年ほど前に製造された中古車だと聞いたことがある。エンジン音はちょっとうるさくて気になるが、まだ使えるらしい。

 運転席にはおばさんがいた。拓也に気づくと、軽く手を振ってくれた。左手で助手席に乗るように言っている。

 助手席に乗ると、おばさんは笑顔で、

「よく来てくれたねぇ、こんな田舎まで」

 静かに車を走らせた。

「いえ、また来たくなったんです。ちょっと自分の中で気持ちの整理がつかないことがありまして」

「そうだよね。彼女がいなくなったんだもの。仕方ないよ」

 おばさんはこちらを見ずにため息をついた。

「はい、今でも佐緒里さんがいなくなったのが信じられません。ひどい風邪でもひいて長く学校を休んでいるんじゃないか、と時々思うことがあります」

 おばさんは、その言葉には返事をしなかった。ギュッとハンドルを握る手の力が強くなる。

 五分ほど経つと、すぐに畑が姿を現した。あちらこちらにたまねぎがゴロゴロしている。

 この辺に住んでいる人は皆広い畑を持っているから、住居も他の家とはかなり離れたところにある。隣の家へ行くのに、歩いて十分ほどかかる。

 駅を出発してから十五分。畑に囲まれた家の前に、おばさんの車が止まった。

 そこは、香田佐緒里の家だった。


 付き合い始めてからすぐに、佐緒里は自分の家に拓也を招待し、当然と言わんばかりに父親に彼のことを紹介した。「今のうちに仲良くなっていた方がいいでしょ?」と佐緒里は半ば強引にリビングへと彼を連れていったのだ。

 父親に何を言われるかドキドキしていたが、

「真面目そうじゃないか」

 父親の印象は良かった。

 それ以来、佐緒里だけではなく両親との交流も増えた。休みの度に佐緒里の家を尋ね、夜にはご飯をごちそうになった。空いている部屋があるから、とそこで寝泊まりもさせてくれた。

 恋人って、両親には隠れて付き合うものじゃないのか。拓也はフレンドリーな佐緒里の両親に困惑しながらも、それを受け入れ、楽しい時を過ごした。

 佐緒里と別れることになった時、彼女の母親から電話が来て、「娘がわがまま言ってごめんね」と謝った。「佐緒里の気が変わったら、また付き合ってほしい」とも言われた。

 佐緒里と別れてからは初めて訪れる。リビングに通されたが、内装は以前とまったく変わっていない。まるで時が止まっているかのようだ。

 おじさんの気配がしない。おそらく畑に出ているのだろう。ちょうど収穫の時期で農家は忙しいはずだ。それなのにおばさんはわざわざ駅まで迎えに来てくれた。お土産でも持ってくればよかった。

 十分ほど経つと、台所に行っていたおばさんが戻ってきた。お盆の上にコーヒーを入れたカップを載せている。どうやら、彼の好みをまだ覚えていたようだ。

「ありがとうございます」

 そう言って、彼は一口飲んだ。お店のよりも少し濃いめなのが、この家のコーヒーの特徴だ。もちろん、最初から砂糖やミルクは出ていない。これも彼の好みだ。

「もう二カ月、いや三カ月くらい経つのかねぇ」

 ため息をつきながらそんなことを言った。

「あの、警察から何か情報は……?」

 拓也は、警察が何をしても佐緒里を見つけることは出来ないと分かっている。人形に呪い殺されて死体すら出てこないのだ。物語の結末を知っていながら一緒に映画を見ているかのようだ。

「ううん、まったくない。全力で捜査中としか言われなくて……」

 おばさんは自分のコーヒーを飲んだ後、うつむいた。

「辛いですね」

 拓也も視線を落とした。

「そうだね」

 言葉がそこで途切れ、一分ほど沈黙が流れる。お互い、コーヒーを飲むペースが早くなる。こんな時、どんな話をしたらいいのか分からない。

「ちょっとお菓子持ってくるね」

 おばさんは再び台所に行った。この空気に耐え切れなくなったのか、早足だ。

 一人になった間に、確かめておきたいことがあった。仏間にもし、もしも……。

 仏壇には、佐緒里のおじいちゃんとおばあちゃんの写真が飾られていた。二人くっついていて仲が良さそうだ。

 怖かった。もしも、仏壇に佐緒里の写真があったら。彼女の両親が、娘に会うことを諦めていたら。

 拓也には、二度と会うことはできないと分かっている。でも、両親にはそれを認めていてもらいたくない。実の親が諦めてしまうと、彼女の思い出までこの世から消えてしまいそうな気がする。正直彼も、佐緒里の遺体を見ない限り彼女の死を認められない。

 背後から人の気配がした。振り返ると、仏間の入口におばさんが立っていた。さみしそうな顔をしている。両手で既製品のクッキーを持っている。

「佐緒里の写真があると思ったのかい?」

 ゆっくりと仏間に入ってきた。足取りは重く、仏壇という死の領域に近寄りたくないと考えているように見える。

「いえ、ないことを願っていました」

 彼はまっすぐおばさんを見つめた。

「そうかい。あたしもそこに佐緒里の写真を飾るのは嫌だよ。まだ早いと思う」

 おばさんは拓也の数メートル先で立ち止まり、仏壇に近寄ろうとしない。

「まだ早い……。いつか、決断する時が来るんですか?」

「そうさ、ずっとこの想いを引きずって過ごしていたら、心が持たないもの」

 はあ、とおばさんはため息をついた。

「それでもね」と彼女は一歩彼に歩み寄った。「心のどこかでは、いつか佐緒里が帰ってくるって思っていなくちゃいけない。きっと今は長い長い旅に出ていて、ずっと先になって大きなことを成し遂げて帰ってくるって考えるようにしてる。だって、帰ってくる居場所をつくってあげないと、きっと悲しむから」

 おばさんの瞳が震えている。でも、涙は流していない。もし流してしまえば、その居場所づくりは失敗してしまう。佐緒里の帰りを笑顔で迎えなくてはならないのだ。

 おばさんは、きっと一生迷い続けるだろう。死を受け入れるべきか、帰りを待つべきか……。

 拓也も、ほんの数パーセントはひょっこり佐緒里が帰ってくるものと思っている。この考えもきっと一生なくなることはないだろう。

 両方の想いを持って生きていくしかない。両親にはそれができなくても、自分だけはそうしなくてはならない。


 人形売りの少女ともう一度会わなくてはならない。そして言うのだ。お前を絶対許さないと。


2へ続きます。

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