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いつものように本を棚に戻す作業をしていると、気がついたら夕日が図書室に入ってきていた。
手を止めて、窓から外を眺めてみた。ここからはグラウンドが見渡せて、野球部が試合形式で練習をしているのが見える。顔までは見えないが、その動きは皆真剣そのものだ。
少し遠くに目を向けると、金網の向こうに車が走っているのが分かる。すぐそこは国道だから、ひっきりなしに車が通っている。田舎街でも、この時間になると車通りは多くなる。
さらに視線を遠くに移すと、地平線の向こうに大きな山が堂々とそびえ立っている。もっと大きな街へ行くには、必ずあの山を越えなければならない。反対側に車を走らせても、小さい港町しかない。
窓から景色を見ていても、いつもとまったく変わらない旭街だ。でも、今の拓也はいつもと違うことを考えていた。
今晩、いよいよ例の人形店に行くのだ。うわさのあの場所へ直撃取材する計画だ。
そのための準備を、彼は一週間かけて着々と進めていた。聞きたいことをメモにまとめておき、ネットでお店の人について詳しく調べた。共通しているのは、この街のあのお店に関することしか情報がないことと、十三歳くらいの可憐な少女が店番をしている、ということだった。たまに、背の高いスーツ姿の外人が一緒にいることもあるらしい。拓也の予想では、おそらくボディーガードだ。呪いの人形を売る仕事には、きっと闇の組織との取引が必要になるだろう。そんな時に少女一人では心もとないはずだ。
人形店より、取引相手の闇組織と鉢合わせになった時の方が危険かもしれない。一応、防犯ブザーも買っておいた。
取材には常に危険が伴う。一流のジャーナリストは、著書でそう語っていた。自分は、その道でトップを目指そうとしているところなのだ。
両親にこの計画のことを話せば、絶対反対される。リビングで二人を前にして怒られている自分の姿が想像できる。だから両親には、最初からこの事件を追っていることを話していない。
「どうしたんですか、ぼーっとして」
ほうきを持った千歳が彼の顔色をうかがっている。五時前になって誰もいなくなったから、もう掃除を始めている。
「いえ、例の事件のことを考えていたんです。すみません、もう少しで片づけ終わるので」
拓也は本棚の整理に戻った。
ああ、そうか。いよいよあの店に潜入すれば、最悪誰ともいっさい会えなくなる可能性もあるわけだ。戦地を取材するジャーナリストが、遺書をあらかじめ書いておくという話しを、以前聞いたことがある。
東先輩とも会えるのはこれっきりかもしれない。そうだとしたら、この際きっちり話しをしておきたい。誰にも話しをせずに取材に行くのは、さすがにさみしい。
「先輩」
さみしそうな声色で呼んだ。
「はい」
ちりとりでゴミを拾っていた彼女は、顔を上げた。
「このあと予定ありますか?」
彼は、ごくっと息を飲んだ。
「いえ、特にないですけど……」
彼女は、きょとんとしてそう答えた。
「良かったら、お茶しませんか。ちょっと話しをしておきたいんです」
千歳は、彼のその言葉を聞いて緊張が走った。なんだろう、話しって。声のトーンからして、真剣なお話だろう。もしかして、あのことがバレたのか……。それだったら、行かない方がいい。でも……。
拓也は、まっすぐ自分を見つめている。まるで、どこにいても逃がさないと言わんばかりの視線だ。この人からは逃げられないのではないか。ふと、そう思った。
「はい。いいですよ。場所はどこにしますか?」
逃げても、おそらく先延ばしになるだけだ。それだったら、今きっちり話をつけておくべきだろう。
「駅前の、いつものドーナツ屋はどうですか? あそこのクーポン券、まだ持ってるんですよ」
拓也は、少し笑った。
「分かりました。じゃあ、そこにしましょう」
千歳は、再び掃除に戻った。彼から発されていた視線が消えた。思わず、安心して小さくため息がこぼれる。
永遠に五時にならなければいいのに。五時になると、図書室を閉めなくてはならないのだ。
席に着くと、とりあえず二人とも飲み物を一口飲んだ。拓也はブラックコーヒーで、千歳はココアだ。
「さて……」
拓也は、バッグの中をまさぐると、手のひらサイズの四角い箱を取り出した。そして、スイッチを入れる。
「これはテープレコーダーです。今から録音させてもらいます」
「ろ、録音ですか……」
珍しげな顔で、千歳はテープレコーダーを見つめた。
「はい。大事な証言をしていただきたいんです」
拓也はそれをテーブルの真ん中におくと、まっすぐ千歳を見た。「ジャーナリストとしていくつか質問をさせてください」彼はコーヒーを飲んでのどを潤した。緊張してどんどんのどが乾いてくる。
「これから、先輩を傷つけることを聞きます。いいですか?」
拓也のその言葉に、少し迷ったものの、小さく縦に首を振った。
「ありがとうございます。それじゃ……」
彼は、バッグからメモ帳を出して開いた。ペンも持っている。
「あなたはどうしてバレー部を辞めたんですか? 確か、人間関係が悪くなったから、と以前お聞きしましたけど」
千歳は、はい、と答えた。
「もっと具体的に答えてもらいましょう。人間関係というのは、いったい誰とのことを指しているんですか。先輩ですか?」
いいえ、と横に首を振った。
「じゃあ、同学年ですか?」
はい、と返事した。
「複数ですか、それとも一人ですか」
一人です、と答える。
「その人の名前を教えてもらえますか」
…………。
「質問を変えましょう。あなたは以前、全裸写真を校舎中に貼られていましたが、その犯人は誰か見当はついていますか?」
はい、と言う。
「その人物は、バレー部ですか」
はい。
「それは、誰ですか」
…………。
「……香田佐緒里さんが行方不明になって数ヶ月経ちましたが、同じバレー部だった者としてどう思いますか?」
早く帰ってきてほしいと思います。
「本当ですか? 僕、実は数日前にバレー部の二年生に聞いたんですよ、東先輩と佐緒里さんの間に何かなかったかって」
千歳は自分の心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「いじめに遭っていたみたいですね、東先輩。バレー部を辞めろって、佐緒里さんに脅されていたみたいじゃないですか」
…………。
「まだ話してくれませんか。証拠ならあります。聞いてください」
そうして、拓也はテープレコーダーをいったん止め、巻き戻しすると再び再生した。拓也の声に続いて、バレー部の二年生女子の声が聞こえてきた。ファミレスかカフェで録音したのだろうか、小さく他の人の声も入っている。千歳と佐緒里との関係について話している。三十秒ほど音を流していたが、彼はそれを止めて録音モードに変えた。
「この通りです。僕はこの時、二人の二年生に話を聞きました。驚きましたよ、てっきりあなたに配慮してあまり話してくれないと思っていたんですが、ペラペラしゃべってきてビックリしました」
…………。
「色んないじめを受けていたみたいですね。画鋲を靴の中に入れたり、紙パックを机の中に押し込まれたり……。佐緒里さんのこと、どう思いました?」
あ、あの時は、「やめて」とか「嫌だ」とか思いました。
「そうですか」
拓也はコーヒーを一口飲んだ。それを待っていたかのように、千歳もココアを飲む。
「ところで、この街で起きている連続失踪事件についてなんですがね、それに共通していることが分かってきましたよ。消えた人は、皆人間関係を悪くしていて、誰かに恨まれていたんです」
千歳は彼から目をそらしてうつむいた。
「そうなると、佐緒里さんの失踪についても自ずと道筋が見えてきます。彼女はあなたにいじめをしていた。当然、あなたは彼女を恨んでいるはず。後は、分かりますよね?」
彼の言葉を聞いて、千歳は体が震えているのを感じた。
「つまり、東先輩が佐緒里さんに何らかのことを行い、彼女を失踪させた。……間違ってますか?」
…………。
「僕は佐緒里さんと、中学生の時に付き合っていたことがあります」
拓也はぼそっとそう告白した。
「え?」
千歳は顔を上げた。
「佐緒里さんが中学を卒業する時、彼女から別れようって言われたんです。高校生になったらバレー部に入って全国を目指すから、恋愛を一番に考えられなくなる、と泣きながら言いました。僕は彼女を応援することにしました。前々から、その夢のことは話してくれましたから。でも、やっぱり僕は彼女のことを諦めきれなくて、同じ高校に入りました。彼女の情報をすぐつかめるようにしたかったんです」
拓也は、コーヒーを全て飲み干した。
「残念ながら、東先輩が佐緒里さんを呪い殺した証拠はありません。必死で探しましたが、見つかりませんでした。でも、そんなものは必要ありません。僕は今夜、人形売りの少女の店へ行くつもりです。恨みを晴らすのに、証拠はいらないんです。ただ、人形にあなたの名前を書いて北側に置いておけばいいんです。簡単ですよね? 簡単すぎて腹が立ちます」
彼は、テープレコーダーを止めた。それを仕舞うと、レシートを取ってレジへ向かった。お金を払って、外に出ていった。
千歳は、体が強ばってしばらく動けなかった。涙が出てきたが、体が麻痺してそれを拭えない。
私はもうすぐ死ぬ。彼女はそう確信した。
3へ続きます。




