4話 影の正体
夜の祖母の家は、すっかり静まり返っていた。廊下の隅や天井の梁、窓枠の影が、まるで生きているかのように揺れる。美咲は懐中電灯を握り、震える手で秘密の部屋へと向かう。
「もう…隠れない…」
小さくつぶやき、深呼吸する。しかし、空気は冷たく、息を吐くたびに白く光る霧のように見えた。影たちは廊下のあらゆる方向から迫る。壁に映る影の輪郭がぎこちなく歪み、床に落ちる光が揺れるたびに、影の形も変化する。
部屋の扉を開けると、奥から低い囁きが聞こえた。
「ここに…いたのね…」
美咲は懐中電灯を高く掲げ、影の正体を探る。光の先に、黒い塊が微かに形を変え、ゆっくりと人の形をとる。影の輪郭は人間のようで、しかし顔は無表情、目は光を反射してぎらりと光る。
「…あなた…誰…?」
囁きに答えはなく、影は壁から床から天井まで、まるで家そのものを伝って迫ってくる。美咲は後ずさりしながら、震える手で箱の中の人形をつかむと、その瞬間、影の輪郭がぱっと裂けるように揺れた。
影の中心に、微かに白い光が見えた。それは、過去にこの家で暮らしていた子どもたちの記憶そのもの――。悲しみや孤独、怒りが混ざった存在が、影となって今も家に留まっていたのだ。
美咲は息をのむ。影たちはただの闇ではなく、失われた声、忘れられた記憶、置き去りにされた思いの化身だった。光を握りしめ、彼女は決心する。
「わかった…あなたたちは…助けがほしいんだね」
影はゆらりと揺れ、囁きの音が少しずつ変わる。怒りの響きが薄れ、寂しさの響きが前に出てきた。美咲は人形を差し出し、床にひざまずく。
「怖くないよ…一緒に、光の方へ行こう」
影はじっと動かない。だが、美咲が一歩踏み出すたび、影も少しずつ近づき、形を落ち着けるように揺れる。廊下全体を覆っていた恐怖の空気が、わずかに緩んだ。
月明かりが窓から差し込み、影の輪郭を薄く照らす。美咲は懐中電灯を握りしめ、影たちの中心に歩み寄る。手を伸ばすと、光が微かに影の中に吸い込まれるような感覚があった。
影たちはまだ消えたわけではない。だが、怒りも恐怖も、少しずつ収まり、静かな存在に変わろうとしていた。美咲は深く息を吐き、心の中で囁く。
「もう大丈夫…怖くないから…」
夜の祖母の家に漂う冷たい空気は、徐々に穏やかさを取り戻す。だが、美咲は知っていた――影の正体を知ったことで、新たな謎が生まれたことも。そして、この家の秘密はまだ、完全には明かされていないことを。
美咲はゆっくりと立ち上がり、影たちに背を向ける。廊下の奥、夜の闇の向こうには、まだ未知の恐怖と謎が待っている――。