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8.

 目覚める前のまどろみに見る夢は、決まって、視力を失う最後にみた画。

網膜に焼きついた微笑。

 吸い込まれるような漆黒の瞳が闇の色を帯び。

 ちいさな唇を、歪めて笑う。


――お前の目、貰う。


 鼓膜にこびりついた声。

 体中の細胞に事細かに刻印され、一生涯、消せないものと思っていたのに。


 怒りのあまり笑った小顔がぐにゃりと歪むと、まあるい信楽焼の狸にすり替わった。

 間の抜けた顔で、首をかしげて。

 とぼけた黒い瞳をきょとんとさせている。

 そのお惚けぶりは、ひどく、愛らしい。


 紺野溝近は自分の笑い声で目を覚ました。


 大きなキングスサイズのベッドで上半身を起こして、枕もとのコーヒーメーカーにカプセルをセットして、エスプレッソを淹れる。

 目は見えないが、身の回りのことはひと通り自分でできるようにしてある。

 室内の家具から、クローゼットの中身、下着の位置、使用人には口やかましく言って、形も色も把握できるようにしてあった。


 うっすらと感じる日差しからすると午後か。

 仰々しい肩書きはいくつか所持しているが、事実上、どこの組織にも所属していない溝近は、気ままに起き、寝て、遊べる自由人だ。この自由も視力を失った時に得たもののひとつ。まあ、引き算をすれば失ったもののほうが圧倒的に大きいが、得た自由は最大限に満喫することにしている。


 濃いエスプレッソの苦みを味わいながら、枕元に置いた信楽焼の狸を引き寄せ、ざらついた耳たぶを指の腹でねっとりとなぞった。

 この信楽焼の狸を身近に置くようになってから、極上の目覚めを得るようになった。

 あの日から片時も消えなかった悪夢が、コミカルで馬鹿馬鹿しいタヌキの像にすり替わった。


 信楽焼の狸のくびすじにキスをすると、そのまま持ってシャワールームに入る。

 熱めの湯を勢いよく浴びながら、ボディソープを泡だてて狸の全身を洗ってやる。あごの下を指で丹念にぬぐい、ふくよかな乳房、ふくらんだ腹、大きい陰嚢を泡で洗い、丹念に注ぐ。

 仕上がりに満足をして狸のおちょぼ口に口づけした時、シャワールーム内のインターフォンが鳴った。フリーライターの鈴城美鳥がアポなしでやってきたと、溝近のボディーガードである〈(スナイプ)〉が早口で告げた。


「適当に追い返せ」


インターフォン越しに指示をする。「タヌキ」の存在を教えてもらい、長谷部時宗への嫌がらせ記事を書かせた時点で、彼女の利用価値は終了していた。今さら関わる理由はどこにもない。


「それが、彼女、例の架奏香紀の指輪をつけています」


 溝近は信楽焼の狸を振りかぶって、シャワールームの壁にぶち当てた。派手な音を立てて粉々に砕け散る。さらに手を壁に押しつけると破片が皮膚に食いこみ、手のひらに鋭い痛みが走った。


 架奏香紀が作るオリジナルのアクセサリーには、なんでも願い事がかなえられる不思議な力がある――それは半分は真実で、半分は幻想である。


 そもそもは溝近の曾祖母が少女時代、母から与えられた指輪に、外側にLiebeと刻印されていたことから始まる。

 紺野直系男子は紺良の神により、生まれた時から亡くなる時まで見守ってもらえる。だが女子にはなにもない。世上不安定な戦時中、疎開していく娘に母は指輪を与え、この刻印の指輪をもつ少女の望みをすべてかなえよ、と紺良一族に通達した。

 少女は無事に戦禍を生き延び、その後に紺良帝国の女帝になり君臨を続けた。その生涯、棺に納められ納骨される時まで、指輪を外さなかった。

 そして感謝の証として、「この刻印の指輪をもつ者の望みをすべてかなえよ」との通達を自分の死後も残すように厳命したのである。


 だから溝近は忌々しいことにその指輪を持つ者の望みを叶えなくてはいけない。

あの女の望みなどうんざりするほど分かる。こちらからは一向に興味がないのだが、昔からどういうわけだか年上肉食女子からは異様に喰いつかれ、ハンティングされ続けている。その度ごとに幼少時から、脊髄反射になるまでにババアどもに叩きこまれた「紺良帝国の貴公子」のマナーと礼儀で逃げ続けるのは、本当に、心底、精神的に著しく消耗する。せっかく得た自由を、なんでこんなくだらないことに浪費しなくてはいけないのだろう。


本当にっ。

あの「タヌキ」だけは、クソ忌々しいほど的確に溝近が一番嫌うことをつく。第三者には些細にみえながら、溝近の神経の逆なでするツボを知りつくしている。もしかしたらこの世の誰よりも溝近を愛しているんじゃないか、と邪推したくなるくらいだ。


「とにかく指輪を外させるしかないな、自分の意志で、自然に。どんな服装だ」

『服は着ています』


 溝近は壁に押し当てた手にさらに力を込めた。この連中は融通が効かない。とくにこの男は情緒障害かと思うほど。だが、今の溝近にとっては貴重な〈眼〉なのだ。大概の場合には役に立つし、信頼できるのだが、こうしたことには最悪である。


「色と形は」

『赤のようなオレンジのような女性の服です』

「そうではなく、スカートか、パンツか、スーツか、ワンピースか」

『さあ、あれはなんと言ったものなのだか。

ああ、昔のバブル期にはああいった女性を多く見た気がします』

「分かった、もういい、靴は」

『履いています』


 怒鳴りそうになるのをようよう堪え、おおよその服装を確認すると、次の指示をスナイプへ与えた。


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