眷属ならば
「ダメだって!」
言い争う声に、ソラの耳がピクリと動いた。
勇者の家に届け物をしに来る、うるさくて乱暴な子供の声だ。
「いいじゃんか、ただのおっさんだろ? 勝手に森に住みついた」
相手の声にも幼さが残っている。
ソラはヒゲをピンと伸ばした。
子供というのは、尻尾を引っ張るものだ。警戒が必要だ。
「勝手にかは知らないけどさ、でも村長だって認めてるだろ?」
「じいさんは分かってないのさ。流れ者でも食い詰めてないんだ。小銭貯めてるんだって親父は言ってた。だって食いもんも頻繁に買わないのに平気で生きててさ、変だろ?」
「なんかこさえてんだろ、畑で」
「住み着いて何ヶ月で、食うに困らないほど採れるかよ、馬鹿テッド」
木を回り込んで、言い争う様子をそっとうかがう。
ソラにとってはお使いの子供も大きいが、今その子供を小突きながら歩く子供は、もっと大きい。
だが小さい方はへこたれずに、大きいのの手から逃れると、反対に食ってかかった。
「狩りでもしてるんだろ! わりと身のこなしいいし!」
「この辺の動物は魔物に喰われてまだ少ない。絶対、金持ちのところにしか来ないような行商人から、こっそり買ってるんだ。それか溜め込んでるんだ。金でも食い物でもいい。ちょっと分けてもらうだけだ。お前には何も悪いことじゃないだろ」
「蓄えてるものは蓄えてる人のものだろ! そんなの、泥棒じゃんか!」
「なんだと!」
大きな子供が腕を振って、小さな子供が吹っ飛んだ。
立ちあがろうとするが、すぐ押さえ込まれてしまう。
きゅ、とソラの鼻に皺が寄った。
最近、勇者は菓子作りを始めた。
こってりしたチーズの香りのする甘いケーキや、食べると口の中で消える焼き菓子。
ソラはこの頃、勇者のお菓子のことを考えるとふわふわする。
そんなお菓子の材料は、あの小さな子供が届けてくれるのだと聞いた。
ならばソラは、あの子供を守らなければならない。
音を立てずに二、三歩走り出して、ソラはぴょんと、高く跳ねた。
重く、冷えた空気が辺りを塗り替えた。
殴り殴られていた子供たちも、さすがにぴたりと動きを止めた。
「な、なんだよ」
掠れた声しか出ない。
森が静まり返っている。鳥の鳴き声も、梢のこすれる音もしない。
子供たちはそれまでの確執など忘れ去って、それぞれ立ち上がって身を寄せた。
魔王討伐は、ほんの一年前のこと。
だから、子供たちだって知っている。
森が口を閉じ目を閉じて、見えないふりをする時。
その闇の中には、魔物より怖いモノがいる――。
「悪しき人間は」
「ひっ」
子供たちは、森の中のあちこちから這い寄ってくる黒い影に竦み上がった。
「魔物より醜い」
黒が、とばりのように降りてくる。
空を冥夜に、森を虚闇に、道を汚泥に変えて、やがて子供達の足首に這い上がる。
体を固定されて、目を背けたくてもできない。
見るだけで引き摺り込まれそうな闇の中に、青白い顔がぽかりと浮かんでいた。
ゆっくりと、重たげなまぶたが上がり始めたのに、子供達の目が、限界まで見開かれた。
あれと、目を合わせてはいけない――。
「に、逃げろっ!」
「う、うわあ、あああああああ!」
呪縛を解いたのは小さな子供の叫びだった。
弾かれたように自由を取り戻した大きな子供は、小さな子供を森の方へ突き飛ばし、自分だけ走り去った。
何度も転びながら、遠ざかる背。
「いって……。あれ?」
残されたテッドが体を起こせば、いつもと同じ森があった。
「あれ? あれ?」
あちこち見回したが、人間は慌てる肝心なものが見えなくなるらしい。
目の前に黒い布がたれている。それにようやく気がついて、子供はひょわああと、叫んだ。
「わあああ! わあ!! わ……え? 女の人?」
喧しさに、ソラは耳を塞ぎたくなった。
もう大きな子供もいないのだから、帰っていいだろう。責務は果たした。
それになんだか、気分が塞いでいた。
ソラとしては、ただ女に転身して出てきただけなのに、あまりに怖がりすぎではないだろうか。
「え、あれ? ねえ、どこ行くの? ねーえー! おーい!」
子供は元気そうだ。
尻尾を掴まれたくはないので、姿は変えずに森に突き進んだ。
「おーい! 助けてくれて、ありがとおおおー」
うん、またお菓子の材料を頼むぞ。
ソラはふわふわした気持ちになって、ペロリと唇を舐めた。