これは運命の出会い、真実の愛4
「なるほど。彼女が禁呪の適合者か」
引き込まれた先は、寒々とした石壁の部屋だった。窓も扉も何もない部屋。石壁には小さめの魔法陣がいくつか刻まれており、灯のように発光している。その光が部屋を明るくしていた。
薄暗い部屋に白く浮き上がるのは、イヴェットと変わらない年齢の、髪も肌も真っ白な女だった。異様なほどの真っ赤な瞳がとても印象的で、見た瞬間に発狂したくなるほど。
「だ、だれ?」
「大聖女と言えばわかるか。まあ、そういう存在だよ、わたしは」
「大聖女……」
昔、ケイトから教会の聖女について聞いたことがあった。禁呪の復活を願うケイトたちにしたら敵と言ってもいい存在だ。無意識のうちに、後ろへと体が逃げる。
「そう恐ろしがらなくとも」
くつくつと笑う声は、とても若い娘のものではなく。
「禁呪の使い手は数年で狂い死ぬか、禁呪に失敗して死ぬかしかないと思っていたが……こうして適合する者もいるのだな」
そう言いながら、しげしげとパメラを眺める。何を見ているのかわからない赤い目に、パメラは鳥肌が立った。禁呪を自由に使いこなせるようになってから、これほどの恐怖を味わったことはない。すべてを見透かすようなその目が、恐ろしい。
「魔力はさほど多くないようだが、もしかしたら魔力の借用ができるのか」
なるほど、と頷いて、見えない何かを見ている。
「お嬢さま、お逃げください!」
目が覚めていたのか、ケイトが大聖女に体当たりした。思い切り体当たりしたはずが、弾き飛ばされたのはケイトの方だった。大聖女はびくともせずそこに立っている。目を細め、唇は弧を描く。
「そっちの男も目が覚めているようだね。じゃあ、始めようか」
大聖女はそういうと両手を合わせ、呪文を唱える。空中に魔法陣が二つ浮かび上がり、ケイトとジェレミーの額に打ち込まれた。
「うわっ!」
覚醒して間もないジェレミーが悲鳴を上げる。パメラはジェレミーの側に転がるようにして近づいた。
「ジェレミー!」
頭を抱えて蹲るジェレミーの背中を撫でる。彼はパメラの声に反応せず、苦しそうに呻き続けた。その後ろで、同じように魔法陣を撃ち込まれたケイトは絶叫して、床を転げまわっていた。
二人の症状は異なるが、大聖女が何かをしたことには間違いない。大聖女を激しく睨みつけた。
「何を……!」
「心配いらない。浄化の魔法陣だ。穢れているほど、痛みが強い。なあに、死にはしない。浄化が終われば、痛みもなくなるだろう」
パメラは怒りでどうにかなりそうだ。ジェレミーもパメラと同じように主の力を引き出せるようにと、薬を与えていたところだ。ここで浄化されてしまえば、今までの努力が無になってしまう。
強く手を握りしめた。いつものように力を引き出せないが、それでも体に残っている分で目の前の女を殺すことは可能なはず。
パメラは憎悪を隠すことなく、口の奥に仕込んでいた魔法陣を起動させた。
体中が痛い。膨大な力を魔法陣に吸い上げられていく。これに耐えなければ、起動しなければ、ジェレミーを連れて逃げることができない。
ともすれば、飛んでしまいそうになる意識を何とか保って。ジェレミーの背中を撫で続けた。
あと少しで、魔法陣が完成する。
「なるほど、こういう仕掛けか。魔法陣を体の中に仕込んで、魔力は他から持ってくる。確かに適合者は少ないだろうな」
感心したように大聖女が呟く。
「これで随分と研究が進む。礼を言おう」
大聖女が華やかに嗤った。その瞬間、最後の力を振り絞って展開した魔法陣が壊れた。体の奥が焼けるような熱さと痛みが襲う。その苦しさに、体が崩れ落ちた。
「あ、ああああ、ああっ!」
「お前は自分が使っている力の源がなんであるか知っているか?」
全身が痛い。ひゅうひゅうと息を吸い込みながら、強まる痛みに苦しむ。何かがこみ上げて、吐き出した。真っ赤なそれに目を見開いた。
「ち、血が」
血の量にも驚いたが、指先が黒く変色し始めたのを見て驚愕した。
「何が」
混乱して頭が真っ白になる。固まっているうちに、どんどんと黒さは増していった。視界も徐々に黒くなっていき、見える範囲が限られていく。
「パ、メ……ラ」
ジェレミーの声が聞こえる。だけども視界が暗すぎて、彼の姿が見えない。手探りで、ジェレミーの上に覆いかぶさる。酷い激痛の他に、仄かな温かさを感じた。
「中央教会のごく一部の人間にしか伝わっていない、昔話だ」
遠くで、大聖女の声がする。
「この世界を循環するために、神の娘が遣わされた。神の娘は一人の若者と恋をする」
それは創世記のずっと後の話。
神の娘と若者は愛し合って、幸せに暮らしていた。
二人が幸せであればあるほど、世界は安定し豊かになっていく。
人が増え、国が興り。
穏やかに、善良に生きていた人間たち。
幸せに輝く神の娘に劣情を抱く男が、神の娘を大切に愛する若者に恋をした女が。身勝手な思いを神の娘と若者に押し付けた。
当然、若者は愛する女性は彼女だけ、と女を拒否する。自分の想いを拒否されて激情した女は自分のモノにならないのなら、と若者を何度も何度も短剣で刺した。
抵抗を封じられ、男に組み敷かれていた神の娘は彼が事切れるのを側で見ていた。
神の娘は狂った。神の娘の美しい姿が恐ろしい醜い姿へと変貌した。
天が裂け、地が燃えた。
神の娘の絶望が世界を壊し始める。
それを止めたのは神託を受けた聖職者。
彼は神託で与えられた剣を使い、神の娘の首を落とし。
天変地異は止まった。
でも、神の娘の絶望は穢れと変化し、世界が闇に閉ざされる。
美しかった空も、豊かだった大地も、穏やかだった人たちも。
何もかもが絶望に染まっていた。
人が暮らすには厳しい環境になってしまった。若者に恋をした一人の人間の娘のせいで、神の娘に劣情を抱いた男のせいで。
二人のことは許せないことであったが、他の人間たちには関係ないこと。
哀れと思った神は救いを与えた。
神の娘の絶望を、穢れを払う浄化の力を与える。
これが教会の、聖女の始まり。
「大聖女様、もう聞こえていませんわ」
大聖女は黒炭のような塊から顔を上げた。後ろを見れば、ソフィアがそこにいる。
「ああ、ソフィア。なんだ来たのか。無理をしなくてもよかったのに」
「そうはいきません。結末を見届けたかったので。間に合いませんでしたが」
大聖女は黒炭の塊に手を払った。ふわりと立ち上った光がそれらを包み込むと崩れて消える。もう一人、半分体を崩しながらもだえ苦しんでいるケイトが呻く。
「お嬢さま、わたしのお嬢さまが」
「お前たちが彼女をここまで変質させたのだろう?」
「うるさいうるさい。この世界は主様のためにあるべき」
しゃがれた声でわめき始めたケイトに、大聖女は浄化の光を浴びせる。
「わたしたちはこんな程度で消えはしない」
そんな言葉を残して、ケイトも崩れ散った。
「やはりここまで取り込んでいると浄化はできないな」
「適合者と言っても、人間でしょう? どうして魔物のように」
「体が人間だっただけで、すでに人ではないのだろう。現に、パメラの方は呪具化していた。体の中にも沢山の禁呪を取り込んでいたはずだ」
何とも薄気味悪い話で、ソフィアは眉を寄せた。
「生贄とは違うのですよね?」
「そうだな。今までも記録が少ないから、はっきりとは言えないが」
もう少し何かを知っていそうであったが、大聖女はそれ以上は語らなかった。ソフィアはため息をついて、首を左右に振る。
「あの男も適合者だったのですか?」
「ああ。女性二人のように完全ではなかったから、適合者に育てていた最中なのだろう」
これで、クリーヴズ公爵家の出来事は手仕舞となった。
「興味深い事象ではあったが、あまり情報が引っ張れなかったな」
「もう少し手加減すればよかったのでは?」
大聖女のボヤキに、ソフィアが冷たく言い放った。
「これでもジェレミーを上手く使おうと思っていたんだぞ。ただ、彼が適合者として育てられていたのは予想外だったんだ」
「そういうことにしておきます」
二人は部屋から出て、光のある世界へと戻っていった。
Fin.




