3話 闇の中の囁き
夜の祖母の家は、昼間の温かさをすっかり失っていた。廊下の隅、天井、床の間…どこを見ても影が揺れ、壁のきしむ音が耳を突き刺す。美咲は懐中電灯を握りしめ、手が震えながらも廊下を進む。
「…だれ…いるの…?」
返事はない。だが、冷たい空気の中で、何度も微かな囁きが反響する。低く、震える声。時には笑い声のようにも聞こえ、背筋が凍る。
廊下の奥で、影が壁から床から天井から、まるで生き物のように伸びてくる。光が揺れるたび、影が形を変え、手のように、美咲を掴もうと迫ってくる。
「やめ…!」
叫びたい声も、息も、闇に吸い込まれる。懐中電灯を振るたび、影はゆらり、ゆらりと揺れ、まるで嘲笑うように近づいてくる。美咲の足は震え、逃げたくても動けない。
その時、天井の梁から、冷たい指先の感触が肩に触れた。美咲は思わず悲鳴を上げ、膝をつく。影は壁に沿って滑るように近づき、息の中に冷たい囁きを送り込む。
「…ここに…ずっと…」
声は増え、重なり合い、頭の奥に響く。息が止まる。胸が押し潰されるような圧迫感。美咲の視界の端で、影たちの輪郭がうねり、歪み、形を変える。人の形ではなく、ただの黒い塊が意思を持って迫ってくる――。
美咲は逃げようと階段を駆け上がるが、影は家中に散らばり、出口を塞ぐ。振り返ると、窓から外の月明かりが差し込むはずなのに、影が壁に絡みつき、光を吸い込むかのように闇が広がる。
箱の中の人形も、微かに動く気配がして、目が光ったように見える。まるで「来てはいけない」と警告しているかのように。美咲の心臓は破れそうなほど高鳴る。
「誰か…助けて…」
声は震え、震えながらも、誰も応えない。影は無数に揺れ、天井の梁から廊下の床まで、美咲を取り囲むように迫ってくる。手を伸ばしても届かない。声を上げても届かない。全身が冷たい闇に包まれ、呼吸が止まる寸前。
その瞬間、美咲は床のきしみを感じ、影の揺れに押し潰される感覚に耐えながら、懐中電灯を握りしめる。逃げ場はない。闇の中、囁き、笑い、足音――すべてが彼女を狂わせようとしている。
美咲は立ち止まり、目を閉じる。冷たい汗が背中を伝う。
「…絶対…負けない…」
震える手で懐中電灯を掲げると、影の形が一瞬、止まった。だが、影はまた動き出す。闇は生き物のように蠢き、家全体が恐怖の渦に変わった。
美咲は息を整え、次の行動を決めるしかなかった。夜の祖母の家の闇は深く、出口も、光も、希望も見えない。ただ、影と囁きが彼女を試す――。