呼び寄せる
方針が決まってからの動きはとても早かった。ソフィアは方針を決めると、国王と大聖女に連絡を取った。
国王と大聖女からの返事はすぐに届き、騎士団は一気に忙しくなる。大規模な禁呪の魔法陣があった場所まで行く必要がある。そこに行くまでの道のりは険しい。現地まで行くのは、以前調査に向かった騎士、その他の騎士はエドガーと共に街に残り、警備に当たる。最悪の場合、同時に襲われる可能性があった。
「ロルフが設置した転移魔法陣は使えないのよね?」
ソフィアは念のため、とエドガーに確認する。エドガーは小さく頷いた。
「そうです。もう魔の森に呑み込まれてしまっています。ただ、そこまでの道の印は残っているので、最短で進めるかと」
「最短でも魔の森の奥でしょう? 大変だわ」
道を切り開いていくことを想像したのか、ソフィアは嫌そうに顔をしかめた。それを横で聞いていたダレンが不思議そうに首をかしげる。
「そうか? 今回は聖女の祝福を貰った状態で行くのだから楽なはずだ」
「これだから脳筋は……」
ソフィアは何ともいえない顔をして、会話を打ち切った。代わりに、作業台で作ったポーションを鞄に詰めていたイヴェットに声を掛ける。
「イヴェットも一緒に魔の森へ行くわよ。わたくしの補助をしてほしいの」
「わたくしもですか?」
イヴェットは目を丸くした。イヴェットの体力は少しは増えているが、それでもソフィアにはまだまだ追い付かない。しかも今回は訓練とは異なり、もっと奥の、禁呪が使われていた場所へ行くのだ。
「ええ。魔物が入らないように結界を張ってほしいのよ。大聖女様が今回のために改良した魔法陣、とてつもなく魔力を使うの。わたくし一人で結界を張りながら、魔法陣を展開するのは少し厳しいわ」
ソフィアは大聖女が改良した魔法陣の説明を始めた。イヴェットにもわかりやすいように紙に大きな円を描き、その中に三つの円を描いた。
「もしかして、大きな円で小さな円の魔法陣を制御しているのですか?」
「そのとおりよ。三つの小さな円は王都とつなぐための転移、それから魔物が溢れるだろうから浄化、もう一つは回復ね。使えるようになれば、中央教会と繋がるから、大聖女の祈りがこちらまで届く仕組みよ」
想像して、イヴェットは顔をひきつらせた。
「そんな大掛かりな魔法陣の展開をソフィア姉さま一人で? 無理では?」
「そうね、厳しいでしょうね。でも、やらなければならないことよ」
どれほど大変でも背筋を伸ばして、笑みさえ浮かべる。ソフィアの聖女としての姿勢は眩しいものだった。
「事情はわかりました。ですが、今回は魔の森の奥まで行くのですよね? わたくしの体力が心配です。今でさえ、帰りは抱えてもらっているのに……足手まといになりそう」
進む時は自分で歩いていても、帰りはぐったりとしてウィルフレッドに運んでもらっている。女性としても、聖女候補としても恥ずかしい状態ではあったが、浄化の訓練の数をこなすにはこうするしかなかった。浄化の精度は格段に上がっていっても、体力はすぐには増えなかった。
「心配いらない。行きも帰りも抱えていく」
ウィルフレッドが何でもないことのように言った。イヴェットは驚愕の顔で彼を見る。
「ええっ?」
「体力は温存しておいた方がいい。いざという時に力尽きないようにするために必要だろう?」
真面目な顔をして言われてしまえば、それが正しいような気がする。イヴェットの体力のなさは致命的なのだ。
「何、寝ぼけたことを言っているのよ。帰りは転移魔法陣を使うから心配いらないわ。行きもわたくしが祝福をかけるから、いつもよりも楽なはずよ」
「祝福があるとそんなにも違うのですか?」
先日、イヴェットも騎士たちに祝福をしたが、実はどれほどの違いがあるのかわかっていなかった。魔の森ではとても楽に動けたと感謝されていても、助けになったのならよかったという程度。
「あら、イヴェットは祝福がどんな効果があるのか、体験したことがないのね」
「はい」
素直に頷けば、ウィルフレッドが補足した。
「祝福があると、魔の森でも体が軽くなる」
「そういうもの?」
「天と地の差ぐらい違う」
あまり実感はなかったが、違うものなのだと頷いた。
「それと、二人には彼らの暴走の後始末をお願いしたいわ」
「暴走ですか?」
ソフィアの苦々しい言葉に、ウィルフレッドが笑った。
「確実にするだろうな。あのヤル気に満ちた団長を見てそう思わないか? 絶対に暴走する」
改めてダレンを見た。騎士たちと一緒になって、自分の武器の手入れをしている。まだ魔の森に入っていないのにこの調子だ。暴走を心配しているソフィアの気持ちがわかる気がした。
「いつまで経っても脳筋なんだから。魔物は彼らがどうにかするから、イヴェットは落ち着いて後ろからついてきて頂戴。本当に体力的に難しかったら、ウィルフレッドに運んでもらって。一番の役割は結界を張ることだから」
その後、必要な荷物の確認をしてから、ソフィアは再びエドガーと打ち合わせのために移動していった。
「お嬢さま」
ソフィアがいなくなってから、イヴェットにカイラが声を掛けた。振り返れば、カイラとロルフがいる。二人はこれから転移門を使い、王都へ向かう。あちらで国王との話し合いの後、ジェレミーをこの魔の森に連れてくる。
カイラが適任者というのはわかるが、やはり心配で仕方がない。ジェレミーは暴力的な人間ではないが、それでも暴言は平気で口にする。
「そろそろ王都へ向かいます」
「カイラ、無理しないでね。お父さまは……その短絡的だから」
「知っております。それにあまりにも騒ぐようでしたら、これで一発」
そう言って見せたのは右手。四本の指に金属性の何かが付いていた。
「それは何?」
「打撃力を強化するための武器です」
そう言いながら、こぶしを握り、右手を素早く前に突き出して見せた。武器を借りた時にでもやり方を教えてもらったのか、カイラが少し得意気だ。
思いのほか勢いのある様子を見て、困惑した。
これで殴ったら、まだまだ回復途中にあるジェレミーは本当に昇天してしまうのではないだろうか。だが目の前にいるカイラはとてもいい笑顔を浮かべている。
「わたしのか弱い拳の保護のために頂きました。とても使い勝手が良くて」
「えっと、その親切な人、誰かしら?」
「ダレンよ。そんな騎士でも持っていないような武器を勧めるのは」
嫌そうに口を挟むのはロルフ。彼はうんざりした顔をしていた。もしかしたらカイラに付き合ってくれたのかもしれない。
「ロルフ様、カイラをお願いします。父が喚いたら、遠慮なく昏倒させても構いません」
「それ、どこでも言われているのだけど。一応、彼はクリーヴズ公爵当主代理なのよね? 本当に大丈夫なのかしら?」
「心配なら、陛下に許可をもらってくださっても」
国王は笑顔で許可してくれそうだ。
「まあ、いいわ。じゃあ、ちゃんと連れていく場所を作っておいてね。こちらは合図があったらすぐに飛ぶから」
「お嬢さまも無理はなさいませんように。騎士たちに任せておけばいいんですから」
「ええ。カイラも気を付けて」
二人を見送り、イヴェットは騎士たちと一緒に魔の森へと向かった。
◆
ダレンたち騎士は楽し気にザクザクと道を作り、襲ってくる魔物を仕留める。魔の森の草は復活が早いためすぐに足元が不安定になるのだが、それを気にせずどんどんと進んでいった。
それを後ろから見守りながら、ソフィアが穢れを浄化する。
「ちょっと、ダレン! 早すぎだわ。浄化が追い付かないじゃない!」
ソフィアは広範囲を浄化しながら、怒鳴った。小さな穢れならば、少し祈りを込めた浄化でも問題ないが、奥に向かうほど穢れが強い。しかも血で汚れた場所は放っておけばどんどんと穢れていくため、高位の浄化が必要だ。
イヴェットも始めた頃よりも格段に上手になってはいるが、騎士たちのスピードにはついていけていない。魔力が切れそう、というよりもまたしても体力的に厳しくなってきた。
「悪い、悪い。つい先走ってしまった」
「しっかりと浄化しないと後が面倒なのよ。こっちのこともちゃんと考えてちょうだい」
ぷりぷりしながら、ソフィアが声を荒立てる。ダレンたちは注意されて、少し前に進む速度が落ちた。騎士たちが道を切り開き、魔物を払う。ソフィアが浄化する。地道に作業を繰り返していくと、少し開けた場所にたどり着いた。
「思っていたよりも広いのね」
木々に囲まれて、ぽっかりと空いた空間。
そこだけ、草たちは膝丈ぐらいしか伸びておらず、木の枝は日の光を遮っていない。雲一つもない青空が見え、光が差し込んだ空間なのに、空気がひどく禍々しかった。
「エドガーが浄化したはずなのに、すごく穢れているわね。ここで生贄を捧げたせいかしら?」
「ロルフとエドガーはそう言っていたな。今はもう見当たらなくなってしまったが、何人もの人骨もあったからな」
ダレンがソフィアの独り言に応じた。ソフィアは中に入ることなく、じっくりと観察した。だが、魔法陣が壊されたことで、すでに跡形もなく魔の森に呑み込まれている。穢れていることしかわからなかったのか、ソフィアは息を吐いた。
「まずは浄化ね」
開けた場所の中心に立ったソフィアはイヴェットを呼んだ。イヴェットは恐る恐るソフィアの側に寄る。中に一歩入った瞬間、全身鳥肌が立った。明るい日の光さえも、冷たく感じる。
気持ちがぴりぴりして、落ち着かない。
「イヴェット、どうしたの?」
「なんだか嫌な気分です。本当にここに魔法陣を張るのですか?」
「そうよ。浄化して、大聖女様から預かった魔法陣を展開するわ」
ソフィアが言い切るのだから、できないことではないのだろう。込み上げる嫌な気分を押さえつけ、ソフィアの指示通りに結界を張る。いつもよりも少し強めに。
「うん、いい感じ。では、浄化を始めるわね」
ソフィアは表情を改めた。いつもは明るくて楽しい女性であるが、今は違う。聖女としての祈りが、彼女を別人に見せた。
祈りが深まっていくうちに、どんどんと透明感が増し。神々しいまでの美しさに見とれてしまう。
ソフィアの純度の高い祈りに触れ、イヴェットの気持ちが澄んできた。何かに引っ張られ、イヴェットも自然と祈りを捧げる。ソフィアが驚いたように少し後ろにいるイヴェットを見た。ほんの少し笑みを浮かべると、何も言わずに前を向いた。
浄化の祈りが捧げられ、大聖女から預かったという魔法陣が展開された。
複雑な魔法文字が刻まれ、幾重にも重なっていた。大きな円の中に小さな円が三つ。
一つ目は転移魔法。ロルフが王都で起動したらここに繋がる。
二つ目は浄化の文字がある。常に魔法陣の中を浄化し続けるためのもの。
三つ目は回復用だ。
見たことのない魔法陣に、目を見張る。
話には聞いていたが、その緻密に書かれた文字に思わず感嘆の声が漏れた。どんなことが書いてあるのか、じっくりと読んでみたい。
「そろそろロルフを呼びたいんだが、大丈夫か? 気になるようなところがあるなら、もう少し待つが」
魔法陣を確認しているソフィアにダレンが声を掛けた。
「ええ、いいわよ」
ソフィアが許可を出すと、ダレンが魔道具を操作した。パッと魔道具が輝き、そして。
転移魔法陣に、すました顔のカイラとロルフに背中を踏まれたジェレミーの三人が現れた。




