3.
コンノミゾチカ……。
コンノ。
紺野? って紺良グループの?
「まさか、あの紺野溝近?」イキナリ出てきた名前に面喰った。表の世界では、紺良会長の孫息子として有名。だが、それ以上に裏の世界では派手な遊び人として名が知れている。相当ヤバいこともやっているという噂の実力者。
美鳥も名や噂を聞いたことはあっても、面識も、関わりも持ったことはない。
「へえ、知ってるんだ。そりゃあ、すごい。おばさん只者じゃないね」黒髪チビはにやにやと笑いながら、両腕を組んで、人を食った口調で言う。
「ちょ、ちょっと、まずいよ」長身の少年があわてて黒髪チビの服をひいた。ということは、こっちの少年も紺野溝近の名を知っていると言うことだ。この慌てぶりからして、嘘や出まかせではないようだ。
「紺野溝近が……まさか、この件に関わっているの?」
「さあ、僕、知らない」
「言いなさいっ」
思わず両手で机を叩いて立ちあがった。
すごい。
すごいネタだ。
あの紺野溝近がこの件に関わっているのなら。
殺人だってなんだって、あって不思議はない。
黒髪チビは手を突き出した。
しぶしぶと千円札一枚を出す。
黒髪チビは苦笑いした。
「イマドキ小学生だって千円じゃあなにもしゃべらないよ」
「将来、ろくな大人にならないわよっ」
万が一の為に持って来た、なけなしの五千円札を出す。一か月の食費代を超えている。手が震える。鈴城美鳥とあろうものが情けないが、これが今の現実だ。
黒髪チビが取ろうとした瞬間に、手を引く。
「ちゃんとしたネタなんでしょうね」
「どぉだろ」
「先に言いなさいよ」
「別に、大したことじゃないよ、教授も本に書いていないし。
でもねえ、水戸部がおかしくなったのって、紺野溝近と会うようになってからだよ」
「水戸部鉄士は紺野溝近と会っていた……?」
美鳥は茫然となった。
こんな地方の一学生が会えるはずの男ではない。
美鳥の全盛期ですら、名や噂を聞くだけ、社交場、クラブ、遊び場、どこでも接することもできなかった。直接会った、と言う人とすら会ったことがないくらいだ。
ヤクザやマフィアよりも血も涙もないとも聞くし、どんな犯罪でももみ消すとの噂だ。麻薬や銃の密売、人身売買、殺人ですら行っていると言う。
一方で、紺良帝国をバックに世界中で派手に遊び回っているとも言われるし、青年実業家として辣腕をふるっている実績もある。
そのくらい謎だらけの、危険な男だ。
(なぜ、水戸部鉄士が?)
(紺野溝近と会ってからおかしくなった?)
考え込む美鳥の手から黒髪チビはさっと五千円札を奪って、べっと舌を出すと、長身の少年を引きずるように出ていった。
ひとり残され、ぐるりと空っぽの教室を見わたす。
ここに美鳥一人を残していった以上、大したものは置いていないのだろう。
もともと鍵がかかっていないくらいだから、貴重品もないに違いない。
ずらりとならんだ辞書や史書、全集。古いものもあれば、同人誌らしい色褪せた郷土史書もある。
生徒たちのレポートをめくっていくと、水戸部鉄士のものがあった。几帳面な大人びた筆跡だ。無難にまとまり、評価は普通に褒めてある。
反対に殺害された少年少女のレポートは独創的な文字で、誤字脱字だらけ、文章も支離滅裂だったりするが、意外にも内容に芯と独自性がある。朱字でびっちりと指摘と添削がされている。指摘は厳しいが、的を得ているし、指導者としての愛情を感じる。
物書きの眼で見ると、個性ある生徒の才能を生かしてやりたいと言う指導には共感する。一方でこじんまりとまとまってしまった水戸部が、その扱いの差に傷ついたのも想像できる。
でも、だからと言って人を殺すか?
普通ならゼミを変えるとか、大学を変えるとか、出席を止めるとか。
ましてや、このレポートを見ても水戸部鉄士は常識や教養のある、しっかりとした少年のようだ。
忍耐力もあるだろうし、総合的な判断だってできるだろう。
ましてや相思相愛で、将来を約束した可愛い彼女もいたのだからこれくらいで人を殺すとは考えにくい。
やはり、なにかある。
生徒たちのレポートを片づけて段ボールに押し込んだ時、本棚の隙間にパンフレットがあるのに気がついた。カラー刷りの華やかなパンフレットで、このゼミ室には不似合いである。中を開く。
――これかっ。
全身が震えた。体中の血液が沸き立つ。
見つけた。
ついに見つけた。
紺良宇宙科学技術大学(仮称)の案内書だ。
代表者名が紺野溝近となっている。
パンフレットを読むとすでに開校時期を過ぎているが話を聞いたことはない。すぐにスマートフォンで検索をした。ひっかかってくる情報は少ない。リーマンショックの余波で開校延期となったという記事くらいである。
宇宙開発。
ああ、流行ったよなあ、と苦笑いしたくなる。
ヒルズ族、IT長者がこれからは宇宙事業の時代だとやたらに壮大な話をしていたが、リーマンショック後、急速に話がしぼんで今ではほとんど聞かない。
要は小学校の時にガンプラに夢中になった、オタク少年たちが濡れ手に泡のアブク銭をつかんで、調子に乗っていただけなのだ。
でも。
桃城大にいることに苦痛を感じていた水戸部鉄士からしたら?
紺良宇大、もとい紺野溝近の背後に紺良帝国と称される莫大な権力と規模を誇る経済集団がある。
常識と教養のあるこじんまりとまとまった秀才は、目に見えるもの、権威者、実力者になびきやすい。
骨格が見えてきたような気がする。
あとは肉付けが必要だ。
だが、紺野溝近?
あの紺野溝近だ。
長谷部時宗より難易度はずっと高い。
文字通り。
命がけになりそうだ。