2
日高先生に恋をしたのは、今年の四月だった。入学早々の数学の時間、どんな怖い先生かつまらない先生が来るのかとドキドキしていたが、現れたのは大人の格好いい男性教師だった。
彼があいさつで声を放ったとたん、彩子は一目ぼれした。なんてイケメンで格好いい声なんだろう。
正直、それまでは男性アイドルグループ以外リアルに好きな人は出来なかった。なぜだか、皆子どもに見えてしまうのだ。自分の周りにいる大人も、酒やタバコに溺れ、愚痴ばかり言うつまらない人たちばかりだった。
四月の最初の授業は、たいてい先生や生徒の自己紹介で終わる。だから、先生の身の上話をたくさん聞くことができた。
中学の時はバスケが下手くそで、走るのも遅かった。先輩にバカにされた。
しかし、彼らに見返してやりたくて一生懸命走ってボールを触った。皆が帰った後も、居残り練習して、ひたすら上手くなろうと努力した。おかげで、三年生になる頃には、レギュラー入りして県大会で一位に導くまで成長した。
同級生からは、「お前、がんばったな」「一年の頃とは比べ物にならないよ」と頭をぐしゃぐしゃかきむしられながら絶賛された。
そして、高校生になってもバスケを続け、全国大会に毎年出場することができた。もちろん主力として大活躍した。
先生はそのエピソードを通して、努力すれば必ず理想の自分に近づけると語った。努力は無駄にならないことを実感したと、笑顔で話した。
それを聞いていた彩子は、見た目だけではない格好よさを感じた。たった一日で、彼の外見も内面も大好きになった。
先生と生徒の禁断の恋だということは、もちろん自覚している。それが世間からどれだけ非難の目で見られるか、想像もつく。
ただ、自分が高校を卒業してしまえば、ただの男と女になる。とっくに結婚できるようになっている。何も問題はない。年の差カップルなど、今やそれほど珍しくはない。両親からはあまりいい顔をされないだろうが、駆け落ちしてしまえばいいのだ。ずっと彼の背中についていけばいい。
焦ることはない。卒業まであと三年もある。ゆっくり距離を縮めればいい。初めはそう思っていた。だが……。
日高先生には、どうやら想いを寄せている女性がいるらしい。二年生の担任をしている大橋先生だ。年は彼より六歳ほど離れているけれど、世間的には許容範囲だろう。
しかも事態は最悪で、両想いの可能性が高い。二人でいる姿を見れば、いつも楽しそうに話をしていた。
これはまずいことで、明らかに彩子よりも大橋先生と一緒に過ごす時間は多いから、自然と中が深まっていく。日高先生は一年生所属の先生だが、きっと職員室で先輩として相談を受けることはあるはずだ。パパに聞いたら、そういう仕事上の悩みはたいてい飲み屋で行われることが多いという。お互いお酒を体に入れながら話しが弾み、悩みも解消されてお互い好印象となり、そして最後にはどちらかの家に二人へ……。
いやー! 想像もしたくない。大橋先生が、自分よりもスタイルが良くて美人なのがさらにムカつく。
自分も誰かに相談しよう。味方をつくって、共同で日高先生の心を鷲づかみにするのだ。それに最適な人材は……。
教室の前の方で他の女子と楽しそうにおしゃべりをしている一人の少女に目を向けた。彩子より背が小さくて可愛く、そんな人を男が見逃すはずがなく、彼女にはちゃんと彼氏がいる。よし、彼氏づくりの先輩に、悩みを打ち明けようじゃないか!
「舞、ちょっといい?」
近づいていって、そうっと声をかけた。
「どうした?」
「うん……、相談したいことがあって、放課後時間取れる?」
すると、舞は嬉しそうにうなづいた。
「もちろんいいよ。じゃあ、いつもの所にする?」
いつもの所とは、全国で一番有名なドーナツ屋のチェーン店で、コーヒーとカフェオレはお代わり自由という、お金の少ない女子高生にはピッタリなお店である。
「ありがとう。それじゃ、また放課後ね!」
軽く手を振って、その場を離れた。よし、第一段階成功!
彩子と舞は、駅前バスターミナルで降りた。
今日は、一週間に一度の「部活禁止日」だ。勉学にしっかり取り組めるように、という学校の方針らしい。
しかし、こうしてこれからお茶しようとしている二人は、その方針の反面教師と言える。でも、よほど難関大学に行こうと張り切っている生徒以外は、勉強などほとんどしていないという。これは、部活の先輩から聞いた。「皆でやれば怖くない」という言葉を、見事に再現していた。
それは置いといて、彼女たちは、駅前のドーナツ屋に入った。平日だから、それほど混んでいない。駅前だけあって、客層は様々だ。買い物帰りの主婦、パソコンをいじっているスーツ姿の男、そして近くの旭高校の制服を着ている男女のカップル……。栄光学園とは二駅ほど離れたから、その生徒は誰もいない。相談をするには絶好の場所だ。
舞がドーナツを注文しなかったから、彩子も頼むのをためらった。ダイエットでもしているのだろうか。全然太っているようには見えないけど。
彩子はカフェオレを、舞はコーヒーを選んだ。しかも舞は、砂糖もミルクもいらないと言った。さすが、相方を持っている人は違うな、と思った。
「それで、相談って何だい?」
お互い一口飲むと、舞はそう切り出した。
「ねえ、この話、誰にもしゃべらないって約束してくれる?」
彩子は、顔を強張らせた。
「もちろんさ。あたしと彩子の仲じゃんか。命に代えても秘密は守るよ」
ニカッと歯を見せて笑った。彼女は、彩子との約束事は必ず守ってくれる。だからこそ、親友とまで呼べるようになった。
「ありがとう。実はね……」
彩子は話し始めた。日高先生に一目ぼれしたこと、その想いは日に日に増してきていること、本気で付き合いたいと思っていること、でも勇気がなくて告白できないこと、そして、先生は大橋先生と仲がいいこと……。
「はあ……、なるほどねぇ……」
舞は、驚いた顔をしている。
「ねえ、おかしいかな?」
彩子は、不安そうに親友を見つめた。
「そうだねぇ……」
舞は、うつむいて考え込んでいる。やっぱり、先生と生徒の恋という話は、さすがに予想外だったようだ。
「大橋先生か。なかなか強いライバルだなぁ……」
舞にそう言わせるとは、やはりあの先生は日高先生を落とすだけの力を秘めているようだ。
「どうやったら、大橋先生を越えられるかな?」
そう独り言のようにつぶやいた時、
「え、彩子、大橋先生を越えたいの?」
舞は、開いた口がふさがらないと言った顔をしている。「それは……」急に、彼女は彩子から視線をそらした。
「彩子、今後のために言っておくけど、大橋先生はかなり強敵だよ。立ち向かうのは大変かも」
「大丈夫。絶対勝ってみせるから!」
「ふうん、恋の馬鹿力ってやつかな。まあ、あたしも前はそんな感じだったから、気持ちは分かるけどね」
コーヒーを一口飲んで、ふうと息をついた。
「ねえ、彩子にいいこと教えてあげる。恋を成功させる方法は、何もライバルを越えるだけじゃないんだよ」
「え、他に何かある?」
「もちろん。相手を蹴落とすのさ」
「け、蹴落とす?」
「そうそう。つまり、相手の弱みを握るとか、いたずらするとか、そうして精神的に追い詰めていくの。そうしたら、もう誰かに恋なんてしていられないから」
こ、怖っ。彩子に鳥肌が立った。
「そっちの方が現実的でしょ? そして、あなたの内面を日高先生に見せるの。外見だけ見るような男はたいしたやつじゃないから、覚えておいて」
舞は、次第に興奮してきているようだ。
「う、うん。分かった」
あ、そうだ、と舞は付け加えるように言った。
「ちょっと、こっち寄って」
舞は、身を乗り出してきた。彩子も顔を近づける。舞から、かすかにコーヒーの香りがする。
「人形売りの少女の噂、知ってる?」
声を潜めてそう言った。
「うん……。ネットで話題になってる、あれでしょ?」
「そうそう。ある店で人形を買って、その人形に名前を書いた紙を貼り付けておくと、翌日には書かれた名前の人が消えているんだって」
「そ、それがどうかしたの?」
彩子は息を飲んだ。
「消しちゃえば? ライバルなんか」
ハハハっと周りの人を気にすることなく、舞は笑った。
3へ続きます。




