魔族の王
少し体が軽い。
ソラは口の周りについた甘い液体を丁寧に舐めた。
思考も、数時間前にこの部屋にいた時よりはっきりしている気がする。
おそらく、あの魔鳥との間に、仮親契約か何かがあったのだ。それが魔鳥に対するソラの自我を押さえ込んでいた。
怒りに我を忘れたソラが、その契約を力づくで破棄したために、ソラの魂の縛りがほどけ、結果的に成長が促されたのかもしれない。
チョコレート効果、いや、ソラはあの無念を忘れない。
もやもやを宥めるように鼻の頭を撫でると、手にミルクがついたので、それをぺろぺろと舐めた。
「魔王ね……。だが魔王はおろか、魔族の気配はほとんど感じなかったしな」
顔を傷だらけにした勇者が、離れたところで首を捻っている。あのテッドとかいう子供が「森に魔王がいる」と言ったのを、生真面目に気にしているらしい。
しごく簡単なことだ。
魔族の子供は、擬態と魔力反射の特能で身を守る。
ソラはあの時、魔鳥の渾身の魔力を弾いただけ。契約を破棄したのは、きっと今こうして食べ物から取り込んでいる勇者の魔力だ。微々たる魔力も、契約主の慢心と油断を突けば致命傷となるのだ。そしてそんな痕跡は、勇者が土煙と殺気を纏ってあの場に飛んできた時に、紛れてわからなくなっただろう。
魔王、魔族の王は、その魔力を誤魔化せるような存在ではない。そう、勇者は思い込んでいる。だから、魔王はいないと断定しているのだ。
そんな知識を、習ったわけでもないのに、ソラはごく普通に自分の中から取り出すことができた。
腹立たしい存在に対して、自分に何ができるか、も。
さて、あの魔鳥をどうしてくれよう。
ゆらり、と尻尾を降って、卓上に伏せられた椀を鋭く見上げた時。
こちらをじっと見つめていた勇者と、バチリと目が合った。
「ぶにゃっ」
ソラは何も悪いことはしていない。なのに、背中が丸く毛が逆立った。
「ん? なんだソラ、まだご機嫌斜めかよ」
勇者が呑気な風に笑うと、奇妙な圧力はかき消えた。
そこでソラは気がつく。今勇者が温度のない目で見ていたのは、伏せられた椀の中の魔族だ。魔族と呼ぶのも躊躇うほど小さく弱いが、勇者にとっては敵なのだろう。魔族というだけで。
ソラの尻尾だけが、毛が逆立ったまま、戻らない。
もし、勇者がソラの正体を知ったら。
——あんなに冷たい目で、見られるのだろうか。
それは、絶対に、避けなければならない。
ソラの本能がそう訴える。
そのためには、腹立たしい魔鳥のことだって、何食わぬ顔で知らんぷりをしなければ。
ぐりん、と反対側を向いて、ソラはうずくまった。短めの尻尾を自分に巻き付けて、耳は揃えて、前に。
完璧な知らんぷり、だ。
「ソラがあんなに避けるなんて、余程のことをしでかしてくれたわけだな、この鳥は」
後方で魔鳥の罪が重く見積もられていくのが聞こえたが、ソラには関係ない。
「話を聞き出すには、どうする? 低級魔族と意思疎通……? いや、面倒だな普通に消滅させておくか?」
さすが勇者というべきかの解決法に辿り着いたので、勇者が聖剣を呼び出し魔鳥をサクッと消滅させる流れかと思われたが。
「ああそうか。収納できないから、呼び出せもしないんだな。すぐ忘れるな」
ガシガシと、頭を掻く気配。
ソラの片耳がそろりと後ろを向きかけて、ピッと前を向いた。知らんぷりだ。
「とすると、一度封を解くことになるか」
今のソラにはわかる。
封には呪陣を使うものと魔力を使うものがあり、魔力を注ぎ続ける封の場合は、それを解く際に一度全ての封を解くことになるのだ。
つまり勇者が聖剣を封じているならば、封を解いて取り出すために、椀の封も解——。
「おい、動くなよ」
圧のある声で勇者が命じたが、あの魔鳥がそんな言いつけを聞くだろうか。横柄にがなり立てて勇者を不快にさせるかもしれない。
怖いもの見たさで、つい、ソラは振り返った。その目の前で、勇者が伏せていた椀を開け。——中から、黒い塊が、何故かソラに向かって飛んできた。
『お助け! お助けを!』




