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夢への第一歩


 いつもの温室の影で。

 男女二人はぴったりと寄り添っていた。この温室はほとんど手入れをされておらず、自然に任せたような状態になっている。美しい場所ではないが、二人で密会するにはとても都合が良かった。


 屋敷の中でも奥に建てられた滅多に人のこない場所。二人の姿を隠すように、枝を張り出し、葉を茂らせている。

 久しぶりの逢瀬に、アリソンもゴドウィンも夢中になって抱きしめ合い、触れるだけのキスを繰り返した。


「ゴドウィン様、もっとキスして」

「愛しているよ、アリソン」


 二人はお互いの想いを口づけの合間に囁き合う。どのくらいそうしていたのか、ようやく満足したころ、アリソンはこてりと彼の肩口に頭を預けた。包み込まれるように抱きしめられて、アリソンは満足そうに微笑む。


「あと少しで、一緒に歩けるようになる」

「そうね。お義姉さまったら、助からないとわかったのか、絶望しちゃって家を出て行ってしまったわ」


 くすくす小さく笑いを零すと、ゴドウィンは少しだけ体を離した。驚いた顔でアリソンを見ている。


「いつ?」

「お義姉さまがいないと、使用人が騒いだのは三日前ね。でも、もっと前に出て行っていたみたい」

「隠しておかなくてよかったのか? 公爵は探すんだろう?」

「お父さまはすごく怒っていたけど……探さないと思うわ。実は、お義姉さまの部屋に置手紙があったのよ。インクが滲んでいて。泣くくらいなら初めからあなたを大切にすればよかったのにね」


 魔道具をつけた数日後、使用人たちがイヴェットの姿が見えないと狼狽えていた。普段から最低限の面倒だけでいいと言われているので、実際はいつからいなかったかはわからない。


「なんて書いてあったんだい?」

「どんどん醜い体になって、さらに痛みが増していって辛いって書いてあったわ。死んだ姿を見られたくないから、探さないでほしいですって」

「痛み? 醜い体に? そういう魔道具なのか?」


 想像したのだろう、ゴドウィンが眉を寄せる。アリソンはそんな彼の頬を優しく撫でた。


「魔力枯渇になっていくのだから、そうなんじゃない? よくわからないわ」

「でも、確実に死んだとわからなければ、アリソンが跡取りになれないんじゃないのか?」

「大丈夫よ。あの置手紙、遺書として十分機能しているわ」


 アリソンは文面を思い出した。余計な恨み言も何も書いておらず、鑑定を、と求められてもそのまま出せる手紙だった。状況を少しだけこちらに有利になるように整えれば、立派な遺書だ。

 

「しかし、それで認められるものなのか?」

「大丈夫でしょう。筆跡はお義姉さまのものだし。最悪、お金を積めば何とかなるわよ。最後ですもの、すごく豪華なお葬式をしてあげましょうね」


 ゴドウィンはイヴェットがいなくなって不安そうだが、アリソンはいなくなってよかったと感じていた。もし死体が残っていたりしたら、逆に面倒なことになったはずだ。


 イヴェットはこの家で冷遇されていても、外では跡取り娘。それに、彼女は次期公爵として国王から目を掛けられている。死体を調べられたりしたら大変なことになる。


 イヴェットがいなくなれば、国王だってアリソンを見るようになる。前妻の娘である彼女がいるせいで、アリソンは注目されてこなかった。アリソンだってクリーヴズ公爵の娘なのだ。母親が平民とは言え、その扱いの差があまりにも悔しすぎる。


「あと少しだわ。この家はわたしのものになるの」

「アリソン?」


 アリソンのどろどろとした感情が滲んだ低い呟きに、ゴドウィンが不審そうに名前を呼ぶ。はっとして、アリソンはとろけるような笑みをゴドウィンに向けた。


「ようやくあなたと結婚できるのね。待ち遠しいわ」

「ああ、そうだな。無理だと思っていたのに、こんな幸せを手に入れられるなんて」


 ゴドウィンはアリソンを強く抱きしめ、もう一度、唇にキスをする。先ほどの触れるだけのキスとは違う深いキス。彼の熱を注がれて心が次第に熱くなる。


 頬に、瞼に、唇にキスをしながら、彼の手が不埒に動き出す。骨ばった大きな手が、アリソンの背中をゆっくりと撫で上げた。その無言の動きがアリソンを欲しいと訴えていた。男の熱のこもった眼差しに気分を良くしながら、アリソンは囁く。


「ああ、それ以上は駄目よ。わたしの初めては結婚式の日に捧げたいから」

「結婚式、まだまだ先じゃないか」

「わたしだって今すぐゴドウィンに沢山愛されたいわ」


 甘く囁き返せば、彼に体を押し付けるようにして抱き着いた。


「なんて酷い恋人なんだ。これでは我慢も難しいじゃないか」

「ふふ、じゃあ、もう一度、素敵なキスをしてあげる」

「キスだけ?」

「そうよ、キスだけ。しかも触れるだけの可愛らしいキスよ」


 ますます蕩けるような顔をするゴドウィンは王族にも負けないほど美しい。その顔を見つめているうちに、普段は心の底に隠している仄暗い気持ちが表面に沸き上がってくる。


「アリソン、愛している」

「わたしも」


 この美しい男をアリソンは義姉であるイヴェットから奪った。どうしても欲しかったから。イヴェットは彼の美しさを見ることなく粗末に扱っていた。奪ったところで少しも悲しんでいないだろう。そう考えると業腹であったが、それでも。


 何でも持っている義姉よりもアリソンを選んでくれたゴドウィン。

 それが舞い上がるほど嬉しい。


「僕の愛を全身で理解してほしいんだ。アリソンと身も心も一つになって僕のものだと感じたいんだ。いいだろう? 最後までしないから……」

「そういっていつもぎりぎりじゃない。でもわたしも愛してほしい」


 音になるかならないぐらいかの囁きで応える。ゴドウィンは強く抱きしめた。


「そこまでです」


 気分が乗ってきたところで制止の声が聞こえた。二人抱きしめ合ったままで、声の主に目を向ける。呆れたような顔でいるのはゴドウィンの護衛だ。


「いいじゃないか」

「今夜は旦那様に夕食の席に着くようにと伝言を頂いております」

「何とか断れないのか」


 アリソンは急いで彼の唇にキスをした。


「ゴドウィン、バリー伯爵と喧嘩してほしくないわ。祝福されて、幸せな花嫁になりたいの。また今度、ね?」


 イヴェットを排除するのだ。ゴドウィンの父親であるバリー伯爵を敵に回したくない。アリソンは両家に祝福されながら、公爵家の跡取りになるのだ。そうすることで、イヴェットと親交のある貴族たちは批判できなくなるはずだ。


「わかったよ。じゃあ、また今度」


 ゴドウィンはねっとりとした未練がましいキスを残すと、護衛と共に帰っていった。一人残されたアリソンはすべてが上手くいっていることににやにやと笑う。


「うふふ」


 もう少しで、公爵家とゴドウィンの両方自分のものになる。

 喜びが胸を一杯にした。目に入るもの、すべてがキラキラして見える。


 ずっと不満に思っていた。同じ父親を持っているのに、母が違うだけですべてが違っていた。

 生活も、与えられる贅沢も、何もかも。


 指をくわえて外から見ていた公爵家がもう少しで手に入る。イヴェットの代わりというのは気に入らないが、母親の身分差はそうしないと埋まらない。彼女の持っていた信頼も、信用もすべて引き継いで、この国で王族すら声を掛けてくる身分になる。


 公爵家の跡取りとなって、皆の注目を浴びながら最上級のドレスを着て、夜会でダンスを踊る。

 もちろんエスコートはゴドウィンだ。


「そうだわ、今度の茶会でお義姉さまが病で寝込んでいると広めておかなくちゃ」


 やることは沢山ある。

 イヴェットが病を得たこと。

 家族でとても心配していること。お見舞いと言われても困るから、環境のいい場所に療養に行っていることにしよう。


 これからの現実をあれこれ考えていると、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「アリソン、いるの? いるなら返事をしなさい」

「お母さま、ここよ」


 ゴドウィンが帰ってから時間が経っていたようだ。温室に入ってきた母パメラを見て、声を上げた。アリソンとよく似た美女が姿を見せた。彼女は娘のにやにやした顔を見て、眉を顰める。


「なんてだらしない顔をしているの。気持ち悪い」

「いいじゃない。これからのことを思うと気持ちが高ぶってしまうのよ」


 アリソンはパメラに自分の隣に座れるように、少しだけ場所を開けた。だが、彼女は向かいの席に腰を下ろす。


「ねえ、お母さま。わたし、新しいドレスが欲しいわ。いいでしょう?」

「ドレス? 先日も作ったばっかりじゃない」

「あれはちょっと今は不似合いなの。義姉を心配する心優しい妹に見えるような、地味なドレスが欲しいのよ」


 パメラの眉が問うように持ち上がる。


「地味なドレスがどうしてそこに繋がるの」

「心痛めているように見えるじゃない。それに、派手さがなければ傷心のゴドウィン様を慰めていても、おかしくはないでしょう?」

「なるほどね。社交界に病気で出てこられないと印象付けるのは良いわね」


 パメラは許可を出すように頷く。アリソンは満面の笑みを浮かべた。


「ふふふ。早くお義姉さま、死んでしまわないかしら」

「死ぬまで三か月はかかるわよ。病気なんだから。あの子の葬儀の後に、公爵家の継承者に指定されるはず。それからね。あなたの婚約は」

「えー! そんなにかかるの? 早く彼と結婚したいのに」


 不満の声を上げれば、パメラはぎろりと睨んだ。


「一年ぐらい我慢しなさい。ジェレミーに理解してもらうにも時間がかかるのよ」

「どうしてよ。お父さまはお義姉さまのことなんてもうどうでもよくなっているでしょう?」

「ちょっとの刺激が封じた記憶を刺激するのよ。ただでさえ、時々不安定になるのに」


 アリソンは首を傾げた。


「お父さま、また何かを思い出したの?」

「ええ。薬を処方したから、しばらくはまたベッドの住人ね。心配しなくても、わたしがちゃんと面倒を見ているから」


 パメラの満足げな顔を見て、ジェレミーの状況がなんとなくわかった。パメラがジェレミーを愛していることは確かで、そのために色々としているのも知っている。


「ふうん。わたしが公爵家を継ぐまで死ななければいいわ。それから、お母さまの侍女。わたしが当主になる前に、暇を出してほしいのよ」

「何を言っているの。彼女がいるから、あの魔道具だって手に入ったのよ? それにジェレミーを手に入れられたのも、彼女が助言してくれたからだわ」

「お母さまが恩義を感じているのは知っている」


 怒りを向けられないように、アリソンはパメラの気持ちに寄り添った。


「そうでしょう? 彼女がいなかったら、わたしは祖国で処刑されていたのよ」

「その話は初めて聞くけど?」


 アリソンはパメラの出自はあまり知らなかった。本人が語らなかったのもあるが、元々貴族であっても今は平民であることには変わりないから。


「わたしはちょっと羽振りの良い伯爵家の令嬢だったのよ。お父さまが、変なものを掴まされてね。何故か、反社会勢力として捕まってしまったの。一族は処刑、さらにお取り潰しになってしまったのよ」


 パメラの過去は想像以上だった。アリソンはだからあれほど貴族になることに拘ったのかとなんとなく理解する。


「お母さまの恩人であることはわかったけど。でも、わたしが公爵家の跡取りに選ばれた時に、秘密を知る人間はいない方がいいと思うの。お母さまのお父さまと同じように裏切られるかもしれないし」


 確かに、と呟きパメラは考え込んだ。アリソンはさらに毒を吹き込んだ。


「それに、あの侍女にお母さまがどれぐらいお金を渡しているかは知らないけれども。いつまでも払えないわ」

「でも」


 侍女がいなくなることを想像して、パメラは迷いを見せた。ずっと一緒だったからか、アリソンとは温度差があるようだ。これ以上ここで言っても仕方がないとアリソンはこの話題を切り上げることにした。


「お母さまも流されないで先のことを考えてよね」

「わかったわよ。あなたも前のめりになりすぎて失敗しないでちょうだい」

「しないわよ」

 

 ようやく自分に相応しい現実がやってくる。欲しかったもの、すべて自分のモノになるのだ。

 失敗なんて、するはずがない。

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