魔法は普段使わない
「引退勇者と愛しの子猫2」として公開していたものと同じ内容です。
ふみ、ふみ、ふみ…
子猫の小さな足が、着古したシャツを揉んでいる。
時々においを嗅ぐようにして、またふみ、ふみ…。
それが眠気を誘って、うっかりうたた寝をしてしまった。
今日こそは溜め込んでいた洗濯をしようと洗い桶を抱えて外に出たものの、あまりに平和で穏やかなので、日差しを吸い込んだ草の上に寝転がっていたせいもある。
気がついた時には、だいぶ陽が動いていた。
遅くなると、今日中には乾かないかもしれない。慌てて洗い桶に水を一気に注いだら。
ふぎゃっ!
鳴き声とともに、小さな黒い塊が洗い桶から飛び出した。
「あっ、お前いたのか」
そういえば、夢うつつに足踏みをしていたのを見た。もしかすると、子猫もそこでうたた寝をしていたのかも知れない。
「いや、すまん、大丈夫か」
小さな体に勢いよく水をかけてしまった。怪我を確かめるつもりで覗き込んで、ぴたりと止まる。
ぐっしょりと濡れた子猫は嘘のように痩せっぽちで、目は情けなく垂れている。黒い棒切れのようだ。
その、いつもの愛らしさからは想像できない……。
「ぶっさ! わっはは、なっさけない顔してんなぁ」
笑ってしまった。
薄青の目の中で、瞳孔がまるくなった。
「う、わっ、おいよせ! 濡れるだろうが」
怒れる子猫は勇敢にも大きく跳んで、かがみ込んでいた男の胸元にびちゃりと着地し、シャツに爪を引っ掛けてよじよじと登った。
生成りのシャツが、あっという間に子猫から水分を吸って、冷たく肌に張りつく。男はボサボサの髪をかきあげて、あーあとぼやいた。
危なっかしい子猫を捕まえると、細い体はブルブル震えている。あーあ、ともう一度ぼやいて、結局着ていたシャツを脱いで、子猫をわしゃわしゃと拭いた。
他に乾いた布などないのだ。
最後に雑な手つきで、けれど力は慎重にコントロールして、子猫の体を撫でさすった。
撫でたところから水分が飛び、ふわふわの毛並みに戻っていく。
子猫は不思議そうに自分を見下ろしていたが、すぐに一心不乱に毛繕いを始めた。
「風邪ひくなよ」
適当に言い置いて、男は猫の毛のついたシャツを洗いにかかった。この際だと、濡れてしまったトラウザースも脱いで洗う。
なんとなく子猫の咎める視線を感じたが。
「っくしょ」
思いがけず、雲が出てきた。降るほどではないが、日差しがなければ、洗ったものは今日は乾かないだろう。
さすがに予備の服と布をもう少し調達するかな、などと考えながら洗って干し終わり、冷えるから早く小屋に入ろうと周囲を探したが。
子猫は、もう姿を消していた。
酒で暖を取ったつもりで半裸で夜を過ごした男は、風邪を引いた。