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ねえ、人形売りの少女のうわさ、知ってる?  作者: 和田喬助
第一話 『いらない後輩』
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「ただいま」

 千歳がリビングのドアを開けた時、すでにゴールデン番組の放送が始まっていた。

「あらおかえり」

 お母さんがキッチンから返事した。食事の準備をしている。

「お風呂沸かしてくるわ」

 娘がご飯を食べる前に汗を流したいことを、お母さんはちゃんと知っている。

 千歳は、コートを脱いでバッグを下ろすと、ソファに座ってテレビ画面を見つめた。

『――という風にすると、翌日には恨まれた人が姿を消すのだそうです』

『本当ですか? 今時そんなオカルト……都市伝説が流行るんですね』

『流行らせたのはマスコミですがね。△△年に起きた○○県××市のOL失踪事件が、うわさの始まりでした。警察が元カレという男性に話を聞いたそうなのですが、問い詰めていくと妙なことを口走ったらしいのです』

『妙なこと……?』

『それまで黙秘を続けていたのですが、ある日「俺じゃない。人形が殺したんだ」と一言だけつぶやいたそうです。それからは再び黙秘を貫きました』

『その元カレはどうなったんですか?』

『証拠不十分で釈放されましたよ。その騒動が広く報じられたと同時に、実は似たような失踪事件が日本各地で起きていたということが、検証で明らかになりました。それから、SNSを中心に話しが広まっていったというわけです』

 お母さんがバスルームから戻ってきた。軽く手を洗うと、また包丁を握った。

「千歳、制服脱いで着替えたら? スカートにしわが寄っちゃうわ」

 声が聞こえたので、彼女は画面から目を離した。お母さんはこっちを見ていなかった。

「うん」

 コートとバッグを持ってリビングを出た。

 ギーギ―音が鳴る階段を上がると、彼女の部屋がある。ドアを開けて電気を点けた。昼間に窓も開けずクーラーもしていなかったこの部屋は、すぐ汗がにじむくらい熱気がこもっている。クーラーがあまり好きではない彼女は、二つある窓を全開にした。そよ風が入ってくる。

 部屋着に着替えると、物事を全て投げ出すかのように、千歳はベッドにうつ伏せで寝転んだ。形状記憶布団だから、ちょうどいい具合に体が沈んで落ち着く。「はあ……」とため息をついた。

 どうにかしないと。これまで経験したことのない焦りが襲っている。

 バレーはやめたくない。せっかく一年以上頑張ったのに。確かに下手だけど、もう少ししたら上達する……と思う。でも、後輩にはすでに自分より上手い人がいる。次の大会では、自分が補欠で後輩がメインメンバーになっている。このままどんどん置いていかれるのではないだろうか。

 なんだか昔を思い出したくて、千歳は起きて本棚の一番下にあるアルバムを取った。表紙に『旭高校バレー部』とラメペンで書かれている。入部してすぐに書いたものだ。

 練習風景や試合の様子を撮ったものがほとんどだ。たいていは三年生がスマホで写真を撮り、それが部員全員で共有しているLINEのページに投稿される。千歳はそれをスマホに保存し、プリンターで印刷しているのだ。

 入部の時を思い出す。「初心者歓迎」「家族の様な絆と連帯感」と部活紹介のポスターに書かれていて、それだけを見て体育館へ行ってしまったのは失敗だった。実際は、「新人から逸材を見つけ出すぞ!」と意気込んでいて、本気で全国大会を目指している集団だったからだ。

 それでも、一年生の時は気楽に過ごせたと思う。入部から半年経って上手くなくても全然責められることはなかった。たくさん入った一年生から一人か二人、秋までにレギュラー入りさせればいいという方針だったらしく、「冬にも試合あるから、その時に間に合えばいいよ」「来年になって後輩が入ってきたら気合入ってがんばれるさ」と何度も言われた。

 一年生の頃の写真を見ている。カメラマンが代わると被写体に偏りが出てくる。三年生ばかり写っている時があったり、全学年平均的に撮られている時もあったりする。

 登場数こそ少ないものの、千歳の練習風景も写っている。そのうち一枚は、コートの中で腰を落として、向こうからボールが飛んでくるのを待っている時のものだった。真剣な眼差しで一生懸命さを感じる。もう一枚は、ボールを突き上げて相手にパスしている時のものだ。千歳は無邪気な子供のような笑顔を見せている。自分で見るととても恥ずかしい。どうして笑顔なのだろう。誰かがギャグでも言って笑いが起きたのか、ずっとパスが続いて面白くなったのか、もう忘れてしまった。少なくとも、写真の中の自分は充実していて楽しそうだ。

 新学期の時期に近づくにつれ、彼女の写った写真がさらに減っていく。代わりに、秋の大会でレギュラー入りを果たした佐緒里の出番が多い。佐緒里の写真で一番好きなのは、三学期に行われた他校との練習試合でスパイクを決める瞬間を撮ったものだ。恵まれた高身長とジャンプ力を生かして、高い位置からの攻撃は防ぐのが難しい。右手でボールを捕まえて、顔は歯を食いしばっていて目がつり上がっていて恐ろしい表情だ。全力プレーの姿をしっかり捉えられていて、同学年であることが信じられないくらい格好いい。

「お風呂沸いたわよー」

 階下からお母さんの声がした。

「はーい」

 気の抜けた声で答えた。千歳は、今年に体育館で撮られた一年生から三年生まで全員そろった集合写真を流し見すると、パタンと閉じて元あった棚に戻した。着替えの下着をベッド下の収納スペースから取り出す。

 早く汗を流したくて、階段を駆け下りて脱衣所に走っていった。


 足をめいいっぱい伸ばしても入れるこの家のお風呂は、良いお風呂だ。千歳はそう確信している。だから、考えごとをするには絶好な場所だった。

 それにしても、今日の出来事はショックだった。

 はっきり言って、入部してから自分に運動神経なんて無いと確信していた。だから、ママさんバレー的な感覚でやれればいいと思っていた。和気あいあいと過ごせればそれで良かった。

 ただ、周りの人たちが本気で練習していることを知ってからは、気の抜けたような姿を見せないように心がけている。走り込みは本気で走り、ボールのトスやパスも一生懸命やっているつもりだ。本気で先輩と大会で勝ち進みたいと思うようになった。

 志保子先輩に優しくされたことは忘れない。他の先輩にも、ちょっと上手くできると褒めてくれる人もいる。そんな人たちのために、辞めないでおこう。

 それからしばらくぼーっとしていると、上半身が少し冷えてきた。右手で湯をすくい、左肩にかけた。鎖骨の上のくぼみに少し湯を残し、後は乳房に垂れてその輪郭に沿って流れていった。

 さて、髪を洗うか。

 よいしょ、と立ち上がり、浴槽をまたいだ。


3へ続きます。

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