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私がこの国にやって来たのは三年前の事だ。
小説やアニメの世界でよくある異世界トリップが、自分の身に降りかかるなんてありえないと思ったけど、私が幸運だったのは比較的直ぐに言葉が分かるようにしてもらえたこと、異世界から来たことを納得してもらえたこと。特に私が現れたのは王宮の一角で、どこぞの間諜と思われても仕方がなかった状況だったから、身の安全を確保できたのは僥倖と言えた。
なんでも、私みたいにどこからともなくやってくる人間は結構いるようで、こちらの世界では異人とか稀人とか、そんな名前で呼ばれている。本当に色々な世界からやって来ているみたいで、魔力があったりなかったり、肌の色も姿も色々らしい。
こちらの世界に住む人にとっては、魔力があろうとなかろうと何かしらの新しい知識などをもたらしてくれる相手なので、比較的高待遇のようでまずは安心したのを覚えている。
魔力至上主義と聞いて、異世界トリップに付きもののチート能力が何か付いたのかと思ったら、そんなことは本当に全くなくて、私は魔力なしだってことが分かった。まあ、ちょっと考えれば分かる事だったんだけどね。魔法のない世界から来たんだから、使えないんだってこと。
だから、勿論元居た世界に帰りたいけど、無理ならば自立の道を探して働きたいって伝えて、現在の職場にお世話になっている。
カーマイン様のお屋敷に派遣されるようになったのは、礼儀作法なんかの勉強が終わってからすぐ、だったかな? 王様直々にお願いされた。
何故かと言うと、危険な思想がないこと、特別な戦闘力がないこと等を魔法で調べられたことがあって、その時に日本のサブカルチャーの情報が回り巡って王様まで行ったから、みたい。私の兄と妹が、ジャンル違いだけど夏の東京のお祭りに行く家庭だったので、二人からの聞きかじり程度とはいえ、一般家庭よりもそちら方面の情報を持っていたせいか、カーマイン様の趣味に耐えられるというか、ほんの少しでも理解できそうな素養があったのが、私だけだと目されたからだった。
「とにかく、まともな生活が送れるようにしてほしいのだ」
「まともとは……何を以て測るのでしょうか?」
余りにも漠然とした依頼にそう聞くと、傍付きの侍従が説明してくれた。
カーマイン様は宰相だけど、国王の身内でもあって、従弟にあたる。だが、出不精というか働きたくない病に罹っているというか、とにかく王宮に出仕して来ない。
「どういうことなんですか?」
と聞いてみれば、分からないでもない屁理屈をこねたらしい。
「一々出仕するのは面倒くさいです。身支度して、着替えて、移動。それでどれだけの時間がかかるか分かっているのですか?無駄極まりないから行きません」
カーマイン様は王宮に出仕する時、魔力の流出を抑える魔道具を十個くらいつけているんだって。副作用として、つけている間は何となく息苦しいんだと。それがあるから余計に出たくない、と。
息苦しいのはそりゃあ嫌だろうけど、仕事だよね?と思って、
「国王命令で出仕するように言ったらどうですか?」
と聞いてみれば、引きこもりは引きこもりでも、本当にやるべき仕事はやっているので文句が付けられないのだそうだ。
本人も、
「仕事?家に居て出来ることは全部やるし、可能なような仕組みも考えたから。仕事をやっているんだから、いいでしょう?」
と豪語して、自作の魔道具を勝手に王宮に設置して行ったというのだ。
カーマイン様が用意したのは、私の世界で言う電話だったりFAXだったりという魔道具。あ、FAXはコピーが相手先に届く物だけど、届くのは本物なんだそうな。宅急便の類とどう違うの?というと、一瞬で送る本人の手元に届くと言うもので、一応書類に限る。
既に金持ちだから魔道具を売って儲ける気もないし、世の中に広がった時の影響があるのは分かっているので、今のところ繋げてあるのは国王との直通のみなんだけど、そうやって無理やり空けた時間で作っているのがお人形だというのだから、国王ももうちょっと何とかならんか、せめて魔道具作成で満足してくれと言ったのだが、そちらは引きこもりに便利だからという理由でやっていることで、趣味じゃないと返されたのだと。
一応、儀礼式典系の絶対外せない出席義務のあるものだけはちゃんと出て来る。そりゃあもう、一部の隙もなく着飾って来る。本当にその時だけは、巷で最後の高位独身貴族、人気絶頂の見てくれよし、身分よし、甲斐性もあるすばらしい結婚相手候補と謳われている姿そのものなので、中々突っ込み所がないのだとか。
ただ、住んでいる所があまりにも酷いので、両親であるルーシル公爵が自分の使用人を向かわせたが、掃除は辛うじて出来ても人形の趣味の辺りで無理、となるらしい。
まあ、無理もない。オタクで引きこもりだけど金持ちとなればネオニートというやつではなかろうか。それに不潔がプラスされたら、例え収入があろうとも、ただの生活破綻者だと思う。
それにこちらの人は公爵の息子とか、宰相とか、外見が良いのに趣味が人形という外見との激しい落差に付いていけないんだと思われる。
「最終的には本人の協力がないと、生活改善は無理です」
特に私は魔力がないから、魔法を使って引き篭もられると手出しが全くできないと主張すると、国王は重々しく頷いた。
「いや、勿論それが最終目標であるが、せめて朝起きて夜寝るような規則正しい生活と、人に見られても平気な格好を常にさせる様にしてほしいのだ。無理にとは言わない。限界が来たら遠慮なく言ってくれ」
で、満を持して……という訳でもないのだろうけど、私がお屋敷に行った訳だったのだけど、本当に、本当に酷い有様だった。
とにかく汚い。せめて外側を何とかしようと本家使用人が頑張ったらしいが、カーマイン様から漏れる魔力が植物の成長にも影響を及ぼすらしくて、成長速度が異常に早いそうだ。
なぜ漏れるか?というと、この埃やら煤やらから分かるかと思うけど、魔道具を開発するにあたって稼働テストをした時に失敗した為の産物らしく……まあ要するに、火事になったり、爆発したりした結果、嫌でも外に色々な物が漏れ出した結果のようだ。
本人は魔法で自分の身一つくらいはどうとでもなるらしく、また、壊れたら困るものは最初から隔離してあるため、傷一つなし。失敗しても自分は痛い目に遭わないから、余計に同じ轍を踏む。
本人は本人で、イケメンだろうとなんだろうと、普通に汚れていれば汚いし臭い。何時からお風呂入っていないの知らないけど、饐えた臭いというか、獣臭というかがするし、後ろ暗い趣味を持っているならばせめて世間から指を指されないように、かつ、病気にならないように毎日風呂に入れと約束させたのも、かなり大変だった事を覚えている。
今回も、休み前にかなり綺麗にして帰ったのに一日で元に戻ったってことは、また爆発騒ぎを起こしたんだろう。
私はまず埃を吸わないようにマスクをして、更に髪が汚れないようにほっかむりをした。そして、軍手を二重に嵌め(魔物の革製で、水でも油でも酸でもなんでもござれな高性能品)、虫が靴の中に入って来ないようにするためにふくらはぎ辺りまですっぽりと覆う袋みたいなものを履いた。
初めてここのお屋敷にやって来た時、ムカデ(みたいなもの)に足を咬まれたのは今でも忘れない。ついでに、ネズミの死骸を踏んづけたこともだ。
あの時は同僚のからの助言で、「可能な限り汚い服を持って行って、現地で着替えさせてもらってから作業をした方がいいよ」と言われていたけど、足元までは気を配っていなかったから、作業は進まないわ、治療を頼みに下げたくもない頭を下げなければならないわで、本当にいい思い出がない。
ごみを踏み分けてカーマイン様の居間兼作業場に向かうと、部屋の扉を開ける前に本人が出て来た。……なぜだか、出仕する時みたいなきらびやかな服を着ている。
床が汚れているので、裾のあたりがごみをことごとく巻き込んでいるが、高価な服は自動保全の魔法が掛かっているとかで、汚れない・破れないので、とりあえず見ないふりをした。以前みたく異臭を放っていないだけ、随分マシになったんだし。
外面が良いので、こういう格好をしていると本当に絵になる。ひきこもりで運動していないのに、なんで筋肉が衰えないんだろう?って不思議になる体格をしているし、身長も高い。顔もごついというよりは整っていると称するような美貌で、金色の長い髪も、風呂に入ったばかりなのかいつもはくすんだ金色をしているのが、純金みたいにきらっきらしているし。
「お出かけですか?カーマイン様」
それ以外に着飾っている理由が分からなくて、予定外の出仕なのかと思って尋ねたら、カーマイン様は私の問いに答えないでにっこり笑った。
「遅かったね、六花。待っていたよ」
「はあ。今日は侍女志願のお嬢様のお相手をしていましたから、少し時間がかかってしまいました」
「そう。みんな結構あきらめないね。別に箝口令を敷いているわけじゃないのに、私の趣味が広まらないし」
うん、それは私も不思議に思っていたけど、考えられる可能性は一つだ。
「ご両親や、国王様がされているんじゃないですか?」
「ああ、それはあり得るかもしれないね。すぐに余計な事をしないよう、言付ける様にするよ」
「そうですか」
下手をすると、国家の威信にかかわるから、多分意味はないと思うけど反対はしなかった。
「……ところで、お出かけじゃないんですか?また爆発騒ぎを起こしたようですが、お説教は後回しにしますから、どうぞ行ってらっしゃいませ。私は後片付けをしておりますから」
「出かけないよ?……ああ、この格好のことか。ほら、前回言われたから、気を付けたんだよ」
「前回?」
何のことを言っているのかさっぱり分からなくて、私は首を傾げた。外出しなければいけない時は、かなりいやいや出仕していると知っているので、出かけないのだったら余程の事で着ているのだと思うが、思い当たる節はない。
マスクで殆ど表情は分からないだろうが、私がとぼけているのではなく本当に分からないのだと気付いたカーマイン様は、途端に機嫌の悪そうな顔になった。
「結婚してくださいって言ったじゃないか」
「ああ、そのことですか。──嫌です」
間髪入れずに断った。何寝言抜かしているんだって付けなかっただけましと思え。
「……ちょっとくらい考えてくれたっていいじゃないですか」
お、ちょっと丁寧になった。──だが、断る。
「考えても、考えなくても同じです。人形制作に都合がいいからでしょう。それ以上でもそれ以下でもない。それに私は言った筈ですよ。ここでは生活ができないって。こんなに汚れていなくて、年中お掃除しなくてもいい環境で、整理整頓してあるお屋敷に住んでいて、さらに毎日お風呂に入って綺麗に洗濯してある服を着て、身ぎれいにしてきたら考える、と言いました。それも、一瞬じゃなくて継続していただかないと。現状は考えるまでもないですね」
「……それって、やったとしても断られるかもしれないじゃないか」
ふてくされたようにカーマイン様が言うけれど、当たり前だと思う。
「あなたの趣味に言及しないだけ、ましだと思ってください」
私はにべもなく言いきったのだった。