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図書室に西日が差しこんできた。机や本棚をオレンジ色に染める。
外からは、夏休みなのに部活をしている生徒の声が聞こえてくる。たとえ休みでも、全国を目指している部の活動は緩むことはない。
図書室は、夏休みの間でも開館している。この期間だけは、本を借りることはできないが一般にも開放される。昼間は、新聞を読みにくるお年寄りや絵本を読み聞かせする親子で賑わう。
ただ、この時間になると人気はなくなる。元々所蔵数が多いとは言えない所で、しかも自転車で十分も行けば夜までやっている市立図書館もある。今も、図書委員の二人以外は誰もいなかった。
千歳は、ハタキで窓の上のほこりを落としていた。ほこりを吸いこまないように自分で用意したマスクをし、肩まで伸びる髪を後頭部の上で一つに束ねてポニーテールをつくり、制服の袖をまくっていた。
身長が足りないため、イスを足場にしていた。最初は不安定なイスの上で危なっかしくフラフラしていたが、すぐに慣れて落ち着いた様子で掃除している。
ハタキで一回払うと、直径二センチくらいの大きな綿ゴミが舞った。突然虫が出現したかのように慌てて、ハタキで遠くに追い払った。妬むような目で窓枠を見上げると、ふうとため息をつく。
そんな様子を、拓也は東側に面したカウンターから見ていた。彼は、新刊の帯の文字部分をハサミで切って、本の見返しにノリで貼り付けている。この一冊を仕上げてしまえば、今日のノルマは達成される。
それでも、作業のスピードが速くなることはない。彼は、カウンターから見える所に千歳がいれば、チラチラとその後ろ姿や横顔を見つめていた。
千歳が入部してからの一か月間で、図書室は変わった。まず、それまで図書委員でさえ適当に戻していた本が元の場所に仕舞われるようになった。本の上に横積みされた本が、一切なくなった。
次に、掃除が行き届くようになった。窓枠を掃除するのは今日が初めてだが、床や机のゴミは毎回綺麗に取り除かれている。
そして、何より彼女が自分と同じ場所にいることによって、図書委員の作業が飽きなくなった。それまでずっと一人で任されていて、何をしていても大概バレなかったが、さすがに一人はつまらない。
そこに、突然千歳は現れた。新人だからと後輩にも謙虚で、おとなしい。自分から話題をつくる人ではないが、こちらから話を始めれば興味津々とした風に聞いてくれる。
以前、マネジメントの本で読んだが、部下との距離を縮めるのは上司の大切な仕事だ、と書いてあった。別に自分は上司ではないが、図書委員の先輩として距離を縮める行動を起こす必要がある。彼はそう思っていた。
「東さん」
そう呼ぶと、彼女は手を止めてこちらを向いた。
「何ですか?」
「僕、準備室を片づけてるので、そのまま床の掃除もお願いします」
「分かりました」
マスクをしているので表情はよく分からないが、目は確かに笑っている。
どうしてこんな作業をしていて笑顔が出るのだろう。拓也は不思議だった。
彼は準備室に散乱している、本を包んでいたビニールや段ボールを片づけ始めた。ビニールはゴミ箱にぶち込み、段ボールはたたんで部屋の隅に立てかけた。段ボールがたまってきたから、そろそろヒモでまとめて運び出さなければならない。
その後、適当にゴミを拾ったり本をまとめていたりしたら十五分くらい経ち、図書室を覗くと千歳は机を布巾で拭いていた。また別の日に、準備室の片付けも頼もうかな。そう思えるほど、図書室は綺麗になっていた。
図書室のカギを返すと、「失礼しました」と言って職員室を出た。日があまり差していない職員室前の廊下は薄暗かった。
千歳は、職員室の戸のすぐ近くに寄りかかって待っていた。スマホをいじっている。
「行きましょうか」
「はい」
拓也が声をかけると、千歳はそっとピンク色のスマホをバッグに仕舞った。そして、彼のすぐ後をついていく。
外は、図書室と同じようにオレンジ色の光で満たされていた。日は地平線にかかりはじめていて、東の空からは闇が押し迫っている。
校門の前まで来ると、拓也は駅の方へ足を向けた。彼の家は駅とは反対方向だが、今日は例の人形店が本当に存在するのか確認しに行くのだ。
「本当にいいんですか?」
彼は横を歩く千歳を見た。
「何がですか?」
彼女は首をかしげる。けれど、バッグの取っ手を持つ手の力は強くなる。
「今噂になってる人形店ですよ。ネットに具体的な住所が載っていて、しかもこの近くなんですから、僕としてはぜひ確かめておきたいんです。でも、東さんはいいんですか?」
彼は彼女の顔を覗きこむ。一見するとおっとりした表情だが、よく見ると少し引きつっているようにも見える。
「はい、特に用事はありませんから……」
彼女としてはあまり立ち寄りたくない所だが、無理に断れば疑われてしまうと思った。
「それだったら良かったです。二人っきりですけど心配しないでください。僕は、東さんをどこかへ連れ込んで何かをするようなことなんて考えませんし、バレーをしていたあなたを勝る力もありませんから」
彼は、細身の右腕をブラブラさせた。
「ううん、北見くんには負けますよ。部活じゃ大した活躍もできませんでしたから……」
千歳は苦笑いした。
「まあ、確かに。失礼ですけど、東さんの身長じゃバレーで活躍するのは難しそうですからね」
「……そうですね。運動神経もなかったので、ボールを追いかけるのが大変で……」
「それなのに、バレーをしていたのはどうしてなんですか?」
「ええと、母が学生時代バレーをしていて、それでよく試合を観に行く機会が多くて、どんどん夢中になっていったんです」
「確かに、格好いいですもんね。スパイクを決める所だとか、敵の攻撃をブロックする所とか、僕みたいな素人が見ていても、真似したいなって思えますし」
「ですよね! そう思って、ぜひ高校では自分でバレーをしたいと思ったんです。でも、思ったように体がついていかなくて……」
「それで辞めてしまったと」
「は、はい……」
千歳は、うつむいたまま答えた。本当は、佐緒里を自分が消してしまったかもしれないことで、部に居づらくなってしまったからだった。でも、そんなこと、誰にも言えるわけがない。
駅前に着いた。電車を降りたパート主婦やサラリーマン、学生が流れるように駅から吐き出されてくる。
「そうですか……。図書委員になったのはどうしてです?」
拓也は、間を空けることなく質問を続ける。
「本を読むのも好きで、休み時間や寝る前にはほとんど読書をしているので、書物に囲まれるのもいいかなって思いました。よく図書室に通っていて、北見くんにも会ってますよ」
千歳にそう言われて、あれ、そうだったかな、と記憶をたどった。でも、彼はいつも何かをしながらカウンターの対応をしているから、誰が来たかまではいちいち覚えていない。
「そうでしたっけ。僕は覚えてませんけど」
「そうかもしれませんね。よく本を読んだり新聞を広げながら対応しているのを見ましたから」
「あまり仕事熱心じゃないと思ってるでしょう?」
「そ、そんなことはないです。でも結局、閉館するまでは図書室にいないといけないですから、時間を有効活用していると思います」
つまり彼女は、ちゃんと仕事をすればもっと早く終わるのに、と言いたいのである。
「分かってますよ、あなたの言いたいことは。もっと真面目に仕事をしろってことでしょ?」
フフッと彼は笑った。
「ち、違います! まったり仕事するのも悪くない……かな……と……」
首をブンブンと横に振って否定してみせるけれど、彼にはもう通じないようだ。
「東さん、優しいんですね。お気持ちはしっかり受け取っておきます」
からかうような表情で千歳を見た。
「な、なんだか、あまりすっきりしません……」
釈然としない様子で、肩からずり落ちそうになったバッグを直す。
「あ、もしかしてここかな?」
拓也は、懐から取り出したA4用紙を広げた。この近辺の地図が描かれている。紙の中心には、赤い丸がつけられていて、そこが目的地だ。
目の前にあるのは、少なくとも戦前から建っていそうな古い木造の一軒家だ。一階にはシャッターが下りている。
「うーん、閉まってるなぁ……」
辺りを歩き回ってみるが、どう見てもとっくの昔に潰れた店舗だ。シャッターを上げようとしてみたけれど、鍵がかかっていて開かない。
「情報だと、確かにここなんだけど……」
彼は、もう一度地図を見た。周辺にある他の店から推察するに、ここで間違いなかった。
もしかしたら、地図の方が誤りなのかもしれない。そう思い、他の店をしらみつぶしに見てみることにした。
カフェ、床屋、美容室、八百屋……。色々な店がそろっているが、人形のお店は見当たらない。もちろん、閉店している店舗も確かめたが、昔営業していた時の看板がそのまま残っていて、人形を売っていないことは明らかだった。
「もしかして、今日はお休みなんじゃないですか?」
後ろをついてきていた千歳が、遠慮がちに言った。この店に一度しか来たことのない彼女にとって、休日など知るよしもない。
「あー、そうですね。たまたま休業日に来てしまった可能性もあります」
二人は、赤丸で示された店舗に戻ってきた。もう一度、地図と辺りを見比べる。どう見ても地図は正確だ。
「僕、また別の日に来てみます」
そう言って、地図をカバンに仕舞った。はあ、とため息をつく。
「残念でしたね……」
千歳はそう口にしたものの、心の中ではホッとしていた。拓也はなぜかこのオカルトめいた話に積極的だ。自分がこの店を訪れたことがばれると、やっかいなことになるだろう。
「今日の調査は終わりにしましょう。さて……」
人形店を見つめていた彼は、彼女の方を向いた。
「ちょっとお茶していきませんか?」
「え?」
彼からの突拍子もない提案に、他に言葉がでなかった。
「親睦を深めるいい機会です。あまり東さんとは話をしたことがなかったので、ちょうどいいかと思いまして。あ、何か用事ありました?」
彼は真顔で、表情から何を考えているのか読み取ることはできない。気のせいか、彼に飲み込まれそうになっている。逃げられそうにない。
彼女は、人形を使ったことがばれるのが怖かった。推理小説では、彼のような立ち位置の登場人物が物語の真相に迫っていく。もしかしたら、本当にそうかもしれない。
だからこそ、彼から遠ざかってはいけない。正面に立つのではなく、横に立って自分のことを勘ぐられないようにするのだ。彼の味方となれば、とりあえず大丈夫だろう。
そもそも、人形を使って人を殺したなんてこと、世間で信じられるわけがない。仮に彼が人形売りの少女に接触してそのことを発表しても、誰からも見向きもされない。
「はい。いいですよ。どこにしますか?」
そう。彼とは敵対してはいけない。今度こそ、目立たないようにするのだ。
「駅前に、ドーナツ屋があるんです。親から余ったクーポン券をもらっているので、そこにしましょう」
言い終わる前に、拓也は歩き始めていた。
「分かりました」
小走りで、彼の横についた。そして並んで歩く。
何を話すつもりなのだろう。彼女は、ギュッとバッグの取っ手を握りしめた。
4へ続きます。




