◆2 ニセモノの公爵令嬢
【第二話】
様々な人々の思惑が交差する中、雪が降る、冬の日ーー。
オドル王太子主催の舞踏会が開かれました。
私、エミル•グレアノ公爵令嬢は、王宮の舞踏会場に来ていました。
修道女の先輩たちから、連れて来られていたのです。
修道院のお仕着せを身にまとった姿で。
すでに大勢の貴族が集まっていました。
見知った顔も数多くいました。
私は、みなから好奇の目に晒されたのです。
「みろ、エミル公爵令嬢だ」
「まあ。なんて、みすぼらしいお姿……」
「お父上のグレアノ公爵は何をお考えか。
彼女は、仮にもオドル王太子殿下の婚約者だぞ」
それなのに、今、王太子殿下の傍らにいるのは私、エミルではない、別の女性です。
私は知っていました。
義母と一緒になって、私から、お母様の遺品も、宝石も横取りした義姉タマルーー。
彼女が、王太子の婚約者の座を、私から乗っ取ろうとしているのです。
会場にいる貴族の紳士淑女たちにとっては、彼女は初お目見えだったのでしょう。
あれこれと囁き合う声がします。
「誰だ? あの令嬢は?」
「美しいというか、どこか妖艶な……」
「聞いたか? どうやら、あの女性もグレアノ公爵家のご令嬢らしい」
「噂では、殿下は婚約者を、あのご令嬢に乗り換えるとか」
「まことか? 王太子殿下は、婚約者を乗り換えるというのか?」
「そんなに、おかしな話でもあるまい。
グレアノ公爵閣下が、王家に差し出す娘を、妹から姉に鞍替えしただけだろう」
「エミル嬢も、お可哀想に……」
ざわざわ、と騒ぎ声が大きくなっていったところで、ついに、オドル王太子は、私、エミル•グレアノ公爵令嬢との婚約破棄を宣言しました。
「エミル嬢。貴女との婚約は破棄させてもらう!」と。
私は何を夢見ていたのでしょう。
グレアノ公爵邸から追い出され、修道院に放り込まれても、いずれは王太子殿下が、婚約者である私を助け出してくれる、そして幸せな結婚式を迎えるのだーーと信じることによって、今まで、逆境に耐えてきたのです。
もちろん、信じ切ってはいませんでした。
王太子とは、幼い頃からの知り合いでしたけど、成長していくにつれ、話が合わなくなってきていました。
でも、そうした距離感も、結婚さえすればゆっくりと縮めていけると思っていました。
王太子殿下には、私、エミル•グレアノという一人の女性を認識し、憎からず思っていてくれている、と思っていたのです。
ですから、実家から不当に追い出されて、修道院に放り込まれたと知れば、哀れに思い、結婚はできなくとも、手を差し伸べてくれる、と思っていました。
ところが、そんなことはありませんでした。
とかくオトコどもは、男性が女性を裏切ることはさほど悪いと感じないくせに、女性が男性を裏切った場合は、酷く憤慨するもののようです。
オドル王太子は、
「お母様が、お父様に隠れて、愛人と逢引きして、私を産んだ」
と、お父様が話すのを真に受けて、義憤に駆られているようでした。
酷い話です。
お母様を裏切って、愛人とコソコソ付き合って、隠し子までなしていたのは、自分の方なのに。
お父様が、そこまで恥知らずとは思いませんでした。
それだけではありません。
今現在、この舞踏会場に、見知らぬ男が現れて、私の実の父親だと主張されたのです。
私に向かって両手を広げ、髭面男が陽気な声をあげてきました。
「お父さんだよ。いつも会ってただろ」
「あなたなんか、知りません」
それでも、その中年男は、私の父親であり、私と何度か会っていると訴えます。
私が赤ん坊の時に使ったおくるみ、そして、ベビーリングまで持ち出して、「これが証拠だ」などと言いいます。
でも、それらはすべて、グレアノ公爵邸にあったお母様の遺品でした。
なんの証拠にもなっていません。
それなのに、オドル王太子は宣言したのです。
「次期国王たる俺は、こんな素性の知れない女とは結婚できない。
『王家として、グレアノ公爵家の娘と結婚しなければならぬ』
と、堅く父王様から言いつけられておるのだからな。
よって、貴様の義姉にして、本当の公爵令嬢であるタマル・グレアノ嬢と婚約し直す。
エミル嬢とは婚約破棄だ。わかったな!」
その結果、私は、人々から誹謗中傷を受けながら、会場から追い出されてしまったのです。
グレアノ公爵家の面々ーー父の愛人バールと、義姉タマルが、神妙な顔をして取り澄ましています。まるで、自分たち母娘が正統な貴族だと言わんばかりの様子でした。
私を助け得る立場の、お父様も、王太子殿下も、冷たい視線を投げかけるだけです。
なんて、嫌な世界なのでしょう。
私は何も悪いことをしてないのにーー。
私を貶めた人物たちの顔を目に焼き付けるためだけに、王宮にまで連れ込まれたようなものでした。
◇◇◇
結局また、私はプレシオ教の女子修道院へと戻ってきました。
でも、以前とは異なり、私の待遇が変化しました。
一気に悪化してしまったのです。
王宮の舞踏会において、私が、オドル王太子から婚約破棄されたうえに、あの見知らぬ男から「父親である」と名乗り出られたことを、修道女たちが知ってしまったようです。
その結果、私が「ニセモノの公爵令嬢」であったと、修道女たちが信じてしまったのでした。
「あんた、今まで、グレアノ公爵家の令嬢だったんですって?
ニセモノだったようですけど」
「よく平気でいられたものね」
炊事洗濯の最中に、怒鳴りつける先輩は今までもいました。
ですが、暴力を振るわれることはありませんでした。
ところが、何も落ち度がないのに、箒でぶってくる人が増えてきたのです。
一緒に雑巾掛けをしてくれる先輩修道女もいなくなりました。
薪を拾い集めるよう言いつけられますが、暖炉にあたらせてはくれません。
竈門での煮炊きも、やらせてもらえなくなりました。
「毒を混ぜられたら、たまらないわ」と陰口を叩かれ始めたのです。
彼女ら修道女たちにとって、「修道院に献金する、信心深いグレアノ公爵様が、嘘を言うはずがない。だから、この女は〈不義の娘〉に違いない」というわけです。
ですが、修道女たちは知りません。
教会に寄進し続けた熱心な信者は、貴女たちが「ふしだら」と決めつけたお母様であって、お父様は出来るだけ献金や寄進をケチろうとしていた、ということを。
舞踏会から一週間もすると、私へのいじめがエスカレートしていきました。
吐く息も白くなる寒い冬だというのに、朝から汚水をぶっかけられ、食事も抜かれる状態になってしまいました。
私に行く場所がないことは承知しています。
ですが、これ以上、耐えられるとは思えません。
ついに私は、修道院長に向かって、
「ここから出してください!」
と訴えました。
ところが、老いた修道院長ザラブからは、せせら笑われるばかりでした。
「そんなことは、許されないわよ。
貴女のお母様がいけないのよ。
生まれの不幸を呪いなさいな」と。
女子修道院の中にも、自分の居場所はありませんでした。
でも修道院の外は、見知った森の雰囲気があります。
一年に一度だけ訪れて、宝石をもらった教会が、近くにあるかもしれません。
しかも、お母様のご実家から、あの宝石は贈られていたはずです。
ひょっとしたら、あの神父様なら、私をお母様のご実家の方と引き合わせてくれるかもしれません。
そう思って、わずかな希望に縋って、満月の夜に、私は修道院から脱走しました。
ところが一晩中、森の中をうろつきましが、朝日が昇る時刻になっても、あの小さな教会は見つかりませんでした。
しかも、冬の森は寒過ぎました。
厚手の修道服を着込んでいましたが、あまり役に立ちません。
雪こそ降ってはいませんでしたが、所々で雪が積もったまま固まっていたり、草花に垂れる雫も凍りついて、足場も凍てつき、何度も足を滑らせて転びました。
森の中を駆けずり回った挙句、行くあてもありません。
ですから、私、エミルは、暖をとる必要もあって、仕方なく修道院に戻るしかありませんでした。
当然、私の脱走はバレていて、修道院の中は騒然としていました。
そして結局、お仕置きとして、寒空の下、文字通り、私は吊し上げられてしまったのです。
高い樹木の枝に括り付けられた縄で足を縛られ、裸に剥かれた状態で、逆さ吊りにされたのでした。
老修道院長ザラブは、私の身体を眺めて、ペッと唾を吐きました。
「脱走を企てるなんて。
行くあてもないのに、馬鹿じゃないの?
見せしめとして、ちょうど良い晒しものね」
大勢の修道女が、お追唱します。
「ニセモノ令嬢には、相応しい体罰よ」
「あらあら。恥ずかしいお姿になって。
これじゃあ、お嫁に行けないわね」
「あらぁ。まさか還俗できるとでも?
ニセモノ令嬢さんにとっては、外の世界の方が厳しいわよ」
「良い恥晒しね。おほほほ!」
何人もの修道女が、作務の合間を見ては、私の胸やお腹を棒で突きにやって来ます。
冬の寒さに全身が震え、修道女たちが遊び半分で突いた箇所が赤く充血していきました。
ガチガチと歯を噛む音が、鳴り止みそうもありません。
意識がぼんやりとして、思考が定まりません。
本気で死ぬかと思いました。
こうして、私が逆さ吊りになって半日が過ぎた頃ーー。
女の園に、珍しく男性が入り込んできました。
女子修道院に入れる男性は限られています。
ミサをあげてくれる神父様か、修道院の運営に関わる、教皇庁本部から派遣されてきた神官の、いずれかです。
その日は、たまたま若い男性の神官が女子修道院にやって来て、私が逆さ吊りになっている裏庭にまで足を踏み入れてくれました。
おかげで、私が発見されたのでした。
青年神官は両目を見開いて、周囲に響かんばかりの大声で怒鳴りました。
「この女性を凍死させるおつもりか!?
貴女方は、それでも神様にお仕えする修道女ですか!
すぐに、おやめなさい!」
さすがに外聞が悪いとは思うようで、修道院長が、みなを代表して言い訳します。
「彼女は修道院から脱走を図った者です。
正式な修道女ですらありませんから、私たちが先輩として、お仕置きを……」
弁明をみなまで聞かず、神官は頬をブルブル震わせます。
「修道院に、そのような暴力的な規定はございません!」
それでも、ザラブ修道院長は食い下がります。
相手の神官が、年若いので、言いくるめられると思ったのです。
「私が修道院長として、当修道院を切り盛りしているのです。
教皇庁から来たばかりの神官様には、まったく関係ないことです」
それでも、若者は頑固でした。
押し問答が続きます。
「ひとりのプレシオ教信徒として、見過ごせません!」
「これは躾です。
まともに掃除ひとつできない、使えない女に対する懲罰です」
「掃除が出来ないのなら、貴女方が指導すれば良いだけではありませんか。
このように吊るしたところで、掃除が出来るようにはなりません」
「違うのです。
この女は、ニセモノの公爵令嬢ーー貴族であることを偽った不義の娘なんですよ。
一見すると酷い扱いに見えますが、ふしだらなこの女には相応しい罰ですわ」
「どうして俗世を捨てたはずの修道女が、貴族であると偽ったからと、この娘を責めるのですか。
教会法や修道院の掟に照らしても、妥当しない処罰をするのは、私刑です。
いじめです。
このようないじめが、我がプレシオ教の修道女に相応しいとお思いですか?」
「……」
修道女たちは、次第に沈黙していきました。
ついに修道院長は折れて、私を逆さ吊りにした実行犯どもに、聞えよがしに大きな声で命令しました。
「ほんとうに頑固な神官ですこと。
でも、教皇庁に悪く伝えられたら面倒よ。
このニセモノ令嬢を降ろしなさい」
修道女たちは、渋々ながら、私を逆さ吊りの状態から地面に降ろしました。
若い神官は、私の許に身を寄せて声をかけます。
「私の声が聞こえますか、お嬢さん。もう大丈夫ですよ」
神官に頬をペチペチと叩かれ、私、エミルは薄らと目を開けます。
逆さ吊りのせいで、頭に血が昇って、意識が朦朧としていました。
「大丈夫……だなんて、嘘……私には居場所が……」
うわごとのように、そう口にするだけで、私は気を失いました。
私が昏倒する前に見た景色は、青年神官が必死の形相で声をかける姿でした。
◇◇◇
私、エミル公爵令嬢が目を覚ましたのは、夜更けになってからでした。
場所は、来客用の応接室です。女子修道院の門の脇にある建物でした。
私、エミルが目を開けると、白髪の神父様が、心配そうに覗き込んでいました。
「ああ、よかった。目をお覚ましになられた」
私にとって、見知った老神父様でした。
お母様のご実家から贈られた宝石を、手渡ししてくださる神父様でした。
彼は普段から、この女子修道院においてミサを挙げるために訪れていたのです。
ですが、今日は、見慣れぬ若い男性神官から声をかけられ、
「この修道院で、ある女性が虐待を受けているが、ご存知か!?」
と、詰問され、顔を出してみたらビックリしました。
「これは、グレアノ公爵家のご令嬢ではありませんか!」と。
老神父は、気絶した私の額に濡れ布巾をかけるなどして、看病してくれたようです。
そんな神父様の姿に感動した私は、ソファから半身を起こし、涙ながらに抱きつきました。
「神父様ーー申し訳ございません。
お母様のご実家からいただいた宝石も、全部奪われました。
お母様から譲り受けた形見の品も、すべて盗まれたり、捨てられたりしているんです。
私にはどうにもできませんでした……」
老神父様は、私の背中をさすりながら宥めてくれました。
「話は伺いました。
ですが、エミルお嬢様。
諦めてはなりませんよ。
大丈夫です。
お父様も、王太子殿下も、きっとわかってくださる。
お嬢様をどのように遇するべきかぐらいは、ね。
この王国の存亡がかかっているのですから。
私が修道院長に、よく言っておきますから」
意識が戻ったばかりの私は、神父様の返答の意味がよくわからず、小首をかしげます。
やがて、老神父は後事を若い神官に託すと、部屋から出て行きました。
これから修道院長を叱りつけたのち、夜道を戻って教会に帰り、翌朝にでも教会本部に今回の事件を報告しに出立するといいます。
老神父の背中を見送ってから、若い神官が吐息を漏らします。
「あの神父様も、悪いお人じゃないんですがね。
人の善意を信じるあまり、悪の現場から目を背ける傾向がおありだ」
たしかに、あの頑迷な老修道院長が、一度や二度、叱られたぐらいで、心を入れ替えるとは思えません。
私は苦笑いを浮かべました。
自分が意識を失っていた間、なにがあったかはわかりません。
ですが、この若い神官が、言いたいことはわかります。
お人好しの老神父には、自分がお父様や王太子殿下から受けた仕打ちを聞いたところで、にわかには信じてくれないでしょう。
自分でも、実際に体験してからでないと、信じられない仕打ちをされ続けたのです。
「仕方ありませんよ……」
私は自嘲気味に笑いました。
神父様は、私が逆さ吊りになっている場面を見ていません。
それに、お母様が存命中の、仲睦まじかった頃のグレアノ公爵家を見知っています。
ですから、バールとタマルの母娘が登場して以降の、お父様の豹変ぶりを信じられないでしょう。
若い神官は、私に向けて両手を広げて、言いました。
「さあ、気を取り直して、体力を回復いたしましょう。
まずは体温の上昇です。
貴女の身体には幾つも凍傷が見られ、凍え死ぬ寸前だったんですから、気合いを入れて、血液を全身に巡らせなければいけません。
いきますよ!」
神官の手が、赤く光ります。
それと同時に、私の身体がポカポカと暖かくなっていきました。
「凄い! 暖炉の火よりも、暖かいわ!」
私が驚くと、青年神官は得意げに頷きます。
「そりゃ、そうでしょう。
血液を直接、全身に行き渡らせているのですから」
「魔法か何かですか? 初めて体験しました」
「教会に伝わる〈癒しの秘蹟〉の一つです。
まあ、特別調査官たる者、これぐらいの技は習得してますよ」
「ありがとうございます」
「いえいえ。
お身体が順調に回復なされたようで、何よりです」
同年代の男女二人で、向かい合って微笑み合うーー私、エミル嬢にとっては、随分、久しぶりの出来事でした。
やがて、修道院長が、甲高い声で喚き散らしながらやって来ました。
老神父から説教を喰らって、気が立っていたのでしょう。
「このニセ公爵令嬢め!
アンタのせいで、私が怒られたじゃない。
教皇庁に悪く伝えられたらーーあ!?」
若い神官がまだいて、ビックリしました。
てっきり老神父が立ち去ったときに、一緒に出て行ったと思っていたのです。
一方で、神官は手帳の頁をめくりながら、修道院長に向かって、低い声を出しました。
私に対する時とは、まったく違った、冷ややかな眼差しをしています。いきなり仕事モードに入ったようでした。
「貴女は、ザラブ修道院長でよろしいですね。
お初にお目にかかります。
私は、教皇庁特別調査官のジャイナ・ヒスティと申します。
このハイプ王国と教会との間で交わした契約が履行されず、教会側の権利が不当に侵害される恐れがあるとのことで、調査に参りました。
この修道院に来たのも、その一環です」
「特別調査官……」
修道院長ザラブは生唾を飲み込みます。
教皇庁直属の特別調査官は、神聖皇国の教皇が直々に任命したエリート神官たちで構成されています。
プレシオ教施設に関わるあらゆる事件に対して調査権があり、今までも数々の教会や修道院の不正を暴いてきました。
緊張して、身を硬直させる老修道院長に対して、青年調査官は淡々と質問しました。
「そもそも、なぜ、このお嬢様にこのような酷い仕打ちをしていたのでしょうか。
この女子修道院は、本来、没落貴族など、行き場を失った子女を助け、貴族の館や王宮などで働く侍女を養成する施設として設立されたはず。
そこに、見るからに立ち居振る舞いが貴族令嬢として完成している彼女が、下女働きをさせられているのか。
あまつさえ、逆さ吊りにかけられるような虐待を受けていたのか」
修道院長は、上目遣いで、オズオズと抗弁します。
「調査官には失礼ですけど、まずは、訂正させてもらいます。
彼女はお嬢様などではありません。
ニセモノの貴族令嬢ですわ。
当修道院の寄進者であられますグレアノ公爵様のご命令で、
『この女を雑用係として置いてやってくれ』
と、私は言われたんですよ。
現に、先だっての舞踏会において、オドル王太子殿下から婚約破棄を言い渡され、怪しげな男が父親であると名乗り出るような〈不義の娘〉なのですよ!」
調査員はメモする手を止め、顔をあげます。
端正な顔立ちが、怒りの色で赤く染まっていました。
「愚かな物言いですね。
仮に〈不義の娘〉だとして、そのような境遇にある娘であればあるほど、養育する必要があるのでは?
この修道院は本来、そういった境遇にある子女を社会復帰できるようにするための施設なのです。
それが、この女子修道院を寄進なさったグレアノ家のサラ公爵の願いでした。
ザラブ修道院長、勘違いなさっておられるようですから訂正させていただきますが、貴女にこの女性を修道院に押し込めた男は、グレアノ公爵などではありませんよ。
現在、正当にグレアノ公爵家の家督を相続しておられるのはーー記録によれば、エミル・グレアノ公爵です。
先代のサラ様の娘です」
「え……!?」
老修道院長の顔から、血の気が退きました。
彼女は、混乱しました。
ハイプ王国の誰もが、オドル王太子ですら、サラ公爵夫人の夫であるグレアノ公爵と名乗る男が、公爵家の家督を継いでいると思っているはず。
ですから、ザラブ修道院長も、彼の命令を訊いてきました。
彼にとっての生さぬ娘ーーエミル嬢の折檻も引き受けてきました。
ところが、逆で、エミル嬢こそがホンモノの公爵家当主で、その父親の方がニセモノの公爵だった!?
ザラブ修道院長は皺だらけの顔を大きく歪ませます。
教会法を持ち出すまでもなく、常識的にも、貴族の令嬢ーーましてや貴族家の当主相手に、不当な虐待や暴力をなした者は死罪を免れません。
小刻みに身体を震わせる老修道院長を、冷ややかに見下しながら、ジャイナ特別調査官は手帳をめくりながら淡々と忠告します。
「これまで、この修道院に入って以来、目についた修道女の方々の様子を窺いましたところ、みな、煌びやかなアクセサリーを身につけておりました。
建物内にも、豪華な調度品がいくつも置いてありました。
おまけに、正当な公爵位継承者であられるエミル様に、過度の虐待を強いているーー。
教皇様がこの修道院に、私を遣わした理由がよくわかりました。
グレアノ公爵を不当に名乗る男から、貴女方は多額の金銭をもらい受けてますね?
修道院として、教会本部に報告している以上に」
各地の修道院には、寄進物や、献金の額は、正確に報告する義務があります。
横流しが露見するだけでも、責任者は更迭されます。
ザラブ修道院長は、地面に這いつくばって両手を合わせ、懇願しました。
「お、お許しを……。
どうか、本部には、ご内密にーー」
「ザラブ修道院長。
あとで、グレアノ公爵を名乗る不届者と、どのようなお話をされたか聴取いたします。
それまで当修道院の石塔の中で、関係した修道女ともども、謹慎なさってください。
いいですね!?」
「はい……承知いたしました」
項垂れて、応接室から、ザラブ修道院長が出ていきました。
彼女が出てきたところを、大勢の修道女たちが取り囲んで、口々に問いかけます。
「何があったんですか、修道院長!」
「あの若い神官は、何者なんですか?」
「あのニセモノ令嬢、贔屓されてやしませんか!?」
ザラブ修道院長は押し黙ったまま、修道女たちを引き連れて、石塔の中へと退き下がっていきます。
扉に耳を押し当てて、ジャイナ特別調査官が語る内容をおぼろげながら盗み聞きした者もいて、そんな修道女たちが、修道院長のあとをついて歩きながら、囁き合いました。
「いったい何者なの? あの娘は」
「ニセ公爵令嬢じゃなかったの?」
修道院長をはじめとした修道女たちが立ち去って、応接室にはジャイナ特別調査官と、ソファに横たわる私、エミル嬢の二人だけになりました。
ジャイナ特別調査官は、私に向かって優しく微笑みます。
「それでは、お嬢様。
お母様がお亡くなりになって以来、なにが起こったのか、お話しください」
◇◇◇
やがて、凍てつく冬が過ぎ、暖かな春となりました。
春の祭りに合わせて、オドル王太子が新王に即位する式典まで、あと一週間ーー。
病に伏せがちの国王夫妻に代わって、精力的に動き回る、若い国王の誕生を期待して、ハイプ王国の国民は浮かれ騒いでいました。
反対に、絶望に打ちひしがれる者もいます。
オドル王太子の両親である、ワイド王とレーン王妃でした。
エミル公爵令嬢との婚約を、王太子が勝手に破棄したと知らされて、驚いたのです。
「なんて、ことを……」
レーン王妃は絶句し、ワイド王は足を踏み鳴らして叫びました。
「おまえは、とんでもないことをしでかしてくれたな!」
オドル王太子は、両親から想像以上に強い反発を受けたので、面喰らいました。
焦りながらも、気軽に弁明します。
「グレアノ公爵家の娘と婚姻すればいいんでしょう?
それだったら、彼女ーータマルでもいいじゃないですか」
「馬鹿者! エミル嬢と結婚しなければ、ハイプ王国の未来が危うくなるのだぞ!」
ワイド国王は、息子の襟元を掴みかかりそうな勢いで怒鳴ります。
かたや息子のオドル王太子は、まるで猛獣を宥めるかのように両手をかざしました。
「でも、すでに私が即位することは、国内外に周知されており、盛り上がっております。
あと一週間でーー」
「日程なんぞは、どうでもいい。
エミル嬢はーー元の婚約者は、今、どこにおられる!?」
「わかりません」
「今すぐ、探せ!
そんな娘ーータマルとかいう女とは即刻、別れよ。
そして、なんとしても、エミル嬢との復縁を!」
「ーーわかりました」
オドル王太子は、あっさりと頷き、謁見の間から立ち去りました。
◇◇◇
それから一時間後ーー。
オドル王太子は、グレアノ公爵家の面々と面会し、先程の国王夫妻との会見について報告しました。
思いの外、ワイド国王とレーン王妃が、「エミル嬢と結婚しなければならぬ」と強く思っていることを伝えたのです。
王太子からの説明を聞き、エミルの「お父様」グレアノ公爵は、眉間に皺を寄せました。
「やはり、婚約者を入れ替えるのは無理があったか……」
夫が思案する様子を見て、公爵夫人を名乗るバールも不安になりました。
「陛下の反対があって、王太子殿下の即位に危険が及ぶようでしたら、他の手を考えた方が……新王に即位してからタマルが輿入れしても……」
娘のタマルは、婚約者の胸板にしなだれかかるようにして尋ねます。
「どうなさるの?」
オドル王太子はタマルの頭を撫でながら、シレッと言いました。
「なぁに、嘘をついて、乗り切れば良い。
結婚式と即位式を挙げてしまえば、こっちのものだ。
有力貴族たちは、みな、エミル嬢は婚約破棄されたと知っている。
このまま押し切ればいいんだよ」
「でもーー」
タマルは、不安げな瞳で王太子を見上げます。
オドル王太子は、彼女の唇に軽く口づけしました。
「ベールをかぶったら、誰にもわからないさ。
それにね、神の前で誓いさえすれば、俺の両親は折れる。
なにせ、あの二人は信心深いからな。
王様と王妃様だっていうのに、司祭様に頭が上がらないんだよ。
司祭様が、結婚式も即位式も執り行うんだ。
だから、俺たちの結婚を、その司祭様に認めてもらって、さらに王冠を戴けてもらったなら、絶対に文句を言わないよ」
◇◇◇
そして、一週間後ーー。
春祭りを兼ねた、ハイプ王国の祝祭が始まろうとしていました。
オドル王太子が、長年婚約者であったグレアノ公爵家のご令嬢と結婚し、次いで、新王としての戴冠式を行う運びとなっていたのです。
そして王太子が新王として即位してから一週間もの間、すべての王国民が、それぞれの地で催される宴を楽しむことになっていました。
結婚式と即位式が連続して行われる、王宮内の謁見の間でも、華やいだ雰囲気が充満していました。
臨時で壁側に席を移された国王夫妻もソワソワしていますし、高位貴族の紳士淑女たちも煌びやかな衣装に身を包んでいます。
そして、そうした貴族の周りには、大商人などの平民までも交えた観衆が整列し、いつでも花びらを舞わせることができるよう、各人が花束を抱えていました。
こうして浮かれ騒いだ空気の中にあって、婚約者である公爵令嬢だけは、濃いベールを顔にかけ、静かに佇んでいました。
隣で腕を組むオドル王太子ともども、緊張しているようででした。
やがて、プレシオ神聖皇国からやって来た司祭様が、二人に向かって声をかけます。
「婚儀を前に、まずは身元を証す品を神前へ」
神前において結婚を誓う前に、オドル王太子と婚約者の身元確認がなされます。
王太子からはブレスレット、公爵令嬢からは三つの宝石が提示されました。
親族席に座る、グレアノ公爵と公爵夫人を名乗る両親は、得意満面でした。
そのまま、厳かに式が進行すると、誰もが思っていました。
ところがーー。
いきなり、室内全体に響くような甲高い声が発せられたのです。
「その婚儀、お待ちください!」と。
貴族のみならず、すべての観衆が、声がする方角に目を向けます。
真っ赤なドレスを身にまとった女性ーーエミル嬢が出入口の扉前で、仁王立ちしていました。
「その婚約者はニセモノです!
婚約者であることを明かす、その宝石は、私、エミル・グレアノのもの。
私は濡れ衣をお父様やその愛人どもに着せられ、すべてを奪われたのです!」
エミル嬢の告発に、真っ先に反応したのは、顔を真っ赤にした「お父様」でした。
彼は席を立って叫びました。
「アレはすでに勘当した娘です。
先妻の連れ子で、父親は私じゃない。
卑しい生まれなのです!」
「お父様……!」
エミル嬢は両目を見開き、大きく肩を落とします。
露骨に敵対する態度を取ったことから考えて、一連の事件ーー自分に対する不当な抑圧を企画した当人が「お父様」であったことを確信したのでした。
エミル嬢は目に涙を溜めているうちに、何人もの衛兵に取り押さえられました。
後ろ手に縛られて、床に叩き伏せられたのです。
すっかり取り押さえられた、犯罪者のようでした。
その姿を目にして、グレアノ公爵家を名乗る者たちや、オドル王太子などは、深い安堵の息を漏らします。
同時に、参列者や観衆は事態が掴めず、口々に噂を囁き合い始めます。
ところが、その一方で、腰を抜かさんばかりに驚倒した人物がいました。
この結婚式における親族代表ともいえるワイド国王です。
王様はガタリと席を立ち、震える指で、新婦を指さしました。
「そこにエミル嬢が取り押さえられている、ということはーーま、まさか。
その、ベールをかぶった女は……!?」
強引に式を挙げてしまえば勝ちだ! と信じるオドル王太子は、驚く父王を尻目に、胸を張りました。
「さぁ、このまま結婚式を続けましょう!
侵入者は、押さえつけておけばいいのです」
王太子の言葉に頷き、司祭様は何事もなかったかのように、神前で祝詞を唱え、若い二人に、
「病めるときも、健やかなるときも、共にあり、互いに愛し合うことを誓いますか?」
と問いかけます。
当然のごとく、オドル王太子とタマルは「はい」「誓います」と答えました。
そして、その後、タマルはベールをはだけ、勝ち誇った笑顔を、床に顔を押し付けられた私、エミルに見せつけます。
それから、悠然とした仕草で、オドル王太子と誓いのキスをしました。
その瞬間、わあああ! と、参列者や聴衆から歓声があがり、花びらが宙を舞います。
「おめでとう!」
「お幸せに!」
「これで王国も安泰だ!」
様々な祝辞や賛辞が、謁見の間に響き渡ります。
このまま、華やいだ雰囲気が広がっていくかに思われました。
ところが、柔らかな空気が一瞬で凍るような、悲鳴が鳴り響きました。
「あぁ、もう駄目だ!
オドルよ。どうしてエミル嬢と結婚しなかったのだ!」
「貴方は、このハイプ王国を捨てる気なの!?」
ワイド王が床を踏み締めて激怒し、母親のレーン王妃は気絶して倒れてしまったのです。
国王夫妻が突如として恐慌状態に陥ったことで、ざわざわと、喧騒が広がっていきました。
このままでは結婚式の晴れ晴れとした雰囲気が台無しになりかねません。
オドル王太子は動揺しながらも、壇上で言い張りました。
「みな、父王らの動揺は気にしないでくれ。
グレアノ公爵家の、ホンモノのご令嬢が、彼女ーータマル嬢であることを、俺の両親は知らないんだ。
いずれ知ることになるだろうから、問題はない。
さあ、式を続けよう!」
次は戴冠式です。
王冠を戴きさえすれば、俺は新王に即位できるーーそう信じて、オドル王太子は拳を握り締めます。
王太子の発言に、司祭様は黙って頷きました。
そしてそのまま、項垂れているワイド王の許へ出向き、頭上に乗せられていた王冠を取ります。
そして恭しく王冠を両手で掲げて歩き、オドル王太子とタマルの許へと進みました。
タマルは、再度、義妹のエミルの方に目をやって、ニヤリと笑います。
それから、スカートの裾をたくし上げ、司祭様に向かって頭を下げました。
この動きに合わせる形で、王冠を頭に載せてもらうよう、司祭様に向けて、オドル王太子も頭を下げました。
ところが、司祭様は王冠を掲げたまま、オドル王太子とタマルの許を素通りします。
そして、そのまま壇上から降りて行き、後ろ手で縛り上げられているエミル嬢のところにまでやって来ると、彼女の頭の上にチョコンと王冠を載せました。
司祭様は、見上げるエミルの顔を見て、ニッコリと微笑み、手を引いて立ち上がらせます。
あまりに自然で、悠然とした振る舞いに、衛兵たちも見惚れるばかりでした。
呆然とする参列者や観衆に向かって、司祭様は宣言しました。
「オドル王太子が、王位を拒絶しました。
よって、王冠はエミル嬢、彼女のもの。
彼女が相応しいと思った相手こそが、新たな王となりましょう!」
思いもしない宣言を耳にして、参列者観衆も大騒ぎとなりました。
謁見の間に喧騒が広がっていき、すぐにも王宮の外へと衝撃は伝わっていくでしょう。
ワイド王は頭を抱え、レーン王妃は気絶したままでした。
オドル王太子は納得がいかず、叫びました。
「なんだ、それは!? 王冠は俺のものだ!」
タマルも、甲高い声を張り上げます。
「どうして、その女に王冠が!?
アレはニセモノの公爵令嬢なのよ!」
彼らの発言を耳にしても、喧騒は収まりそうもありません。
そこで参列者の一人が立ち上がります。
青年神官ーー教皇庁特別調査官ジャイナでした。
彼は、ハイプ王国の人々にとって、衝撃の事実を伝えたのです。
「たしかに、彼女、エミル嬢は、〈ニセモノの公爵令嬢〉と言って良いかもしれない。
なぜなら、彼女こそが、プレシオ神聖皇国ペティ教皇のご息女、エミル第三皇女殿下だからだ!
彼女、エミル嬢と結ばれた者が、ハイプ王国の新王に即位するーーそういう取り決めではないか。
この国の人々は、何を勘違いされたか!」