11.
「今朝、本店から届いた新作です。
まだ店頭には並んでいません、国内だけではなく海外でも」
恩着せがましく言って、店員はケースを開いた。
ああっ、と美鳥は思わず声を上げた。
思わず身を乗り出して、覗きこむ。
幅広の指輪には、細かいダイヤがはめ込まれ、ルビーやエメラルドのやはり小さな粒でさまざまなモチーフが描かれていた。
薔薇の指輪もあれば、ユニオンジャックの指輪もあり、ティディベア、音符と言った遊び心もあるモチーフもある。
存在感はあるが、精密で、そのくせ悪戯っぽい子どもっぽさもある。
眼がチカチカとくらみだす。
キラキラと輝く宝石の絵画に、思わず手をのばしてしまった。
女店員が満足そうにうなずいた。
「お試しになります?」
「え、ええ」
ごく自然に女店員は美鳥の左手を取り、「あ」と短く声を上げた。
薬指にはちゃちなファンシーリングがはめられていた。
お守りの指輪であるが、このブランドの指輪とは格があわない。次元が違うのである。
女店員は困惑した顔で、美鳥を上目づかいに見る。
女同士、彼女の考えていることは手に取るように分かる。
この指輪は紺野溝近がプレゼントするようなクラスのものではない。だから美鳥には別にオトコがいるはずだ、安っぽい、ファンシーリングをプレゼントするような男、それを溝近が目が見えないのをいいことに、騙して貢がせようとしている――ちがうちがう、そうじゃない、そうじゃないんだって…………!
「どうかしました?」
いぶかしげな顔をして、紺野溝近が身を乗り出した。
女店員が息を止めたまま、困った顔をしている。悩んでいる。美鳥の指輪のことをこの場で言うべきか……でも、言えば、また溝近の機嫌を損ねる。所詮、店員と情得意の客の中ならば、真実がどうあれ、客の機嫌を取っておきたいのだ。
美鳥は音も立てずにファンシーリングを引きぬいた。
抜いた瞬間、これがお守りだったことを思い出した。
しまった、という後悔が脳裏をよぎる。
すべてが消えてしまう。
グリムの寓話の一節を思い出す。
眼先の欲にくらんで、すべてを失う教訓だ。
溝近が即座に去ってしまう。
女店員が態度を豹変させ、「貧乏人」と嘲笑って美鳥を店から叩きだして――だがなにも起こらない。
「あまりにお美しい手なので、びっくりしてしまいました。申し訳ありません」
女店員はさらりと言うと、美鳥に悪戯っぽく目くばせした。共犯者の瞳である。
これが現実だ。
そう、これが現実だった。
こんな小さな安い指輪に、運命をねじ曲げる力なんかない。
すべて美鳥の実力。
美鳥のいままでの努力によるもの。
いい年をして、子どもじみていた妄想に怯えていた自分が恥ずかしくなってくる。
女店員は美鳥が選んだ、薔薇の花のモチーフの指輪を、恭しく指にはめる。左手の薬指。なにより紺野溝近からの贈り物であることが嬉しい。価格は7ケタだ。こんな指輪。本命以外の誰に贈ると言うのだろう。冗談で贈る品物ではない。
「見せてください」
紺野溝近が手を差し出した。良く分からないまま美鳥が手を乗せると、もう片手でそっと美鳥の手の上をなぞる。
背筋に快楽が突き抜けた。
ぞくぞくするような指使いである。
――ああ、ここはホテルなのだと脈略もなく思い出す。ホテルで指輪をプレゼントして、食事をして……すぐには帰らないだろう。バーで一杯? それとも溝近の手回しの良さならば、夜景の美しい部屋をもう押さえているのだろうか…………。
紺野溝近は美鳥の手を撫でながら、くちびるに微笑を浮かんだ。
男臭い、癖のある笑みである。
その横顔を陶然と見つめていると紺野溝近が立ち上がった。
美鳥に向かって曲げた腕を突き出す。
「そろそろ予約の時間です。行きましょう」