蠱毒な人街
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咽せかえりそうなほど、熱く湿った夏の夕暮れ。路地の奥でうめき声が上がり、続いて何か重いものが倒れる音が鈍く響いた。
「よしこれで10日は保つ」
モソモソと呟いたのは、フードを目深に被った黒装束の若い女性。しかし、その背中からは、蜘蛛のような脚が8本生えている異形の姿だった。蜘蛛の足はショッキングピンクを基調とし、毒々しい黄緑の柄が蛍光灯のように光っている。そしてその側には、痙攣しながら倒れている若い男の姿があった。
彼女は天雲紬。『蟲人』と呼ばれる存在だ。『蟲人』は元々は普通の人間だが、虫のような羽や脚が生えてきてしまった者のことを指す。何故、このような変貌を遂げてしまうのか、原因は未だ不明。だが、一つだけ確実なことがある。
『蟲人』になった者は人間しか食べられなくなることだ。
「ヤメテ……、逃してク…レ。……親父が…オレ、世話しないと……。」
「ごめんね、お兄さん。私も食べないと生きていけないの」
固まった腕で地面を這って後退りながら、吃った命乞いをする男に、紬は謝罪を吐き出した。
「待ッテ……頼む。話合い……? そうだ、少しでモ……。」
「あはは。時間稼ぎ……?もうじき喋れなくなるのに」
紬は眼を一度閉じ、少し迷ったように見つめた。そして暗くした瞳で獲物を見つめた。
「いーよ。じゃあちょっとだけ。勝手に喋るから聞いてくれる?」
『蟲人』は蜘蛛の脚で獲物を囲いながら独を吐く。
「おにーさんはもし自分が『蟲人』になったら大人しく餓死を待てる派? 私は普通の人間だったころ、友達に公言してたよ。〔もし仮に、『蟲人』になっても誰も殺しません〕って。最悪、死体でも漁れば良いと思ってたんだ。」
淡々とした語り口。
「でもそれは現実的じゃなかったよ。そりゃ死体でもあげたくないでしょうね。本人も家族も。無理矢理奪ったらお巡りさんが来て『蟲人』がいるってバレちゃうし。もう少ししたら、まともなシステムとかも出来るかも知れないけどそれまでには私は飢えて死んでる。待てないんだよ。」
ちょっとだけ掠れた声で言葉を使を紡ぐ。
「もう慣れちゃったんだよ。殺すことにも、食べる事にも。命乞いを無視する事にも」
無感情な言葉を切った。そして一度、瞼を下ろし愉悦に満ちた顔を作る。
「連れて帰って大事に食べてあげる。すぐに死なれると腐るからしばらくは生きていられるよ。」
「アメぇてェ……。アーえ……!」
「うん。もう舌も回らなそうだね。もう話したくないからそのままでお願い。出来れば、呻かないようにして。麻酔もっと打っても良いんだけど、それだとすぐ死んじゃうよ?」
そう言って肉食の生物は、蜘蛛の脚の先端にある糸壺から白い糸を伸ばし、餌を絡めとる。
「美味しく食べてあげるから許してよ。」
その時だった。路地裏の奥から何かが歩いてくる音がした。
「…ッ。」
振り返り、身構えた紬。そこにいたのは高校生ぐらいの、黒装束の少女だった。
華奢な身体を黒い軽めのコートで包み、同じく黒いキャップ帽を目深に被っている。
帽子から肩まで流れる長髪はストレートで、黒曜石を溶かして作ったように艶に満ちている。それでいて、肌は雪のように白く、日を浴びれば溶けてしまうのではないかと紬は思った。
少女は少し顔をあげた、キャップ帽の鍔の下から墨を落としたような真っ暗な瞳が『蟲人』を見つめていた。
紬は少女を見て苦笑した。
「勘弁してよ。もう一人殺さなきゃいけなくなっちゃったじゃん。冷蔵庫も新しいの一つ買わないと」
黒服の少女は右の袖を捲りながら、何か呟いた。
「一人じゃありません。一体です」
唇が開くたびに真っ白な糸切り歯がチラチラと覗く。紬は地を蹴って宙を舞い、獲物に飛びかかる。空を裂くような素早い動きだ。
「せめて美味しく…」
先端が鋭いカギ状になった脚が迫る。カギ状の爪は頸動脈を掻き切る…はずだった。ぶちっと嫌な音がして、蜘蛛の脚の第一関節までが消失した。
「……え?…んギィぃぃぃぃ!!!?」
突如、自分の一部を千切られた紬は戸惑い、それから悲鳴を上げる。
「ごめんなさい」
悲鳴に対する応えは機械的な謝罪だった。少女の首元から、白く大きな蜥蜴が肉を掻き分け、襟を押し広げて『生えて』いる。
彼女の体内に潜んでいた怪物は、腹あたりまでを宙に伸ばし、今しがた頬張った蜘蛛の脚をゴクリと飲み込んだ。
その生き物の特徴をあげるならば本来眼球のある位置に何もないことだ。ぽっかりと空いた穴から暗い虚だけが紬を見ている。開かれた口の中には門歯や犬歯が見られ、奥には臼歯が続く。おおよそ爬虫類のものとは思えない、人の口内のようなものだった。これだけでも充分に異様だが、もっと異常なのは、その表情だった。
大きく裂けた口の端がキュッと三日月状に吊り上がり、中身のない眼が連動して歪んでいる。笑っている。そうとしか言いようがない。吐き気を誘発するほど気色の悪く、醜い怪物だった。
「…何なの!何なのよぉぉ!!」
血の滴る脚の先端を、手のひらで必死に押さえつけながら、『蟲人』は痛みと恐怖と混乱に引き攣った声をあげる。
「私が何なのかは、私が一番知りたいです」
少女は何度も口にしたような、吐き慣れた言葉を呟く。
「私にも私が何なのかは検討も付きません。でも一つだけ、わかっていることがあります。私は『蟲人』を食べないと生きていけないことです。だから、ごめんなさい」
黒髪の少女は路地の影の中でそう謝った。そして『蟲人』に迫る。
「これで二週間は保つ」
「嫌っ!!止めて、来ないで!!!」
「すぐに終わります。そんなに痛くは……ないと思いたいのですが」
「待って!話を聞いて」
「そういうのは、もう散々してきました。今はあまり話したくありません」
「待って!!お願い、見逃して!!!……まだ…………私…!!!!」
「せめて美味しく頂きますから。だから、許してください」
白い石竜子がグンッと大きくなり、餌に向かって、身体をしならせ伸ばす。ガバッと開かれた口、その光景を最後に天雲紬の世界は闇に呑み込まれた。
「ハァ。………………………………………………………不味」
空腹を満たした少女は、怪物を身体の中に引っ込めた。そして、『蟲人』によって麻痺させられた被害者に近づいた。
「あのー。大丈夫ですか?」
「……うゆッ。アア」
「んー?痺れ薬でも打たれましたか?あっ、これは『蟲人』の毒ですね…。食べられる匂いがします。
少女の肩、先程破れた箇所から再びあの石竜子が現れる。
「………んんんッ!!んんッ!」
「心配しないで」
ミノムシのように糸で縛られた男に迫る怪物。しかし実体とホログラムが重なるように、男と怪物はすり抜けあった。
「……不味い。これでよし。もう少ししたら動けるようになりますし、すぐ病院に行けば後遺症も残らないと思います」
「………アオ。アアたは一体何なのです? 」
少しマシになった呂律で人間の男は聞いた。
「自分でも何なのかは、分かりません」
慣れた返答だった。
「あの、救急車呼んでもらえまふか。スマホが出せなくて」
「あー…。それはちょっと頑張ってくれませんか?あんまり記録に残ることしたくないですし、正直に言うとお兄さんには助かって欲しくないですし」
「なっ何で…。ダって毒とか………取ってくれたのに」
「取りましたよ。少しでも良いことをしたくなったからです。でも身の安全考えるなら、するべきじゃなかったかも知れません」
少女の姿をしたナニカは苦笑した。
「なん…で。そんなこと出来るなら、もっと公に活動しても良いじゃないですか?」
黒髪の怪物はそうかもね知れませんねと頷き、返答した。
「……えっとですね。もう少ししたら『蟲人』も普通に生きられるようなシステムが出来るかもしれないじゃないですか。無理かも知れませんけど。そうしたら、私の居場所は無くなるかも知れません。その時に備えておきたいんですよ」
くるりと背を向けて歩き出した。
「じゃーね。お兄さん。」
彼女の名は中島カフカ。その実体はまだ分類すらされていない、名無しの化け物である。
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