苦手なものはわかってる
黒髪は豊かにうねって腰までを覆い、白くて小さな顔の程よい位置に、薄青の目が濃いまつ毛に彩られて輝いている。
至ってシンプルな黒のワンピースでほぼ全身を隠していても、女は美しい。
程良くふっくりとした唇が、カップに優しく触れて。
「あ」
「あつ!」
制止は間に合わず、美女はわあっという顔をして、カップをソーサーに戻した。
余計なことは言わないが、懲りないな、と思う。
砂糖とミルク入りのぬるめが好きなくせに、こうして熱いのを飲みたがり、大体舌を火傷するのだ。
男は空いていた清潔そうな深皿を食卓に持ってきた。その上で軽く力を使えば、ザラザラと音を立てて透明な氷の粒が山になる。
それを目の前に置いてやった。
「どうぞ。ちょっと冷やしたらいい」
涙目で、小さな赤い舌をちらと出して手扇であおぐ姿は、あざといとしか言いようがない。
「あひあと」
片言のお礼を言って、すぐに顔ごとザクっと氷に埋める美女に、何か意図があるとしたら、だが。
これも黙って見ていると、苦しくなったのか顔を上げた美女の鼻周りが真っ赤だ。
冷えて白い顔はますます白くなっているから、余計に目立つ。
あざといとは正反対のその顔には、耐えられなかった。
「ふ、は、はは」
面と向かって笑われても怒るでもなく、美女は首を傾げた。
さらりと髪が流れて、細い首、肩、不釣り合いな豊かな胸元が目に入る。
思わず見てしまって。笑いが胸が詰まって。ごほん、とよく分からない咳払いをした。
狼狽えるこちらにお構いなく、美女は気を取り直したようだ。もう一度カップに向き直る。
「あち」
呟きながらも、ふうふうと吹いてはちびりと飲んでを繰り返しす。
「美味しい」
本心だろう。言葉通り、いつも本当に美味そうに飲む。
「これもどう?」
「んー」
勧めた菓子は、あまり好みではないらしい。街では評判だと聞いたのだが。
「あれ、食べたいな」
代わりに指をさしてねだられて、昨夜つまみに炒った木の実を出すと、一粒ずつコリコリと食べ始めた。
最近、この自称魔女が訪れると、こうして二人無言で、一人は食べて飲み、一人はそれをじっくり観察していることが多い。
変な客だ。
だがその客のために専用のカップを用意してしまったのだから、変な家主だ。
何が、とは言わないが、ちょうどいい。
気まぐれに訪れるこの美女のことをいまだによく知らないが、知らないままでいいと思っている。
こんな片田舎に隠居した元勇者に、まともな客など来ないものだ。下手に追求すれば、今のような関係ではいられないかもしれない。
案外気に入ってるじんわりとした時間を、まだもう少し楽しみたい。
自由の身なのだから。
ちらり、と空気が揺れて、訪問者を知らせた。
使いを頼んでいる村の子供だ。窓から目視で確認する。
そして目を戻すと、美女は忽然と消えていた。
姿を表す時も消す時も、自分に悟らせない。
さすが魔女、というところか。
気にせずに狭い小屋を横切り扉を開けると、小さな影がどん、と荷物を押し付けてきた。
「よっ、おっさん! 相変わらずしけてんな! これ、食糧。なんだよ、乳だけじゃなくて砂糖と卵まで頼むなんて、なんか贅沢だな」
「あー、うるせー」
「なんだよ、こっそり嫁さんでももらったのかって親父が噂してたから、猫だって言っといてやったのに!」
「へーへー」
以前子猫に遭遇したことのある子どもは、無遠慮に室内を見渡している。今にも探し始めそうなのを、くるりと向きを変えて外へと押し出した。
「はら、運び賃だ。卵割らずに運べた祝いも乗せといた」
「あっ、子供扱いすんなよな!」
文句を言いながらも、色をつけられた駄賃に笑顔になって、猫を忘れたようだ。
初めて会った時に尻尾を掴んだせいで、子猫はこの少年を避けている。
気配を察するとすぐにいなくなるのだ。
それこそ、さっきの魔女のように。
「気をつけて帰れよ」
見送って、少し特別な貯蔵庫に食料を入れる。
厨の簡易な流しの周りには、いつしか新たに作業台が置かれ、真新しい道具や焼き型、おまけに小さなオーブンまで設置してあった。
コーヒーに合う焼き菓子でも焼いてみようか、と気軽に思ったのだが、まだ焼いてもいないのにこの状態だ。
「っはは」
まさか自分が、甘ったるい平和そのものなことに興味を持つとは。――かつての仲間が見たら、ゾッとした顔をするだろう。
ニヤニヤしながら、こっそり取り寄せたレシピ本をめくる。
「最初はこれなんかどうだ。チーズケーキ」
にゃ、とどこかで鳴き声がした気がした。
「お、来たのか? おい、新鮮な乳があるぞ。あっためるか? 熱めが好きだろ?」
にゃーん、と懲りない猫が答えた。