死にたくないので家を出ます
イヴェットは公爵家、さらに言えばこの国に対して思い入れがほとんどない。前公爵である母が急死したことで、急遽、国に戻されただけ。
五歳の時に聖女の素質を見出され、それからずっと聖国にある中央教会で聖女の教育を受けて育っていた。定期的に屋敷に戻ってきてはいるものの、特に親しい友人がいるわけでもなく、家族仲も微妙なもの。
「こんなことになるのなら、あのまま教会に残っていたかったわ」
「そうですね。わたしも葬儀に出るだけだと思っていました。そのまま教会に戻れなくなるとは」
カイラもため息を漏らす。カイラは中央教会の時にイヴェット専任の侍女となったので、生まれは聖国だ。イヴェットを置いて中央教会に戻ることもできたが、彼女はずっとイヴェットを支えるために残っていた。
「これから、どうしようかしら?」
「どうにもこうにも。旦那様が当てにできないのなら、陛下にご報告して伯爵家に抗議を」
「それが正解なのだけど。二人ともものすごく密着していて、愛し合っています、という様子だったのよ。こちらが何かすれば、ますます盛り上がりそう」
二人が寄り添っている姿はイヴェットの目から見ても幸せそのもの。
ゴドウィンは優しい眼差しをアリソンに向け、アリソンも幸せに満ちた笑みを浮かべていた。いつも無言で過ごすイヴェットとのお茶会とは大違いだ。
「お嬢さまはお辛くはないのですか?」
「多少はショックだったけれども。無理しなくていいのかもと思ったら、気持ちが楽になったぐらい」
寝取られたのだけども、さほど辛くない自分に笑いがこみ上げてくる。なんてことはない、イヴェットもさほどゴドウィンを好ましく思っていなかったのだ。
「でも一体いつから二人は関係していたのでしょう?」
「わからないわ。そもそも一月に一度しか交流していなかったから。それに恋はある日突然落ちるものなのでしょう? きっとそういう感じなのよ」
いくつか読んだことがある恋愛小説では、道ならぬ恋に恋人たちは強火で燃え上がっていた。二人の恋愛に基づく行動はハチャメチャで、とてつもなく盲目的であったけれども、愛する力の強さで恐ろしいほどの運を引き寄せ、自分たちの愛の強さを証明していく。
ゴドウィンもアリソンも、感情面では小説のヒロインヒーローと同じく無敵の状態。だから、本人を前に死ねと平気で言えてしまう。
「お嬢さま、恋愛小説と現実を一緒にしてもらっては困ります。アリソン様とゴドウィン様の関係を結婚までになんとかしないと」
「ゴドウィン様と結婚? しないわよ。義妹とはいえ、身内と浮気する男なんて気持ち悪い」
「……婚約破棄、できるのですか?」
今まで婚約解消ができなかったのに、とカイラが疑わしそうにこちらを見る。イヴェットは楽し気に頷いた。
「もちろん。アリソンの浮気だけだったら逃げられてしまったかもしれない。でも、これがあるからね」
にんまりと笑って、自分の腕に嵌ったバングルを見た。これを外すために教会に行けば、当然、調査が入る。次期当主の命を奪おうとする証拠品だ。
「ですが、ゴドウィン様は騙されていたんだと大騒ぎしそうですけど」
「確かに。アリソンが跡取りになれないとわかったら、騙されていた、本当は君が運命の相手なんだと手のひらを返したようなことを言ってきそう」
その様を想像して、二人してため息を落とした。
「すごく面倒ね。一層の事、この家から出て行こうかしら」
今まで一度も考えたことのないこと。正当な継承が行われないのなら、せめて優秀な当主になろうと頑張ってきた。婚約継続だって、その一部だ。
でもこうなってしまえば、すべてがバカバカしく。現状からアリソンとゴドウィンを排除するのではなく、自分が消えてしまった方がいいような気がしてきた。
「お嬢さまはそこまで割り切れるのですか? あれほど努力を重ねてきたのに」
カイラの言いたいことはわかる。イヴェットの悩みも辛さもずっとそばで見てきたのだから。
「わたくしだって、受け継ぎたいと思って頑張ってきたわ。でも、無理。誰もわたくしが継ぐことを望んでいない。それに継承の儀式ができないのなら、血筋にこだわる必要はないのよ」
当主となる儀式をしていない不安、その上、騒ぐ父とその家族、婚約者。
今までは見ないふりをして頑張ってきたけれども、殺したくなるほど疎ましがられていた事実にこれからも頑張ろうという気持ちは少しも湧いてこない。
「よく考えてください。一度離れてしまえば、もう戻ってくることはできません」
「わかっているわ。でも、捨てると決めたら、すごく気持ちが楽になったの。酷いわよね、貴族当主としての素質が元々ないのかもしれない」
「後悔はしませんか?」
後悔はしないと、イヴェットはしっかりと頷いた。この公爵家でイヴェットに気を配ってくれているのはカイラだけなのだから。
「ああ、でも出て行ってしまうお詫びを陛下には伝えたいわ」
国王は従妹の娘であるイヴェットにもとても親切で優しい。国王としての顔を一度だって見たことはなかった。聖国に行っていた時も、機会があれば顔を合わせて来た。その数は父よりも多いかもしれない。 不完全な形で公爵家の後継者となったイヴェットにとても気を遣ってくれて。そしていつだって、継承が途絶えた責任は国にあるのだと、正式な継承をしていないのだから、公爵家から出てもいいと言ってくれていた。
「では、落ち着いたらお手紙を出しましょう」
「そうするわね」
心配事がなくなって、ふんわりと笑った。カイラも柔らかな笑みを浮かべる。
「それでは三日ほど、お時間をください。準備してきます」
「できれば国を出たいわ。見つかりたくないから」
「そうですね、その方がいいでしょう」
「国を出たら、色々なところに行ってみたいわね」
あれこれと想像を膨らませたが、すぐにしぼんだ。
「でもどうやって国を出ようかしら? アリソンにばれたらすぐにでも殺されそう」
「身分証明書は何とでもなりますから、心配いりません」
「そう?」
どうやって? と視線で問えば、カイラはどこか陰のある笑いを浮かべた。
「お金を積めば何とでも。お嬢さまの資金を少し使っても?」
「構わないけど……教会に預けているお金を引き出したら、アリソンに気が付かれるのではないかしら」
「正直、あの方にそんな知恵があるとは思えません。そもそも、お嬢さまが聖女候補だったことも知らないのでは?」
クリーヴズ公爵家の系譜すらも理解していない彼女達。確かにイヴェットの幼い頃について知っているとは思えない。
「わかったわ、バレたらバレた時よ。全部、カイラに任せるわ」
腹を決めれば、二人はあれこれとこれからのことについて話し合った。
「自殺をするために出奔することをメッセージで残しておいた方がいいかもしれません。お嬢さまに死んでほしいのなら、捜索も適当なものになるでしょうから」
「うわ、なんか本格的ね! 死への絶望にまみれた手紙を残していたら、アリソンとか高笑いしそうだわ」
二人で具体的に話を詰めながら、足りないところを確認していく。これからの行動予定が決まって、イヴェットはほうっと息を吐いた。
「三日でいいの?」
「それ以上だと、抜け出しにくくなります。それに三日後は夜会もありますから、こちらが何をしていても気が付かれないかと」
「それもそうね。では、用意ができるまで、具合が悪いと部屋に籠っているわね」
脱出するまでの三日間、楽しくなってきた。カイラがふと真剣な目を向けてきた。
「どうしたの?」
「本当に体調は大丈夫なんでしょうか? やはり先に教会に行って、外してもらった方が」
「大丈夫よ! 魔力を入れてから、ほんの少ししか吸収しなくなったし、それにわたくしが直接教会に行ってしまったらアリソンにばれるじゃない」
どこか不安そうな顔をするカイラに笑って見せた。