ひ弱な魔族
「で、何があったんだ?」
一番日当たりのいい床の上でこちらに背を向けて丸まる小さな毛むくじゃら気にしながら、男は握り込んだ魔物に小声で尋ねた。
『ば、バカめ。問われたところで素直に教えるものか』
ガタガタと震えながらも、黒い鳥は言い放った。
『勇者がなんだ。魔王様を返せ』
勇ましい言葉も震えすぎて全ての音が三つにブレた。
『くくくそそそううう』
仕方がない。この勇者はヤバすぎる。
圧倒的強者だった魔王を片手間に蹂躙した血塗れの勇者の姿は、魔族たちの精神に共有され、触れてはいけない恐怖の象徴として生々しく刻まれている。
もっとも魔王を失った魔族は弱体化し、その辺の動物にすら油断をすると食われてしまいそうな有様なので、実際、勇者と会ったら、はいおしまい、だ。
それでも、筆頭魔族の矜持をかき集めて寄せて上げて、徹底抗戦の構えを示した。
「……何を言ってるのか、わからん」
通じてなかった。
「魔力の質からして魔族かと思ったんだが、お前、ただの魔物だったか?」
『ゥギィィイ、魔族だだだ! ぐぐ愚弄するなぁ!』
「でも鳥の声でもないしなぁ」
魔物は魔王や魔族の魔力に当てられて強大凶悪化した動物を呼ぶが、魔王が倒された今、全て消えたはずだ、
魔族は魔王を筆頭とする人型の異種族だ。魔法をよく使い、魔王と精神を繋いで、強固な統制の行軍も可能であり個々の能力も高い強力な種族だが、子が産まれにくいために生物としては弱い。これも、魔王が倒されてからは消えてしまったかのように姿を見なくなったのだが。
「動物に擬態して隠れてるってことか?」
ぴたり、と口を噤んだ鳥に、男は胡乱な視線を向けた。
「黙ったら肯定することになる」
『ここ肯定などするものか! 動物形態は幼い魔族などひ弱なものの取る防御の姿、隠れるために取る魔族などおらぬ! 我らは……我らは……』
「うむ、わからん」
男はぼりぼりと無精髭の生えた顎を指でかき、ため息をついた。
『ため息をつきたいのはこちらだ! ヌギイイイイ!』
「おわ、うるせ」
何を言ってるかはわからんが、なんだか敵意を感じるしなと、男は掴んだ鳥を卓に置くや、適当な椀をかぽりと被せた。
『……! ……!』
静かになった。
指でとんと椀をつついて、封じをしておく。
それから、ずっと気になっていた小さな毛むくじゃらに、そっと近寄って、膝をついた。
「おーい、ソラ」
「……」
「ソラさーん、腹でも痛いのかなー?」
こちらを振り返りもしない小さな体は、どことなく、いつもより毛並みが荒れて、もふっとしている。
怒ってる、ようなのだが、その理由がわからなくて、ほとほと困っていた。
手を伸ばそうとすると、耳がピクリとこちらを警戒するので、いつものようにぞんざいに撫でることもできない。
「うーん」
何の打つ手も思い浮かばず、すごすごと引き下がろうとしたが、それはそれで、小さな耳が反応している。
ふと思いついて、子猫の隣にうずくまったまま、架空に向かって呟いてみた。
「ミルクに蜂蜜を入れてみるか」
ピク、ピクピク。
素直でよろしい。仲直りの気配に、つい気をよくした。
「チョコも食べられればよかったのにな」
シャーッと怒りを沸騰させた子猫に、勇者は三発パンチを食らった。




