気分
ひとの精神は、思いのほか、生理的なものに左右されている。
どれほど理性的な人間でも、虫歯が痛めば、冷静な判断が出来なくなるし、感情的な人間なら、それはもう、手の付けられない野良犬とも化す。
梅雨である。
気分が、どんよりとする。
筆者自身は、気圧変化にも鈍感。
だから、低気圧による頭痛なども、ほとんどないのだが、それでも多少は気分が、悪い意味で落ち着いてしまう。ふり幅の大きいひとなら、おそらく疑似的な鬱症状ともなり得る。そんな季節か。
気分が上がらない時。
くさくさとして、「なんで自分は?なんで?」とネガティブな思考にハマる人々が一定数いる。おそらく根が真面目すぎるのだろうが、「なんで?」に対する回答は「そういうもんだから」で十分だ。
生理的な現象に対し、悩むという精神的な活動で対応しようとすること自体が、ナンセンスなのである。悩んで解決できるメドのないものに、悩むこと自体がエネルギーの浪費というもの。
テンションが上がらないなら、早めに寝ればいい。
寝て改善しないなら、次はヨガか?
感情が揺れにくいひとは、精神的に優れているのではなく、単に「バイオリズムの振れ幅が少ない人間」でしかない可能性だってある。だとすれば、頭で悩むよりも、肉体をチューニングする方が先だろう。
◇
セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン。
精神活動を支える脳内ホルモン三銃士。
セロトニンは、精神の安定を促すホルモン。
朝起きて、ちゃんと日光を浴びる。
ただそれだけで自然に分泌される、朝のログインボーナス。だけど、僕らは起床と同時にスマホやPCを起動させ、日光の代わりにブルーライトを浴びる。
ドーパミンは、興奮を促すホルモンだ。
本来「努力に対する報酬」であるはずのドーパミンが、SNSのいいねやスマホゲーム、お手軽なポルノなどにより、その蛇口を破壊され、「現実社会との関わり」への意欲を低下させる。
ノルアドレナリンは、交感神経を活性化させるホルモンで「いざ!」という時の集中力を左右する。しかし、こちらも四六時中、スマホを握りしめることによって、絶え間なく「リラックスの出来ない、過敏な人間」へと、自分自身を追い込むホルモンに、その特性が改変されつつある。
―― すべての害悪は、スマホやんけ!
永遠に眠そうなひとも、注意力散漫なひとも、キレやすいひとも、全部スマホが、その性質を加速させている。そういった社会的警告もまた、スマホなどで見る媒体に掲載される。スマホはテレビと違い、チャンネルを変えなくても「通知」という横やりまで入る。いったい何の冗談だ?
◇
薬物中毒者に対し、世間は非常に冷たい。
彼らは自ら人権を放棄したスケープゴートかのように、罵詈雑言を浴びせかけられる。しかしながら、その罵詈雑言もまた、インターネットという「依存環境内」で、「誹謗中傷活動に依存する人々」によって、形成されている。
ブリューゲル的な「盲者を叩く、盲者」の姿。
この滑稽に気付けないこともまた、インターネットの依存症患者の特徴ともいえる。
詰まるところ、現代は一億どころか、世界の大半が依存症患者によって回っている時代ともいえる。だとすれば「自覚的に」その依存を楽しむべきだろう。無自覚なモブ的盲者とならないためにも。
「この気分は、生理的なものに支配されている」
そこに留意しておくだけでも、「溺死を免れる一助」となり得るのではないだろうか。