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明日は土曜日。
旭高校の図書室はもちろん通常通り開館するが、拓也と千歳はシフト上休みだ。明日は、三年生の二人が担当することになっている。
「明日、何か予定はあるんですか?」
二人で返却された本を本棚に戻す作業をしていると、千歳が振り返って尋ねた。彼女は台に乗って高いところに本を片づけている。
「ああ、実は明日また、例の人形店に行ってみようかと思っていまして。最近、なかなか収穫がないものですから」
彼は夏休み中、廃屋同然だった、噂の人形店にずっと張り込みをしていた。方法としては、お店とお店のちょうど大人一人分程度の隙間にアウトドアに使われる簡易イスを置き、そこに隠れて様子をうかがうというものだった。トイレと食事以外、朝から夜遅くまでそこから動かない。
「ジャーナリストって、こういう耐久力も必要だと思うんです」
以前、千歳にそんな話しをしたことがある。
「まあ、確かにそういうイメージはありますけど……」
彼女は曖昧な返事をした。実はあそこには十三歳くらいの少女と大人の白人男性がいるんですよ、なんて言えるわけないから、
「がんばってください。応援してますよ」
としか返せない。
「ありがとうございます。よかったら、東さんも一緒にどうです?」
一人でずっと監視しているのもさみしいから誘ってみたのだが、
「あ、あの、その、夏休み中は少し用事がありまして……」
毎年夏休みと冬休みに親戚の家へ遊びに行くのは本当だけれど、正直一日中同じ場所にいつづけるのは、彼女には苦痛だった。
「残念です。まあ、いい成果があれば、まっさきに報告します」
そう言って、彼は図書委員の仕事が休みの日は、毎日のように人形店へ通った。
そうして翌日、夏休みが明けても人形店に赴くのだった。
朝九時から、張り込みは始まった。対角線上にある店のすき間にイスを置き、コンビニで買ったペッドボトルのお茶を足下に用意して、上着のポケットには、いつでも証拠写真を撮れるようにデジタルカメラも潜めている。
夏休みは、全くと言っていいほど人影がなかった。誰も例の廃屋を出入りする様子がないのだ。
もし誰かがいるとしたら、自分に気がついて裏口を使っているのではないか。そう思って度々お店の裏側に回って張り込みをしたことはあるが、これでもダメだった。
やっぱり、バレているのかもしれない。彼はそう前向きに考えて、これまで張り込みを続けてきた。
だが、心の底からだんだんと、ある言葉が浮かんできた。
「ここは、本当にただの廃屋ではないのか?」
そんなこと、信じたくない。もし本当にそうだとしたら、夏休みに時間を費やしたのがすべてムダになってしまう。
彼自身、時間だけが過ぎていくのを感じていた。とっくに九月に入って、八月ほど暑くはなくなった。朝晩は、薄いジャンパーがあったほうが過ごしやすいと感じるほどだ。
ずっと同じことを続けていると、考え事をしてしまう。今は高校一年生。思えば、時間の経つのは速い。つい最近まで中学生だったのが、もう高校生だ。
少し前まで、高校生と言えばほとんど大人に近い学生といったイメージだった。バイトができるようになるし、それで儲けたお金で飲み食いできる。それだけで、大人だなぁと思えた。
でも、いざ自分が高校生になると、「自分って何か変わったか?」と自らに疑問を投げかけるようになった。確かに、人間関係は大きく変わった。だが、それだけのことだった。相変わらず部活動はあるし、勉強も難しくなるだけで授業を受ける体制はまったく変わらない。三十人ほど固まったクラスに先生が一人いて、黒板の前でダラダラとしゃべり続ける……。どこが違うというのだ。
同じことを繰り返しているだけで、ムダに年をとっているだけではないのか。せっかく、まだ学生なのだ。大人になって会社で働くようになる前に、一発でかいことを成し遂げたい。それが、「連続失踪事件の解明」だった。
警察も手をこまねているという。もし自分がその謎を解いたら、学校、いや、日本中から称賛の嵐が来るだろう。そうすれば、一躍有名人だ。就職なんて楽々だ。そうして、そのスキルを発揮して数々の事件の謎を解いて、日本で一番事件を解決した男として認められるのだ。
この街の連続失踪事件は、その第一歩なのだ。それをみすみす見逃してたまるか。
拓也は、つまづきかけた心を再び立ち上がらせた。
お昼が近くなり、お腹が空いてきてそろそろ弁当でも買ってくるかと立ち上がった。
張り込みで一番注意しなくてはならないのは、トイレや食事でその場を離れることだ。その間に、ターゲットを見過ごすおそれがある。食事はどうにか我慢できるとしても、トイレだけは不可能だ。まさか、その辺にするわけにもいくまい。
だから拓也は、イスにカメラを動画撮影状態で置いておいた。そして、例の廃屋に向ける。これで、自分がいないときでも証拠を収めることができる。
もう一度辺りを探索してから離れよう。そう思って通りに出たとき、
「あれっ」
駅とは反対の方角から、見慣れた少女が歩いてきていた。辺りをキョロキョロと見回し、何かを探しているように見える。
拓也は、早足で彼女の元に向かうと、路地に連れていった。
「東さん、ここで何をしているんですか?」
慌てて問い出す。
「あ、北見くん。やっぱりこの辺にいたんですね」
千歳は安心しきった表情をしている。なぜか彼女はジャージ姿だ。
あ、ウォーキングの途中だったんです、と彼女は訊かれてもいないのに答えた。
「いたんですね、じゃないですよ。もしターゲットに見つかったらどうするんですか?」
「ターゲット?」
千歳は首をかしげた。
「例の人形店ですよ。あなたも夏休み中に立ち寄ったでしょ。あの時、きっと顔を見られたはずです。どうしてこんなところをうろついているんですか」
彼は子どもをしかる親のような顔をしている。
「いえ、あの、もしかしたらお腹を空かしているんじゃないかと思って……」
そう言えば彼女は、右手にビニール袋をぶら下げている。中身は丸い銀色の物体と、ペッドボトルのお茶だ。彼女はその中身を一つ取り出した。
「おにぎりをつくってみました。よかったら食べてください」
おそるおそる、千歳はおにぎりを拓也に渡した。
「え、これ手作りなんですか?」
彼は驚いた声で訊いた。
「はい。わたしが自分の手でつくりました。具は、シャケと梅です。その……アレルギーとかありませんよね?」
「は、はい。特にアレルギーはないですけど……」
言葉もないといった様子で、うかがうように銀紙を広げた。中身は、全面に海苔が貼られた大人の拳ほどある大きなおにぎりだった。
「本当におにぎりですね……。ありがとうございます。でもまた、どうして差し入れなんか……」
銀紙で再び包むと、ビニール袋ごともらって尋ねた。
「あの、やっぱり、夢に向かってがんばっている人って格好いいなと思ったんです。だから、少しでも力になれたらと……」
千歳は恥ずかしそうにそう答えた。
「助かります。張り込みは時間が命取りになるので、とてもありがたいです」
ありがとうございます、と千歳に一礼した。
「わたしはこれから用事があるので同行はできませんが、いいものが見つかるといいですね」
言葉を慎重に選んでいる様子が、彼にも伝わる。
「そうですね。結果報告を楽しみに待っていてください」
そうして、拓也はその場で、駅と反対の方へ帰っていく彼女を見送った。
監視場所に戻り、さっそく一つほおばった。できたてを持ってきたらしく、人肌並に温かい。中身はシャケだった。あらかじめご飯とシャケフレークを混ぜたものを握ったようだ。
これが、女の子の味かぁ。拓也は、エプロンをしておにぎりを握る千歳を想像しながら、二つすべてを食した。
夕方になって、日が建物の陰に隠れてしまった頃、動きがあった。
太陽の光が届かないところから街灯がつき始めて、夜の始まりを告げる。拓也のいる場所はちょうど街灯の近くにあり、監視には困らない。お茶を一口飲むと、辺りを見回した。
潰れた店の多いこの商店街も、住宅街へ行くには近道だから、駅からあふれた人たちがひっきりなしに通る。日が落ちていくにつれて、人の数は増していく。
拓也はこう思っていた。この群衆に交じってあの廃屋に出入りする人物がいるかもしれない。お腹が空いてきて少し集中力が落ちているが、ここからが勝負だと言ってもいい。注意しなくてはならない。彼は、両手で自分の頬をパシーンと叩いて気合いを入れる。
それから、三十分が経った。スマホをいじっていると、突然シャッターを開ける音が聞こえた。拓也は慌ててそれをバッグに仕舞うと、デジタルカメラを構える。
例の廃屋のシャッターを、背の高いスーツの男が開けている。一瞬顔が見えたが、白人だった。若い男だ。
その後ろには、なんか見たことのあるような人物が立っている。あの後ろ姿には、見覚えがある。背格好から、まだ学生だと思われる。顔を見せてくれ、速く!
ついに顔が見えた。あ、士別泰造にいじめられていた同じクラスの男子じゃないか。名前は、ええと確か、別海浩介だったっけ。
なんであいつがこんな所に? そんな疑問が浮かんだが、それは今は置いておく。とりあえず、人形店に動きがあったのは確かだ。
拓也はシャッターを切った。二人の顔がしっかり見えるように写す。
白人男性は、シャッターを開けると扉から中へ入っていった。そのまま、別海も吸い込まれるように入店した。
これは大スクープの始まりじゃないか? 胸の鼓動が高まってきた。
さっそく、行動開始だ。拓也は表に出た。群衆に交じってその人形店の入り口辺りまで近づく。
顔だけ、その扉からのぞかせた。中は真っ暗で何も見えない。おかしい、日は落ちてきていて光は全くと言っていいほど入っていないはずなのに、電気がついていない。
いや、ここに白人男性と別海が入っていったのは確かなのだ。もしかしたら、光を漏らさないようカーテンでも引いているのかもしれない。
耳を扉にくっつけてみた。物音が何も聞こえない。奥の方で静かに話しをしているのだろうか。群衆の歩く音や話し声しか耳に入らない。
それから二十分ほど、全く動きがなくなった。とりあえず、拓也は元の監視場所に戻ることにした。通り過ぎる人は大勢いるが、ここからでも十分様子をうかがうことはできる。
すると、扉が開いて別海が出てきた。彼は、閉まった扉に向かって一礼し、住宅街の方へ姿を消した。手には、人形のようなものを持っていた気がする。
後を追おう。そう思って立ち上がって駆けだしたとき、
「すみません、道が分からなくて……」
黒い着物を着た十三歳くらいの少女に声をかけられた。
「いえ、あの、僕、ちょっと急いでいるもので……」
視線は、別海の方へ戻された。
「で、でも、あたし、とっても困ってるんです。お兄ちゃんしか頼れる人がいないんです。お願いします」
よくよく見ると、彼女はまるで日本人形のように可愛らしい顔立ちをしている。今にも泣きそうな顔をしている。彼女は、彼の左手を握ってきた。小さくて温かい手だ。彼の心臓が、ドキンと跳ねる。
「ええと、地図とかは……あったら迷いませんよね……」
「すみません。姉が旭高校に通っていて、迎えに行かないといけないんです」
なんだ、旭高校ならもちろん道は分かる。
「僕、そこに通っていて道は分かるので、良かったら案内しますよ」
本当は別海を追わなくちゃいけないのに、口はそう言っていた。まるで、不思議な術にでもかけられたかのように勝手にしゃべらされたような……。
「ありがとうございます、お兄ちゃん」
クスッとその少女はうれしそうに笑った。
そして、拓也は彼女と一緒に旭高校へ向かった。もちろん、別海の姿はとっくに消えていた。




