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うきうきしているお嬢様方を尻目に、御者さんに東区に向かって貰った。お嬢様方に引っかかったせいで、出勤時間に大幅に遅れているから、ちょうどよかった。この分だと遅刻せずに済みそうだ。
ルーシル本家は王宮を中心とした東区にあるんだけど、途中までは同じなんだよね。途中で道を逸れるけど。
本家の前を通り過ぎたあたりでお嬢様の突っ込みが入ったけど、御者さんに次々と指示を出して細かく右に左に曲がる。
その後、行き止まりになったので嫌でも馬車を止めた御者さんも、流石におかしいのではないかと思ったようだ。こちらを見て、前を見てと何度か繰り返した後、呆然と呟いた。
「……侍女殿。もしやあれがカーマイン様のお住まいなのでしょうか?あの、気のせいでなければ、廃墟に見えますが」
壮年の御者さんに、私は力強く頷いて見せた。
「気のせいではありませんよ。廃墟に見えますが、あれがカーマイン様のお屋敷です。あ、因みに幻術等の魔法は掛っておりません。見たままです」
「…………」
「…………」
馬車の窓から首を出していたお嬢様方も言葉が浮かばないみたい。
目の前には無骨な石造りの屋敷と言えば、ものすごい美辞麗句を連ねた事になってしまうカーマイン様のお屋敷というか、廃墟がある。廃墟でなければ……幽霊屋敷?そんな感じ。
扉もついているし屋根もあるんだけど、所々穴が開いていて、その穴の中に庭……に相当する箇所から伸び放題に伸びたつる植物が入り込み、埃なのか煤なのか、建物全体は薄汚れた灰色におおわれている。窓は全て鎧戸で塞がれていて、一応、三階建てのそれなりに大きなお屋敷だ。立派だとは口が裂けても言えない。
庭と外との垣根に大きな木が植わっているけど、それが余計に鬱蒼とした雰囲気を醸し出している。
私は家の中だけの事をやるようにと言われているので、外には手を出していないから、木も草も伸び放題になっている。辛うじて玄関までの道のりは草が短く刈られているけど(私が刈った)、他は腰の高さくらいまで雑草が伸びていた。あー、蛇の一匹や二匹くらいは棲んでいるんじゃないかな?立ち入る勇気はないから、確認はしていない。
更に余談になるけど、ここまでの道のりで右や左に曲がったのは、空間阻害の魔法がかかっていたからだ。特定の人間しかたどり着けないようにしてあるらしいんだけど、泥棒除けに非ず。コレが本家嫡男で宰相やっている人間の家だと、世間一般に知られたくないからだって。
因みに、掛けたのは本家のご両親だそうです。……よく分かるよ、その気持ち。
「あなた、もしかして私たちを謀ろうとして、いい加減な場所へ案内したんじゃないの?おかしいでしょう、これがカーマイン様のお屋敷って!」
「ここへいらっしゃったお客様はそれなりの数に上りますが、皆様必ずそうおっしゃいます」
間髪入れずに返すと、私以外の全員がとてつもなく奇妙な顔をして黙り込んでしまった。
「……ねえ、外見はあんなぼろ……いえ、廃墟に見えるよう偽装がしてあって、中は素晴らしいんじゃないかしら?なんといってもこの国の宰相をしていらっしゃる、カーマイン様のお屋敷なのよ?」
かなり長い沈黙の後、お嬢様の内の一人がそう言った。
「では、中に入ってみますか?私の裁量でお通ししてもかまわないのは、玄関ホールのみとなっておりますので、そこまででよろしければご案内いたします。……ああ、ご不安でしょうから、どうぞ御者の方もお嬢様方に付き添ってくださいませ」
何かあった時の用心と、目撃者を増やすためにそう助言をすると、二人だけでは不安だったらしいお嬢様方も頷いた。
「さあ、足元に気を付けて、どうぞ」
刈り込んでいるとはいえ、雑草が生えている道に一歩足を踏み入れただけで、小さなバッタの様な飛び虫が飛び出してくる。「ひっ」と小さな悲鳴が聞こえたけど、聞こえないふり。これくらいで怯んでいたら、中はとても耐えられませんよ?
玄関の扉の前で一度止まると、私は三人の方を振り返った。
「ただ今から玄関の扉を開けますが、その先にあるいくつかの廊下に続く扉に触れることは、大変危険ですのでお止め下さい。防犯上の仕掛けがいくつも施してあるそうで、その多くが魔力に反応するようになっております。ご存知の通り、私は魔力がありませんので反応しないのですが、個人が持つ微弱な魔力を感知するだけで、対侵入者用の仕掛けが発動するようになっております。……よろしいですね?」
私がそう念押しすると、気圧されたようにこくこくと頷くお客様たち。それを確認してから、私は鍵のかかっていない玄関の扉を引っ張った。
見た目に反して軽く開く扉に、恐る恐る近づくお嬢様方と御者さん。微妙に腰が引けております。
一般的に、貴族のお屋敷の玄関というのはそれなりの広さとか、格の窺える調度品とか、お使いの人やらなんやらを迎えるためにそれなりに飾っておかなければならないのだけど、ここのお屋敷はとても一般的とは言い難い。
中は私が前回来た時に綺麗に掃除しておいたのに、また薄汚れていて、埃と煤のようなものは外よりも酷い。天井からも、糸の様になって蔓下がっている黒い何かが幾つもある。
何かが「何」なのかは、深く考えてはいけませんよ、お譲様方。ただ、あんまり深く息を吸わない方がいいと思います。病気になったら困るでしょう。
足元にはジャガイモ、人参、玉ねぎなどの比較的日持ちのする野菜と、柑橘系の果物が無造作に木箱に入れられて置いてあった。本来、こういった食料は裏から搬入されるものだが、屋敷の裏に回ろうとすると道がないから遭難してしまうので、出入りの使用人(本家からの配達人)がここに置いて行くのだ。
で、更には紙くず?とか、何かの石の破片?とか、何かの虫?が転がっていて……の辺りで、お譲さま二人が一歩引いた。玄関からは一歩も入っていないけど、引いた一歩はかなり大きい。無理もない。私も足の沢山あるムカデみたいなのは苦手だ。
「やっぱり廃墟じゃないの!」
騙したわね!と叫ぶお嬢様方に、幾分冷静だった御者さんが口を開いた。
「ですが、お譲様。あの奥の扉に描かれている紋章は、ルーシル家の家紋ではありませんか?」
御者さんが指したのは玄関から見て正面の扉で、表面にはルーシル家の家紋である八枚の花弁の白百合が浮き彫りにされている。
「──本当ですわね……」
「もしかして、ここまでが偽装で、その先が本当の玄関だったりするのかしら……?」
お嬢様の内の一人がそう呟いたら、もう一人もその可能性に気づいたようだ。とても人の住む様な場所には見えないだろうし、この玄関が招かざる客の撃退用の場であると思われても仕方がない。
底辺の地位である私でも、ここに住むのは嫌だ。野宿の方がまだマシに思える。
「そうおっしゃるお客様もとても多いです。それで、開けてみろとおっしゃるのですが……皆様、覚悟はよろしいでしょうか?」
「覚悟?」
意味が分からないわと首を傾げるお二方と、御者さん。
「あそこからは、本当に色々な意味で危険なのです。心の準備をされていても、正気を保てない方が何人かいらっしゃいまして……。よろしいですか?玄関の扉から外にいらっしゃる分には危険は少ないですから、決してそこから中に入ろうとはなさらないで下さいね」
もう一度警告して念を押す。これで中に入って来てなにかあっても、自己責任を主張できるからね。
何だか悲壮な努力を持って決意したらしいお嬢様方が、私に頷いて見せた。御者さんを盾にしていなかったら、ちょっとは見直してあげたんだけど。
私は百合の扉に手をかけて、手前に引いた。
その先には、細い廊下。なぜ細いかと言えば、両側にびっしりと何かの道具が積まれている棚が置かれているからだ。玄関同様薄汚れているし、明かりもない。廊下の床にもごみの様な、部品の様な、黒や白の何かの塊が落ちていて足の踏み場もない。少なくとも、床の模様も見えないくらいに、何かが堆積していた。
通路が確保されているごみ捨て場というか、穴倉というか──適切な言葉が見つからない。……気のせいか、また棚の厚みが増している様な気がするけど、本当に気のせいだと思いたい。
その時、かつ、かつ、かつ、かつ、と規則的な音が遠くから響いてきた。最初はゆっくり、段々早くなる音は、誰かの足音にしては少し忙しなくて、響く数も多い。これは誰というか……何というか……。
かつかつと響く音が、かかかかっ!と駆け足のようになり、その音源が見える所までやって来る。
「ひ、ひひひひひと?」
「あ、あれは何なんですの!」
「いやっ!こっちに来る!」
「しっ!お静かに願います」
私は人差し指を立てて、静にするように身振りで命ずると、玄関まで転がり出てきたそれに向かってこう告げた。
「リッカ・タチバナです。カーマイン様のお屋敷のお掃除に参りました。そこにいる三人は、お屋敷の見学者です」
私を無表情に見つめていた顔が、きりきりきりといいながら九十度、曲がった。軽い跳躍と共に、体全体が玄関の向こう側に立つ三人の方に向き直る。かかかかっ!とまた足が音を立てた。その動きは、蜘蛛そのもので──。
「ヨウコソ、オキャクサマ。かーまいんサマノオヤシキヘ……」
かくんと人にはあり得ない角度で頭を曲げた、それが顔を上げる前にお嬢様方の限界が来たようで。
「いやああああああああ」
「魔物、まものよぉぉぉぉぉ」
「うわああああああ」
絶叫を上げて脱兎のごとく走り去ってしまった。うん、残念だ。出来ればこの子ではなくて、この汚屋敷の方に引いてくれた方が良かったのに。
「インパクトが強い方しか印象に残らないから、ちゃんと分かってくれたかなー?カーマイン様の現実」
汚屋敷の事とか、毎日通って掃除しているのに、一週間に一度のお休みでまた元の汚部屋に逆戻りな事とか、こんなに汚い環境に居ても気にしない無神経な所とか、宰相で毎日王宮に出仕しないといけないはずなのに、どんどん引き篭もり化している所とか、魔力が強いからって言って碌でもない趣味にやたら力を入れている所とか、もう本当に改善要求をしたい箇所が山のようだ。
一番性質が悪いのは、自分の趣味嗜好がどういう風に見られるか分かっていて、外聞を気にしない所だろう。最初は人除けに装っているだけなのかと思ったら、本当に、本当に趣味だった。
ただでさえ魔力が高くて使用人のなり手が少ないのに、趣味が高じすぎて汚部屋を量産、とうとう住む場所自体が汚屋敷となってしまって、常人には耐えられないような趣味のせいで神経が持たず、本家のルーシル家からの使用人はおろか、家事代行派遣機関の同僚の誰もが「百年の恋も醒める」、「神経をやすりで削られる」等々、匙を投げた職場。
私はまだ前に住んでいた所の知識があるから、最長記録を更新しているけどね……。
きりきりきりと、また首が回って、彼女は私の方を見る。
「オキャクサマハ、オカエリデスカ?」
「ええ、そうね。コーラルちゃん。カーマイン様は中にいらっしゃるの?」
「オラレマス」
「じゃあ、入らせてもらうわね」
「リョウカイ、イタシマシタ。ワタシハ、ジュンカイヲツヅケマス」
アルケニーと呼ばれる魔物……を模した自動人形のコーラルちゃんが、かくんとまた頭を下げて、カツカツカツと、規則正しい足音を立てて去っていく。顔はかわいらしい少女なのだが、下半身は蜘蛛の彼女はここの警邏担当で、対侵入者用の仕掛けの一つだった。
日本でもいい年した大人の男の人が、女の子のお人形を作るのが趣味って言ったら、大抵はドン引きだったからねー。汚屋敷だし、趣味以外に興味はないって、顔が良くてもお金持ちでもプラスマイナス差し引きしても、マイナスが大きすぎてやっぱりマイナスだ。(イケメンは除く)の但し書きは付かない。
それに日本人の私から見ると十代後半だったけど、あの二人は下手をしたら十代前半だったかもしれない。とすると、三十過ぎのおっさんのカップルじゃ普通に犯罪だ。あくまでも日本の法律だけど、淫行罪で捕まる。
「お嬢様方、多分姉妹だったんでしょうけど、いくら高スペックだってあれと親戚になるよりは絶対いいのが見つかるから」
私は心の中でお嬢様方にそっと合掌した。