繋がった空間
生死を彷徨うほどの衰弱ぶりと手紙には書いてあったが、こんなにも変貌しているとは思っていなかった。
少し癖のある黒髪は白髪交じりになり、パサついて艶がない。頬もげっそりとこけ、肌は張りがなくたるんでいた。唇もかさついていて、白っぽくなっている。そして、見るからに老け込んでいた。
事前にジェレミーだとわかっていなければ、よく似た他人ではと思ってしまうほど、記憶にある彼と一致しない。薬の影響だというが、薬以前に健康を害していたのではないのか。パメラがジェレミーを愛しているから、病気を治すために怪しげな薬を与えてしまったのではないのかと疑った。
「こ、こ……は」
酷くざらついた、かすれた声。
まだ頭がぼんやりしているのか、彼の目は焦点を結ばず、ゆらゆらと辺りを彷徨う。慣れない転移に眩暈を起こしているようだった。
どう声を掛けようかと迷っているうちに、ジェレミーが突然怒りの声を上げた。
「お前はエリノア! これは貴様の差し金か!?」
「おっと。大声厳禁」
ロルフが飛び出そうともがくジェレミーの背中に体重をかけ、強く押さえ込んだ。血走った目が見ている先には、イヴェットではなくソフィアがいた。ソフィアは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに感情を消して唇だけ笑みの形にした。そうしていると、エリノアによく似た雰囲気になる。
騎士たちはソフィアの態度に戸惑いながらも、二人を見守った。
「まあ、怖い。でも死にそうだと聞いていた割には元気みたい」
ソフィアは面白そうに目を細めた。それが癪に障ったのか、ジェレミーは動かない体を左右に揺らし、自由になろうと暴れる。
ロルフは舌打ちすると、束縛の魔法でジェレミーをきつく縛り上げた。体と腕を一緒にぐるぐるに巻かれ、芋虫のように転がる。
「何でお前が生きているんだ。あの時、死んだはずだ! まさか、ずっと生きていて? そんなはずはない、あいつの腹に穴がいくつも開いていた。血だって……絶対に助かるわけがない」
一人でブツブツと何やら言い始めている。その内容を聞いて、ソフィアから恐ろしいほどの怒りが溢れた。だがそれは一瞬。情報を得ようと、彼女はエリノアの振りを始めた。ジェレミーの言葉を拾い、話を合わせていく。
「ええ、とても痛かったわ。一体どれほどわたくしの腹を刺したのかしら?」
「そうだ、お前は魔法が得意だった。あの時に治癒魔法を使ったんだな? ああ、だから一思いに心臓を刺せと言ったのに! パメラが死ぬまで苦しませたいなんて言うから」
恐ろしい言葉の数々に、イヴェットは血の気が引いた。騎士たちも事情が分かるにしたがって、殺気立ってくる。
「ふうん。あなたはどうしてわたくしを殺したの? あなたは婿なのだから、わたくしを殺したってクリーヴズ公爵家は手に入らない。それとも、その程度も思いつかないほど頭が悪いから仕方がないのかしら?」
「お前はいつだってそうやって私を馬鹿にして! お前なんか、王命でなかったら誰が結婚など……!」
「王命?」
ソフィアの声が一段と低くなった。雰囲気が変わったことに気が付かないのか、ジェレミーは興奮気味に唾を飛ばす。
「見た目は多少見られるだけの、つまらない女なんて、王命以外に誰が結婚しようと思うんだ。お前に寄ってくるような男は大抵爵位と金目的だったろうが。そもそも口の上手い男に騙されて妊娠していただろうが」
あまりの衝撃に、目を見開いた。ソフィアは険しい表情でジェレミーを見下ろす。視線で殺せるのなら、今すぐにでもジェレミーの息の根は止まっていただろう。
「残念ながら王命ではないわね。貴方のお父さまが援助目的に、持ち込んできた縁談よ。それにイヴェットは間違いなくあなたの子供。血の繋がりは教会で確認されている」
「援助だと? 嘘を言うな! 教会に金を積んでそういうことにしたことは調べがついている」
ソフィアは青筋を立てながらも、手を握りしめ何とか冷静さを保っていた。
「一体誰がそんな嘘を」
「嘘ではない。パメラが結婚のこと、子供の事、すべて教えてくれた! そもそもあの娘、私に何一つ似ていないだろうが! しかも月足らずで生まれてきたんだ。他の種を仕込まれた女と結婚するなん…んんっ」
「もう黙んなさい」
ロルフはため息をつくと、口が開かないように拘束魔法をかけた。拘束を外そうと、もごもご何かを言いながら、体をくねらせている。とてもじゃないが、病人の扱いじゃない。それでも誰も止めなかった。
イヴェットはジェレミーの言葉が理解しきれずに茫然と立ち尽くしていた。
「……愛されていない理由が血がつながっていないから?」
どう受け取っていいのか混乱しつつも、頭の中は忙しく思い返していた。確かにイヴェットの目から見ても、両親の夫婦関係は破綻していた。ほとんど会話がなく、それでも最低限の接触はしていて。エリノアはにこりともしない性格かと思っていたが、二人の関係が無表情にしていたとしたら。
パメラを愛した背景には、ジェレミーにとって我慢できない理由があったわけだ。勘違いだとしても、ジェレミーにとってイヴェットは自分の子供ではない。
だけど理由がわかってしまえば、納得できるところもあった。愛しているのに上手く愛せなかったと言われるよりはよほど清々しい。
イヴェットは大きく息を吐いた。
「しかし、罪深いな」
ウィルフレッドがぽつりと呟いた。イヴェットは横に立つ彼を見上げる。
「何が?」
「夫婦仲のことは個人の問題だ。どうでもいいとしても、だからと言って殺していい理由にはならない。愛のある結婚ができなかった不幸はお互い様だ。その上で結婚して、あの男は公爵家の特権を手に入れているわけだから」
顔を真っ赤にして拘束から逃れようともがいているジェレミーを、イヴェットは冷めた目で眺めた。自分の父親ではないと誤解していると理解してから、彼に対する興味が本当になくなっている。
何とも言えない空気になっていたが、ダレンが厳しい声を上げた。
「来るぞ!」
まずは風の魔法が飛んできた。イヴェットの時とは違い、ジェレミーを守るように周囲に風の刃が飛ぶ。イヴェットは下腹に力を入れると、騎士たちへ結界の盾を飛ばす。盾になった結界は風の刃の力を吸収して壊れた。
ほっとしたのもつかの間。
今度は空間に歪みが現れた。それは訓練場での現象と同じで、複数の空間が裂け、暗い穴から沢山の魔物があふれ出した。小さいけれども大量の魔物に、騎士たちは表情を引き締める。ソフィアは手馴れた様子で、歪みを浄化していく。それでも魔物はそれなりの数が溢れてきた。
ウィルフレッドは向かってくる魔物を払いながら、イヴェットを回復の魔法陣の側に連れていく。もうこうなってしまってはどこにいても安全なところはないが、少なくとも回復の魔法陣の側にいれば、魔力切れを起こす可能性は低くなる。
「自分に結界を掛けておくんだ」
「他の人は?」
「騎士たちには邪魔になる。どちらかと言えば祝福が欲しい」
祝福と言われて、頷いた。ソフィアほどの効果は望めないが、イヴェットは自分のできる最大限の祈りを込めて騎士たちを祝福をした。
狭い空間の中で、魔物が次々に現れ、それを迎え撃つ騎士たちは躊躇いもなく剣を振るった。斬られた魔物はすぐさま浄化の魔法陣に吸収され消滅する。血を撒き散らす前に魔法陣が吸収していくので、穢れが増えない。
「おおっ! なかなか面白い仕組みだな!」
向かってくる魔物を薙ぎ払っていたダレンが面白そうに笑う。魔物たちが吐き出される空間の歪みも、訓練場の時とは違いすぐに閉じていく。大聖女の魔法陣の浄化が上手く働いているようだ。徐々に魔物も数が減っていき、これで終わりだろうと思い始めた頃。
「きゃあああ、ジェレミー!!」
場違いな、甲高い声が響き渡った。




