これは運命の出会い、真実の愛2
家を捨てて、いくつかの国を転々として。
今までと同等の生活ではなかったが、貧しい生活ではなかった。平民よりも少し豊かな生活をしながら、色々な国を回った。
伯爵家の娘として暮していた時は気にしたことはなかったが、彼女たちは伯爵家に雇われていたわけではない。ある組織に属していて、そこから派遣されていたのだ。伯爵はその組織と契約を結んでいた。地下での実験は組織の人間が行っていたのだろう。
知らなかった事実を告げられ、冷静に眺めてみれば、裏切られたとか、スケープゴートにされたのでも、何でもなく。
伯爵は想定以上に調子に乗った。
ただそれだけのこと。彼らの良きパートナーでいれば、ずっと富を約束されていた。気が付かれないように秘密裏に行っていた彼らに対して、伯爵はもっと利益が欲しいと派手に貴族を暗殺していった。騎士団に目をつけられてもおかしくないほどに。
「お嬢さま、本日のお薬です」
ケイトに差し出されたお盆の上に小さめのグラス。グラスには赤みかかった黒い液体が入っている。
「今日は随分と黒いのね」
「はい。順調に馴染んでおりますので、今日からはもう一段上のものを用意いたしました」
「ええ?」
そんな話は聞いていないと、不愉快気に眉を寄せた。だが、ケイトは気にすることなく微笑む。
「このランクの薬にたどり着いた人は今までに数人だけ。お嬢さまは素晴らしい素質を持っているのです」
「そう」
期待に目を輝かせるケイトを見て、断ることは難しいとため息をつく。グラスを揺らすと、液体がどろりと揺らめく。
気が進まないが、飲むことがパメラへ求められている仕事だ。彼らの言う素晴らしい素質に磨きをかけること、これがパメラが不自由のない生活をするための条件。
勢いよく、一気に呑み下した。
「!!!」
あまりの不味さに、吐き戻したくなる。だが、これを吐いたところで、飲めるまで用意されるのは今までの経験で知っていた。口を押え、喉の奥を締め、逆流を防ぐ。
「お口直しです」
差し出されたカップを乱暴に掴み、こちらも喉に流し込んだ。爽やかな香りとほのかな甘さが、口の中を爽やかにしていく。
ようやく一息ついて、パメラはぐったりと長椅子に沈みこんだ。
「薬の効果が出てくるのは一時間後です。初めての薬なので、体が慣れるまではゆっくりと進めましょう」
「どんな効果が出てくるの? 微妙な効果なら、明日からは飲まな……」
「主の力を自由自在に扱うことができるようになります」
被せ気味にケイトが告げた。パメラはぱちぱちと瞬く。
「主?」
「はい。わたしどもは、封じられた主の力を引きだし、完全なる解放を求めています」
途方もない話、というのはこういうことを言うのだろう。
恍惚とした表情でケイトは説明し続ける。主の素晴らしさ、そして封じられてしまった無念。主を解放するための今までのアプローチ。それは長い年月をかけて、密やかに続けられてきた秘儀だった。
「もしかして、屋敷の地下での実験は」
「主の力の一部を使って、魔物との融合、空間の結合など、理論の裏付けです。特殊な魔法陣は今は一つ動かすのがやっとです。もし、お嬢さまが主の力を引き出せるようになれば、いくらでも好きな時に失われた魔法陣を使うことができます」
よくわからない理論を滔々と説明され、パメラはげんなりした。こういう話をすることが好きなのか、ケイトの話は途切れることなく続く。適当に相槌を打っているうちに、心臓が大きく跳ねた。痛みを伴う鼓動に、パメラは胸を押さえる。
「?」
「ああ、始まりましたね。ゆったりとした気持ちでお過ごしください。早ければ半日ほど、遅くても二日ほどですから」
何が、という前に、全身がバラバラになってしまいそうなほど痛み始めた。体に入り込んだ何かが、無理やり流れ込み、体の中の何かを広げるようにして進む。
余りの痛さに声を上げることもできず、意識が飛んだ。
◆
「お嬢さま」
出かける身支度をしていれば、ケイトがお盆にグラスを乗せてやってきた。その色を見て、あからさまに顔をしかめる。
「それ、いらないわ。飲まない」
「我儘はいけませんよ」
「前の薬だったら飲んでもいいけど。新しい薬、意識が飛ぶほど痛いのよ。もう一度飲んだら、きっと発狂するわ」
大げさではなく、ようやく回復したばかりなのだ。もう一度飲んだら、きっと意識は戻ってこないだろう。
一般的な死とは違うかもしれないが、自分ではない何者かにとって代わる。
自分が体験したが故の、確かな予感。
前回、新しい薬を飲んだ後、三日間、意識は戻らなかった。
激痛と、体を何かがはい回る気持ち悪さと、それから寒さと。
なんだかよくわからないが、意識が体と切り離されてしまったのではないかとそんな状態。意識が戻った後も、体中が痛み、吐き気とだるさに悩まされた。
「ここで頑張れば」
「だったら、ケイトが飲みなさいよ。わたしはもう嫌」
そう言って、テーブルの上に用意してあった帽子を手に取る。
「どこに行かれるのです?」
「お茶会よ。いつもお世話になっている商会のオーナー夫人に招待されたの」
「そのお話、聞いていませんが」
ケイトが表情を強張らせた。パメラは肩を竦めた。
「ケイトには言っていないもの。でも、ちゃんと彼の許可は貰っているわよ」
この屋敷を管理している男のことを言えば、ケイトは口を閉ざした。
◆
オーナー夫人の主催したお茶会は、いつもとは少し違っていた。普段はお得意様を中心に招待され、とても気楽な雰囲気。貴族ではないから、ドレスコードはないし、貴族のマナーのように厳しくない。
貴族令嬢として育ってきたパメラの所作はとても美しく、オーナー夫人には気に入られていた。だから、誰よりも先に彼に引き合わされた。
オーナー夫人の隣に立つのは、とても美しい容姿をした男性。男性なのに、滑らかな白い肌に整った顔立ち。着ている服も庶民寄りにしているのだろうが、それでも明らかに質の良い物。
「パメラさん、こちらがジェレミー様ですわ」
「はじめまして。パメラと申します」
パメラはワンピースの裾を少しつまみ、右足を後ろに引いた。平民では使わないお辞儀の仕方に、ジェレミーは驚いたように目を見開く。
「君は」
「それ以上は言葉になさらないで。わたしは平民ですわ」
ジェレミーの言葉を笑顔で封じる。
「……少し彼女と話しても?」
オーナー夫人は満面の笑みを浮かべた。
「ええ、もちろんですわ! 今は薔薇が見頃なのです。是非、見ていただきたいわ」
「では、行こうか」
ジェレミーはそう言って、手を差し出した。国を出てから、このようにエスコートされることはなくなった。最後はいつだっただろうか。どこか懐かしい気持ちになりながら、そっと自分の手を乗せる。
握られた瞬間。
何かが体を駆け抜けた。それはジェレミーも同じだったようで。二人で無言で見つめ合う。
それだけでわかった。
彼は自分のためにある存在だと。
「ジェレミー様」
声がかすれた。もっと綺麗な声で話しかけたいのに。
「敬称はいらない。ジェレミー、と」
「でも」
「呼んで」
真剣に見つめられて、パメラはジェレミーの名を呼んだ。胸の中から込み上げる歓喜。彼のために自分という存在がある。




