美しき者たち :約6000文字 :SF :宇宙人
その日、その国の人々は――いや、世界中の人間が、まるで初デートを控えた少年のように浮ついていた。
仕事はろくに手につかず、学校では授業が中止になり、主婦は赤ん坊を抱いたままソファに深く腰を沈め、誰もがテレビ・ネット中継に釘付けになっていた。
スポーツの試合やイベント、スーパーやコンビニ――果ては戦争さえも一時的に止まり、そのときだけは世界が同じ方向を見つめていた。
それも当然である。ついに史上初、宇宙人との邂逅の瞬間が訪れようとしていたのだ。
すべての始まりは、ある日宇宙局に届いた一通のメッセージだった。それは地球外知的生命体から人類に送られた初の通信で、しかも友好的な内容だった。
細心の注意を払い、やり取りを重ねた結果、彼らは間もなく地球を訪問すると告げた。これにより、ただでさえ宇宙人との初の接触に興奮していた宇宙局内はさらに沸き立った。
むろん、そんな歴史的事実を一国だけで隠し通せるはずもない。情報は瞬く間に世界中に広がり、各国政府は相次いで緊急会談を開き、宇宙人を迎え入れる準備に追われることとなった。
外交上の取り決めから安全保障――当然、敵対する可能性も考慮に入れ、各分野の専門家を招集し、あらゆる事態を想定して対策を練った。
宇宙人によって着陸地に選ばれた国では、総理をはじめとする政府関係者が連日記者会見を開いた。急ぎ補正予算を成立させ、関連施設や警備体制の整備が凄まじい速度で進められた。もちろん、その過程で懇意の企業や友人たちへ税金を流し、肥えさせることも忘れない。だが、宇宙人を迎えるという一大事を前に――それも自国が選ばれたことに――国民はすっかり浮かれ、一部を除いてそんな話題を取り上げる者はいなかった。そのうえ、『始まる前から水を差すな』『今はそんなことを言っている場合ではない』といった論法によって、批判の声はあっけなく押し潰された。
その間も宇宙人との通信は続けられ、彼らの事情が少しずつ明らかになっていった。
なんでも、地球へやって来る人数は百名余りで、それが種族全体の生き残りだという。長い年月の間に人口が減少し続け、このままでは文明を維持できないと判断した。そこで彼らは意を決して星を飛び出した。新たな郷里を求めて宇宙を旅する、いわば宇宙難民だったのだ。
この事実が公表されると、人々の胸には深い同情が波打った。故郷を失い、暗い宇宙を当てどもなく旅することがいったいどれほど心細いことか。種族が違えど、その不安や喪失感を想像することは難しくなかった。
しかし、その一方で不安もまた静かに広がっていった。
おそらく彼らはこの星で人類と共に暮らすことになるだろう。だが、文化も倫理観も生態すらも異なる存在だ。食事や睡眠、主義、趣向――噛み合わない点が多くあるに決まっている。人類同士でさえ文化や価値観の違いから衝突するのだから、まったく別の星の生命体などなおさらである。
あちら側に歩み寄る意思はあるのか。仮にあったとしても、衝突や摩擦が生じないとは断言できない。こちらが善意で差し出したものを相手が侮辱と受け取る可能性もある。その逆もしかり。果たして本当にうまくやっていけるのだろうか。
ネット上では歓迎ムードが多数を占める一方で、『受け入れるべきではない』『資源を奪われるだけ』『すぐに追い返すべきだ』『いっそ殺してしまえ』といった過激で排他的な意見も飛び交っていた。
そうして世界中が期待と不安と入り混じった熱気に包まれたまま迎えた当日。
雲一つない青空に巨大な楕円形の飛行物体が姿を現した。
その瞬間、着陸予定地点を埋め尽くしていた群衆は一斉に空を指さし、悲鳴にも似た歓声を上げた。各国のテレビ局は揃ってカメラを空に向け、映像をリアルタイムで世界中に配信した。各家庭のテレビやパソコン、街頭の大型ビジョンやスマートフォン、そして人々の瞳そのすべてに同じ巨大な船体が映し出されていた。まさに歴史が動いた瞬間であった。
受け入れ準備は万全だった。開催国の総理をはじめ、各国の代表者や高官らが赤いカーペットが敷かれた特設のステージに整然と並んでいた。それだけでなく、その後方には各国を代表する美男美女の俳優やモデルたちが色鮮やかな花束を抱え、歓迎の笑みを浮かべて待機していた。
ステージ周辺は威圧的に映らない程度に警備を固め、医療班や技術スタッフも所定の位置で待機している。
着陸場では誘導員たちが誘導灯を振り続け、それに応えるように宇宙船はかすかな駆動音を響かせながら、ゆっくりと降下していった。
巨大な船体が地上に近づくにつれて、歓声は次第に小さくなり、誰もがその動きをじっと見守った。
やがて宇宙船が静かに着陸すると、人々はほっと息を吐き出した。どうやら無意識のうちに息を止めていたらしい。そのことに気づき、照れたように笑う者、口を開けたまま宇宙船を見つめる者、祈るように両手を組む者――誰もが宇宙船を凝視し、彼らが姿を現すその瞬間を見逃すまいと固唾を呑んだ。
無数のスマートフォンやカメラが触角のように掲げられ、世界中の視線が宇宙船の中央にある一つの扉らしい部分に集中していた。
ひとまず大きな事故は起きなかった。また、着陸の際に派手な演出もなかった。その場を満たしていたのは、まるで宗教的儀式の始まりを待つかのような静謐で厳かな空気だけだった。それがかえって人々を少し安心させてもいた。下手にけたたましい演奏や花火などを打ち上げて事故に繋がっては目も当てられない。大手広告代理店が用意した演出家を起用するのも、盛り上げ役にタレントを起用するのも好きにすればいいが、余計なことだけはしてくれるなと前々から祈っていたのである。
やがて、腹の底まで震えるような重低音が辺りに響き渡った。
直後、宇宙船の扉がゆっくりと開き始めた。開口部から淡く白い光があふれ出し、そしてついに、彼らは姿を現した――。
その瞬間、時間が止まった。
後になって現地にいた誰もがそう振り返った。
その場は水を打ったように静まり返り、誰もが目を見開き、口を半開きにしたまま数秒間停止した。否――現地の人々だけではない。テレビやネット中継を見守っていた世界中の視聴者たちまでもが画面の前で言葉を失っていた。
なぜなら――宇宙人たちの姿は、あまりにも美しかったからだ。
宇宙人の一人が一歩前へ進み、静かに一礼した。
その瞬間、それまで世界を覆っていた静寂は一気に破られ、大地を揺るがし、山を崩さんばかりの歓声が轟いた。
だが同時に、多くの人々がやや顔を伏せていた。彼らがあまりにも美しすぎたため、自分たちの姿形を無意識のうちに恥じてしまったからだった。
この歴史的な日を迎えるあたり、人々は少なからず美容院へ行ったり、服を新調したりするなど、いつも以上に身なりを整えてきた。しかし彼らを目の当たりにした瞬間、そんな努力は鏡の縁についた小さな水垢を拭くかどうか程度の違いでしかなかったのだと思い知らされた。
壇上に並んでいた俳優やモデルたちですら例外ではない。自分の容姿を誇り、心のどこかで勝者だと自認していたはずなのに、彼らを真正面から見つめ続けることができなかった。恥じらいを誤魔化すために、縋りつくように過剰なほど拍手や歓声を送っていた。
透き通るような白い肌。淡い黄金色に輝く髪。細くすらりと伸びた四肢。その姿にはまるで芸術作品のような完成された調和が宿っていた。確かに人型ではあるものの、『人間に似ている』などとはとても口にできないほどの隔たりがあった。
彼らを前にしては、神話の神々でさえ頭から足先まで布で覆い隠すだろう。すでに歓声は天を衝く勢いだったが、彼らが一歩歩くたびにさらに大きく膨れ上がった。軽く微笑むだけで地鳴りのような歓声が沸き起こり、手を振れば金切り声が空気を切り裂くように響き渡った。
特設ステージにたどり着くまでのわずかな距離で、失神した者や失禁した者が数え切れないほど続出した。それは彼らの美しさに圧倒された結果なのか、それとも自分の醜さに耐えきれなかったためなのかは、当人にも定かではなかった。
彼らは壇上に上がると、各国の代表者たちと順番に握手を交わしていった。そのたびに歓声の中にブーイングが混じった。もちろん、それは宇宙人へ向けられたものではない。彼らに触れた代表たちに対する――ただ触れたというだけのことで無意識かつ心の底から湧き上がった――純粋な嫉妬であった。
やがて、宇宙人の一人がマイクの前に進み出た。
その瞬間、それまで地響きのように続いていた歓声がぴたりと止み、会場はまるで全員が死んだかのように静まり返った。
「温かいお出迎え、誠にありがとうございます。地球の皆様」
事前の通信で言語データは送信済みだった。彼らなりの敬意なのだろう。開催国の言葉で、しかも驚くほど自然な発音で語られた。
本来なら各国代表には同時通訳が流れる手筈になっていた。しかし、イヤホンから翻訳音声は聞こえてこなかった。通訳を担当していた者たちまでもがただ呆然と彼らを見つめ、その美しい声を一音たりとも聞き漏らすまいと固まっていたからである。
もっとも、代表者たちもいつの間にかイヤホンを外し、意味を理解することよりも彼らの肉声そのものに聞き惚れていた。
宇宙人は終始穏やかな口調で、ただし切々と自らの歩みを語った。故郷の星が滅びたこと。長い放浪の果てにようやくこの星にたどり着いたこと。そして、どうか良き隣人として迎え入れてほしいことを訴えた。
その間、会場では誰一人声を発さなかった。感嘆の息を漏らすことも、咳払いさえもしなかった。唯一響いていたのは、どさり、どさりと失神した人々が地面に倒れる音だけだった。
スピーチが終わり、宇宙人が静かに一礼すると、ようやく――それでも通常よりずっと遅れて――堰を切ったように拍手と歓声が爆発した。
――彼らとなら、きっと大丈夫だ。
誰もがそう確信していた。
見た目や声だけではない。立ち居振る舞いや視線の配り方、歩き方や表情――そのすべてが洗練されており、そこから滲み出る気品こそが彼らの内面までも高潔である証左だと誰もが信じて疑わなかった。
その後、宇宙人たちとの協議を経て、彼らは主要各国に分散して移り住むことが正式に決まった。
表向きの理由は、各国が平等に彼らと交流できるようにすることと、保護体制を分担するためとされた。一か所に集めれば、テロや伝染病などによる全滅のリスクが高まる。だがそれは建前に過ぎず、実際には彼らという圧倒的な存在を一国だけに独占させるわけにはいかなかったのである。
もっとも、それは政治的な駆け引きというより、ごく単純な嫉妬心から生まれた考えであった。
ただでさえ数が少ないのに引き離すのは酷ではないかという意見も少なからず上がったが、当の宇宙人たちはその提案を快く受け入れた。むろん、不満があったとしても保護される立場である以上、強く異議を唱えることは難しかっただろう。だが、むしろ彼らはそれを望んでいた。
というのも、彼らは多くの国々と幅広く交流し、子を成したいという。
その後の遺伝子検査で、彼らのDNAは極めて柔軟な構造を持ち、地球人との生殖が可能であることが判明した。
この事実が公表されると、世界を覆っていた熱狂はさらに激しさを増した。
いったい誰があの美しさをものにするのか。やはり芸能界の美男美女なのか。それとも世界有数の資産家か。あるいは天才的な頭脳の持ち主か。スポーツ選手、将棋やチェスの名手、オリンピックメダリスト、子役出身で今やCM起用ランキング一位のタレント――いや、地球人の美意識で宇宙人の価値観を測れるはずがない。案外、これまで不細工と評されてきた者たちが……などと根拠のない憶測が飛び交い、テレビや新聞、ネットはその話題でもちきりになった。
人々はこれまで以上に自分の外見を磨くようになった。美容外科には予約が殺到し、ジムや脱毛、歯列矯正、スキンケア、ファッション、香水に至るまで美容関連産業は空前の活況を迎えた。
人々は常に目を光らせ、彼らがどこに姿を見せると聞けば、予定を投げ捨ててでも押しかけた。
やがて、ぽつりぽつりと婚約の知らせが届き始めた。
そのたびに人々は嫉妬で胸を掻きむしりながらも、同時に『地球人でも本当に選ばれる可能性はあるのだ』という希望を抱いた。
美への執着はますます社会全体に浸透し、人々の関心は自らを美しく見せることへ向かった。そうして国内外の緊張は徐々に和らいでいき、世界各地で燻っていた紛争の火種も煙を細くして消えていった。
しかし――。
「あ、あの……」
「はい」
「お、おひゅ……あ、おほん。失礼。いやあ、その美しさにはいつまで経っても慣れませんな。ははは……」
「ふふふ」
それから数十年後。彼らのために用意された広大な邸宅を訪れた総理は、照れたように笑いながら頭を掻いた。
宇宙人の女は頬にかかった髪を指先でそっと払った。たったそれだけの仕草で、総理はびくりと背筋を伸ばし、また照れ笑いを浮かべた。
「えー、その……実は先日、学者たちからある調査結果を見せられまして……」
総理は軽く咳払いをして、表情を引き締めた。
「それで、その……あなた方の文明が滅びた原因について、まだ詳しく伺っていなかったと思いまして……」
この数十年で、人類の美意識は異様なほど向上していた。誰もが頬骨を削り、鼻を高くし、目頭を切開し、瞼を二重に整え、植毛し、脂肪を落とし、皺を引き伸ばし、肉体を磨いた。そうした外見の改造は当然視され、むしろ何も手を加えない者は怠惰だと蔑まれた。
彼らと交流できる機会があると聞けば、人々はすぐに飛びつき、わずかな可能性にも執着した。何年経とうともあきらめず、美を磨きながらそのときを待ち続けた。いつか自分が選ばれる日が来ると信じて。
しかし、当然のことながらほとんどの者には、その機会は巡ってこなかった。
長い年月の中で希望は少しずつ擦り切れ、やがて諦念だけが胸に残った。それでもその多くは一人で生きることを選んだ。今さら“代替品”などと結婚しても虚しいだけだからだ。
叶わなかった初恋を大事に胸に抱えたまま生き、そんな誠実な自分を誇らしく思う。そうやって自分を納得させ、縋りつくしかなかった。
その結果、世界全体の婚姻率は年々低下し、出生率も落ち込んでいった。
「いったいどうしてなのです……?」
「美しい者同士しか結婚しなくなったのです。やがて血縁者ばかりとなり、全体数が減っていきました。その結果、文明を維持できなくなったのです」
総理の問いに、宇宙人は穏やかな笑みを浮かべて答えた。
その澄み切った微笑みに、総理もまた満面の笑みで応えた。




