6.
店にいたのは銀髪にエメラルドの瞳の、作り物のような美少年だった。たしかに年のころはタヌキと近そうである。
坊ちゃん校として有名なクレマティス学園の制服をパリッと着ている。足が悪いのか松葉づえをつきながら、エメラルドの瞳をうるうると潤ませ、泣きそうな顔になった。
「だからあ、パパに怒られちゃう、前だって怒られたの、カイ、見ていたじゃない」
「大丈夫、大丈夫、僕が説明するって。
だから香紀作ってよ、お願い、一生のお願いだから」
「そんなぁ」
銀髪の少年が困った顔で、ちらりと美鳥を見上げた。
どうやら桃城山のタヌキは店の息子らしいこの少年に、こっそりアクセサリーを作らせるつもりらしい。
横流しての副業か。
マージンをどれくらい取る気だろう。
怪しげなグッズではないが、どう見ても、半端な金額の品物ではなさそうだ。
店内のショーケースに並んでいるのは、最先端のカットとデザインの品々。
数百万どころではない価格帯と見積もる。
馬鹿馬鹿しくて話にならない。
「あのさあ、ちょっと、こんな店のモノ買えるわけないでしょ、しかも父親に黙って横流しって、タチ悪すぎ。
キミもさ、友だち選びなよ。
こんな桃城山のタヌキに騙されちゃだめだからね」
「タ、タヌキ……?」
銀髪の少年がエメラルドの瞳をぱちくりさせた。
「タヌキ? カイ、タヌキになったの? なんで、いつから?」
「またまたぁ。美鳥ちゃん、クチが悪いンだからあ。
違うの、あのね、美鳥ちゃん、溝近さんと仲良くしたいんだって、だから香紀手伝ってあげて。
それだけ。
それくらいならいいでしょ」
「うーん」
銀髪の髪をさらさらと揺らして、少年は考え込んでいる。
どういうことだ?
この少年も紺野溝近の知り合いなのだろうか。
「キミ、溝近さんを知っているの?」
「ええと、うん、生まれた時から知ってるけど……」
「あ、なるほど、親戚なんだ」この銀髪の少年が生まれたときから溝近が身近にいたのであれば、相当に近い親戚なのであろう。どうみても日本人には見えないが、紺野溝近の長身や体躯も日本人離れしている。
「そんな感じ、かなあ……?」銀髪の少年が曖昧にうなずく。
思わず背筋が伸びる。
紺良帝国が背後にいるならばこの店構えも立地も納得である。ならば将来、紺野溝近夫人としてつきあって行かなくては相手だ。桃城山のタヌキはそれが分かっていて連れてきたのだろうか。
ええと。
こういう場合はどう振る舞うべきだろう。
まず商品の横流しをさせるのは問題外。
あと、おカネがないのも先に言った方がいい。
貧乏を恥じることはない。
むしろ金持ちは、どういうわけだか堂々とした貧乏人に恥じたりするのだ。
「あ、私はこれで失礼するから気にしないで。
お父さんに怒られるようなことしちゃダメだから、それに全然おカネないの。こんな店、入れない身分だから。
邪魔してごめんね」
銀髪の少年がびっくりしたように顔を上げた。
「え……。
身分だなんて……。
香紀、お店には誰にでも入って来てもらいたいの。香紀のアクセサリーをつけてもらいたいの」
タヌキの友人にはもったいないほど、心根のいい少年のようだ。さすが紺良一族のことはある。
「その気持ちは嬉しいけど、現実にやっぱり先立つものがないとね」
「そんなぁ、ええと、ええとねえ、香紀は安いのも作れるよ、ウン、頑張る」
「いやいや、それにしたってケタが違う」と苦笑する美鳥を、タヌキが押しのけた。
「それ、その安いのでいい、メチャ安くていいから、作って。
……美鳥ちゃん、おカネ、おカネ、早く香紀の気が変わらないうちに」
「だからおカネ無いって言っているでしょう、ほらっ」
破れかぶれになって、財布を取り出した。子どもが持つようなナイロンの、ボロボロの財布。しかもお札は千円札一枚しか入っていない。バブル期に買いあさったブランド物の財布はすべて質屋に売りつくし済である。
銀髪の少年が心底困った顔になる。情けないのはこっちも一緒だ。
「うっそお、アラフォーのおばさんがコレ? コレってありぃ?」
「キミに生活費巻き上げられてサ。ほんっとーに、大変なんだけど」
「むぅぅぅぅぅ」よし、とタヌキは声を出すと、ポケットから折りたたんだ五千円札を取り出した。前に美鳥からぶん取ったカネだろう。「香紀、これでどうにかなる? 美鳥ちゃん、上手くいったら百倍返しだからね」
「そりゃあ、何だってするわよ、百倍返しでも、千倍返しでも」
実際に、紺野溝近夫人になれるならカネをいくらでも払う女はいるはずだ。それだけの価値がある。
だが、自分は違う。
その地位が欲しいのではない。
紺野溝近と言う男、心響きあうような会話、以心伝心の気持ち良さ、彼だから、紺野溝近だかいいのだ。
やたらと綺麗な男性店員が出てきて丁寧に挨拶をして、美鳥に伝票とペンを渡した。条件反射で左手薬指を見ると、指輪がはまっている。
鈍い銀色の、シンプルだが品の良い加工で、男のイメージと良く似合っている。
「その指輪いいですね、上品で、すごい素敵」
「ありがとうございます、香紀が作ってくれたんですよ、ね、香紀?」
男性ははにかんだ笑顔で、左手薬指をみせてくれた。男性にしては綺麗な指だ。指輪の似合う手である。
「ええ、本当に素敵、すごいなあ」
美鳥が心底感心すると、銀髪の少年がかあっと真っ赤になった。
はにかんでもじもじとしている。
「あー、香紀、照れてる、照れてる」とタヌキは揶揄して、美鳥をひじでつついた。「香紀、溝近さんと仲良しだよ、聞きたいことがあるなら聞いとけば」
「溝近さん? なに? 香紀よく知っているよ」ぱっと香紀は嬉しそうに顔を上げた。
「ええと、食べ物とかお酒の好き嫌いとか、アレルギーとか」
「そうじゃないでしょ、カノジョいるかとかでしょ」
「カノジョ……?」銀髪の少年は真剣な顔で考え込みはじめた。「溝近さんのカノジョ……そういえば見たことなぁい、うーん、いつも男のコとしか一緒にいないからぁ、カノジョ、カノジョ……うーん、そういえばこの前見合いをさせられそうになったからラスベガスに逃げたとかで、おみやげもらったけど、ア、今度はねぇオーランドに行くからって香紀、誘われたんだけど学校あるからね、行けなくて……」
「へえ、今度誰とお見合いするの」興味深々でタヌキが身を乗り出した。「僕、美鳥ちゃんの為にぶち壊してきてあげる」
「大丈夫、溝近さん日本脱出するからって言ってたよ。誰だっけ、いつも相手が別の人だから忘れちゃう」
「ま、まあ、そりゃあ、お見合い相手はいつも違うものだからね……どんな女性が好みなのかしら」
「好み……」うーんと銀髪の少年は考え込んだ。「あんまり聞いたことはないけどぉ、そうそう、面食いってパパが言ってた」
「目が見えないのに?」思わず言ってしまう。
ぶふぅわぁとタヌキが吹き出した。ゲラゲラと腹を抱えて笑いながら、
「そうだ、そりゃそうだ、目が見えないのに面食いって、ありえねえーっ。
いい、いいっ、美鳥ちゃん、ナイスっ」
「ちょっとねえ、キミに褒められたって……て、そもそもキミ、誰なの」と言って、美鳥ははっとなった。「まさかキミも紺良の関係者」
「違う、違う、それは違うよお」とタヌキは必死になって手を振った。
「カイ、違うよ」と銀髪の少年も生真面目な顔で言う。カイ……カイ、ねえ、と頭の中で検索をする。名字でも名前でもどちらでもある名だ。とっさに浮かぶのは「甲斐」だが、ピンとくる人物がいない。香紀はエメラルドの瞳を細めてにっこりとする。「カイは香紀の友だち」
「だよねえ、仲良しだもんね」
「うん、香紀、カイ、だーいすき」
「僕も香紀だーいすき」
幼稚園児並みの会話でガキどもがいちゃいちゃと手を繋いでじゃれている。
大学生にしてはいささか幼稚すぎやしないだろうか。
さすが山の中の学生だけあって、あまりにも世間ずれしているのだろうか。
「仲良くていいですね」
美貌の店員がにっこりと、保父さんのように微笑んで言った。