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引退勇者と愛しの子猫  作者: 日室千種


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聖剣

 魔鳥はソラにたどり着く前に、透明な壁に、ビタッと音を立ててぶつかった。


『キィエエエエ! 早く! 早く助けなさい!』


 羽根がまだらに抜け落ちた魔鳥は、ひどく見窄らしく、無様で、ひ弱だ。

 きっとこの姿が、魔鳥の目に見えていたソラなのだろう。

 醜い、弱いということは、魔族にとっては嫌悪の対象となる。今のソラには、その理屈がわかるようになった。けれど、それが一部の視野の狭い魔族の妄執であることも、同時にわかる。

 ソラから見れば、魔鳥の醜さも弱さも、ただそれだけ。嫌悪につながるものではない。

 この湧き上がる不快感は、この魔鳥自身に向いたものだ。

 ふい、とソラは視線を逸らせた。

 ソラに、醜いと。弱いと。それが罪であると。ことあるごとに叩きつけてきたこの魔族を、ソラは助けたくはない。


『何を無視してるんです? 魔族あっての王ですよ? ほら! ほらほらほら! 助けなs』

「口を閉じろ」


 ソラには誰の声か、一瞬わからなかった。

 薄目で確認した視界では、勇者がソラに背を向けて、魔鳥の頭を片手で掴んでぶら下げている。だとしたら、あの低い声は勇者のものだ。

 ソラの尻尾がぶわりとまた広がった。


「何を言ってるのかはわからんが、うちのに向かってずいぶん偉そうに喚くものだな」


 あん?と煽る様は、魔族並みの悪辣さではないだろうか。

 だが何を問うても、顔ごと握りつぶされそうになっている魔鳥は答えられない。


「消すのは簡単だが、どっからソラのことを知ったのか気になるな。目を離した隙に別のが湧いてこないとも限らない。かといって猫を小屋に閉じ込めるわけにもいかないし」


 教会の禁呪になんかあったな。丸ごと吸い出してもらうか?

 ぶつぶつと検討している勇者の横で、小屋の壁がガタガタと鳴った。


「おっと、そっちの封も解いたままだった」


 魔鳥の首を掴み直した勇者は、壁の隠し戸を開いて青く光を纏う長剣を取り出した。このごろ小屋で見かけることのなかった聖剣が、あっさりと姿を表す。


『せっ、聖剣……!』


 魔族の間では、悪名高い剣だという。

 魔族より好戦的で、言葉は通じず交渉の余地なく、魔族と見れば血を啜りに襲い来る、最凶最悪の剣だと。

 カタカタと鍔鳴りする聖剣が、今にも自分を串刺しにするとばかり、ぎゅっと目をつぶっていた魔鳥だが。

 やがて片目ずつ、目を開けた。


『……ふ。聖剣も腑抜けたということですね。平和という毒のせいで』


 違うと思う。ソラにだってわかる。

 魔鳥だって自分で言っていた。聖剣は強い魔族ほど激しく襲ってくると。取るに足らない魔物は、聖剣の獲物ではない。つまりは、そういうことだ。


『何をぼさっとしているのです! さっさとあの聖剣をなんとかしなさい! 魔王様はあのな』


 また騒ぎ出した。すぐに勇者に聖剣を嘴に差し込まれて、ががが、となった。

 けれど視線は雄弁だ。

 早くこの聖剣に封じられた、魔王を解放せよ、と、相変わらず傲慢に命じている。


 今のソラは知っている。

 これまで、猫の悪戯を装って何度か聖剣に触れたが、何も反応はなかった。聖剣の封を解くなど、そもそもソラのように力のない幼体には無理なのだ。

 かといって、力のある魔族ほど、聖剣とは反発する。

 魔族の長たる魔王が聖剣に封じられている、など、荒唐無稽だ。ただの、魔鳥の妄想かもしれない。


 ソラは、思い立って、すっくと起き上がると勇者の足元からにじにじと、危なげなく肩によじ登った。

 魔鳥の視線は、しっかりとこちらを向いている。

 体の動きまで軽やかになっていて、ソラは鼻高々だ。そのまま、魔王が封印されているなど大嘘だと、はっきり見せてやろう。


「ソラ? どうした?」


 困惑げな勇者の両手は塞がっている。

 ソラは、聖剣を魔鳥にぐりぐりとしていた勇者の腕を、肘の下まで伝っていき。


 てちっ。


 体にしては大きめの前肢で、勇者の握る聖剣の柄に、猫パンチを贈った。



子猫パンチ!勇者のハートに3のダメージ!

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