プロローグ その3
俺に母さんはいない、五年前に買い物に出かけたきり行方不明になってしまった。
見つかったのは履いていたサンダルの片方と買い物袋だけ。
五年たっても母さんとの出かける間際の会話が頭から離れなかった。
『行ってくるわねベリちゃん、何か欲しい物なぁい?』
『無い、早く行けよ、腹減った』
それが母さんと交わした最後の会話だった、当時の俺はゲームばかり、母さんが出かける時もゲームに興じていた。
警察に捜索願いを出したり、探偵に高い金を払っても帰ってくる言葉は同じ。
手掛かりがない、申し訳ありません。
その時から親父は胃腸が弱くなった、精神的にも体力的にも、弱くなってしまった。
今は俺と親父だけで生活している。
親父が行方不明になってしまう事だってあるかもしれない、だから俺は別れ際の言葉だけは大事にしている。
「親父」
「ん……? どうした……」
「気を付けてけよ、いつもありがとうな」
扉越しの会話、顔を合わせてこんな事が言える程俺はまだ人間出来ちゃいない。
「あぁ……こちらこそだ、お前も気をつけて行け……それじゃあ行ってくる……」
きぃ……がちゃん……
扉の向こうで扉が閉まる音が聞こえた。
解放運動を終えた俺はゆっくりとトイレから出る。
母さんは死んでなどいない、どこかで必ず生きている。
そう信じていた、この世界のどこかで、今は帰って来れない理由があるのだと。
それは親父も同じだった、いつ帰って来ても良いように毎日母さんの私物やドレッサーを綺麗にしている。
俺は学生鞄と部活で使う木刀を手に取り、誰もいない家に向かって呟く。
「行ってきます、母さん……」
玄関をくぐり、鍵を閉め、しばし祈る。
毎朝行っている秘密の儀式、祈りが届けば母さんはきっと帰ってくる。
そう、思っていた。
「早く……帰ってこいよ、母さんの作った鶏のから揚げが食いたい、親父が作ってくれるけど、母さんにはまだまだ至らねぇ……」
くるりと家に背を向け、雲ひとつない空に向かって俺は語りかけた。