1.
フリーライター鈴城美鳥は見事な負け犬である。
カネない、仕事ない、男ない。
ないないない尽くし。
大東京の片隅の、築五十年の木造アパートのすすけた和室でタンクトップ姿であぐらをかき、首に巻いたタオルで汗をふきながら、卓袱台で背をまるめている。わずかなアフィリエイトの収入を当てにして、型落ちのPCでブログに罵詈雑言の社会批判をかき続ける。
アラフォー女子と言うより、四十路婆ァの単語がぴたりとはまる。
異常気象の真夏の真昼。
真南に窓があり直射日光が差し込んでいる。赤いチェックの木綿布を吊り下げただけのカーテンは、明かりとりの為半分開けて、部屋は発火しそうな気温と湿度。
すすけたガラス戸を全開にしても、無風で、空気はぴくりとも動かない。節電の為にエアコンを切っているのではない、念のため。エアコンなんてないのである、元から。
美鳥は汗が眼に入るのを左腕でぐいとぬぐい、色褪せた畳に飛び散らした。首にかけた景品のペラペラのタオルですっぴん顔を拭う。女を捨てた、おやじ姿である。
だが、よくよくみると鼻筋が整った顔立ちだ。
眉は綺麗にアートメイクされているし、かけている眼鏡のフレームもブランド物。贅肉のない引き締まった二の腕をしている。
ひどく……。
ひどく、バブルの残り香の匂いのする女である。
本日の出来ごとの罵詈雑言をアップすると、美鳥は湿った万年床に突っ伏した。
ずるずるとやかんに手をのばし、汲みおきしただけの水道水をがぶ飲みする。
ショートパンツもタンクトップも汗で絞れるほどに濡れ、皮膚にべったりと張りついている。冷水迸るシャワーを浴びたいと体は欲求するが、ぼろアパートの水は日中は湯だっているし、だいいち水道代がもったいない。
田舎に帰ろうかなと、一時間に一度は考える。だが、豪雪地帯の兼業農家の実家では両親もすでに亡く、嫂に実権を握られて居場所はない。地元で、ふたまわり年上の男寡か、ロシアか中国から花嫁を買おうとしている童貞五十男に嫁いで農作業と家事に追われて地味に生きていくくらいだろうか――それならまだ東京で飢え死にした方がましだと自分に言い聞かせる。
バブル時代には一世を風靡した辛口コラムニストだ。本も出したしテレビにも出た。調子に乗って起業もした。アッシー、メッシー、ミッシーを使い分け、芸能人もどきやヒルズ族とも寝ずに遊び回った。
独特の切り込み方と文章力は自信がある。
だがバブルがはじけると雑誌は相次いで廃刊され、生き残った雑誌は安くて中身がなくて若いコラムニストを使うようになった。プライドが高く単価も高くスポンサーにも噛みつく美鳥は今や邪魔者、厄介者、収入は最盛期の一%まで激減している。
これもそれもあれもどれも、天下り官僚やら大企業やら詐欺師まがいの政治家やらとにかく金持ちの権力者が既得権益を手放さないせいだ。だから日本は弱体化し、弱者に厳しい社会となった。
自分は犯罪者ではない。電力会社や官僚よりもよっぽどまともで社会に役立つ人間だと自負している。一度は成功しているのだから才能もあるはずだろうし、度胸もある。それでまっとうに生きているのに、 なぜこんなに惨めで不安なのだろう。
社会が悪い。なにもかもが社会が悪いと、勝ち組に、成功者に、権力者に噛みつくと、それなりに負け犬たちの支持賛同を得てアクセス数は確保できるが、その分だけ自分自身に惨めさが増していく。
虚しい。
すべてが虚しい。
じっとしていると汗が噴き出してくる。
ごろんごろんと狭苦しい六畳の和室を転がって、部屋の隅においやっていた分厚い単行本に手をのばした。
いま抱えている仕事はこの本の書評を書くことだけだ。
顔見知りの編集者に居留守が使われることの多い中、押しかけに押しかけ押しかけたおして、ようやく手に入れた仕事だが、気がのらない。
長谷部時宗著『21歳』
一か月前、茨城の桃城大のゼミで連続殺人事件が起きた。殺人犯の生徒はゼミ仲間や幼馴染を殺し、恋人に重傷を負わせ、自殺した。
長谷部時宗はそのゼミの指導教官である。
小説と言うよりはノンフィクションのルポタージュに近く、二十一歳の少年の心の闇を指導教官として克明に記録し、被害者遺族も加害者遺族もこの著書により「救われた」と感謝しているという名著――いかにも胡散臭い。
マスコミも長谷部時宗がノーベル文学賞を受賞した知の巨匠と言われる文化人で、政府関係の要職も歴任している経歴、被害者遺族への考慮などの事情により、この本を名著として扱っているし、事件の話題性もあり、ベストセラーになっている――気に食わない。
なにより気に食わないのが、「他にない独自目線での鈴城美鳥らしい書評を、でも、批判、非難は一切含めないように」と端から念押しされていることだ。
そもそも長谷部時宗という男は偏屈で偏狭で、胸糞悪い老人である。すでに日本国籍を捨てイギリス人として長くの間文学活動を行っており、イギリス人としてノーベル文学賞を取得した折、押し寄せた日本のマスコミに対し、一切の取材拒否をし、それでも群がる報道陣に「Shame on you, Nip!」と怒鳴りつけて背を向けた。
当時学生の、初々しいジャーナリスト志望の純情乙女だった美鳥はその映像に毒々しさに、熱を出して寝込むほどのショックを受けた。祖国の国民が悦び、熱狂し、祝福しているのになぜこの老人はこんな態度を取るのか。Nipという言葉の意味を知った後は、さらにぞっとした。Japよりひどい差別用語、日本人の残虐性を蔑み嘲笑って使う単語だという。同じ日本人のくせに、日本人を侮辱するのか。そんなに自分は偉いとでもいうのか。なにが違うのか。
美鳥の反体制、アンチ権威主義はその時に芽吹いたものである。
そんな男に対してのヨイショ記事を書くまでに落ちぶれたのだ――悔しい。心底悔しい。
本を開く。
見ただけで、暑苦しく、汗が噴き出す。
嫌がらせのようにページが真黒になった、漢字ばかりの漢詩のような文体である。三行ばかり読んで頭が痛くなる。この本がベストセラーになったというが、本当に皆が読んでいるとは到底思えない。ネット上ですら批判的なコメントが出て来ないのは、話題性で買ったものの、誰もまともに読んでいかないからではないだろうか。著者が知の権威者と呼ばれているだけに、意味が分からないというのが恥ずかしく、褒めているだけではないのか。遺族たちが感謝しているのも、お経をありがたがっているようなものではないのだろうか。
――だいたい、なぜ、この時期にこんな本を出版したのか……。
知名度の低い田舎の教授のなら売名行為、金儲けとも考えられるが、長谷部時宗は偏屈で、むしろマスコミ嫌い、かつ、日本嫌いである。著作物も日本語で発行したのはこれが二冊目。いまでも著書の出版は英国で行い、コラムやエッセイもすべて英語で書いている。
その長谷部時宗がこの本を事件からわずか一カ月で書きあげ、出版したというスピードも不思議である。まがりなりにもこれだけの文字数であることを考えると余程急いで、昼夜を惜しんで執筆したはずだ。ひどく奇怪な感じがつきまとう。
(なにか切羽詰まった事情があったのか? この本を急いで出版しなければならない特別な事情が)
その考えに、不意に背筋がぞくりと震えた。
室内の気温が急に下がったように、全身が寒さを感じる。
一気に汗がひく。
美鳥は起きあがり、万年床の上にあぐらをかいた。
脳の片隅が異様に冴えてきた。
全身が引き締まって、びりびりと緊張している。
最盛期の時の感覚だ。
このネタは売れる、売れないを嗅ぎわける博打のような勘。
ぶ厚い単行本を前後左右からひっくり返して眺める。
この本の内容そのものには意味がないはずだ。なぜならこの本そのものがめくらましだから――と美鳥は推測する。
それらしきことを書いただけの駄文が続くはずだ。
だが、何のために?
事件から眼を逸らしたい?
もしくは事件を終わったことにしたい?
――真犯人は別にいる。
直感が脊髄に響いた。
本を持つ腕が震えだした。
ただの勘。
推測でしかない。
でも、それならば美鳥の中でしっくりとパズルが組み合う。
その真犯人を長谷部時宗は知っている。
そして真実を覆い隠そうとしている。
だから事件を終わったことにしたかった。
こんな仰々しい本を出して、権威者がそれらしきことを述べられれば、誰もが煙にくるまれて納得してしまう。
否。
世間を納得させ、飽きさせ、事件を風化させたいのではないか。
美鳥の魂には、「Shame on you, Nip!」と怒鳴りつけて背を向けた偏屈な老人の背の映像が、今なおどす黒く残っている。
あの背に「お前こそ恥を知れ」と蹴りを入れられれば、なにかひとつ、道が拓けるかもしれない。
なにより。
これはウれるネタの予感がある。
いざとなれば、それらしき情報を集めてねつ造してでも売ってみせる……。