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分岐点


 売り言葉に買い言葉。

 ゴドウィンにエスコートされた初めての夜会で高揚していたのもある。幸せに水を差されて、気分が悪くて。今思えば、アリソンが失言するように誘導されていたのだろう。すました顔をして目の前に立つ貴婦人を見て、歯噛みする。


「ごきげんよう。先触れを出したのだけど、どうやら同時に到着してしまったみたいね。でも夜会でお話しておいたから問題ありませんでしょう?」


 お見舞いと称してやってきたのは、ロバートソン伯爵夫人。お見舞いに相応しい、落ち着いた色合いの上品な装いだ。


 体裁だけ整えた突然の訪問に内心苛つきながらも、怒りを抑え公爵令嬢に相応しく挨拶をする。


「ロバートソン伯爵夫人、ごきげんよう。生憎、母は出かけておりまして」

「あら、問題ありませんわ。わたくしはイヴェット嬢のお見舞いに来たのですもの。元々あなたの母に会うつもりなどないわ」


 にこやかな笑顔、毒を含んだ言葉。

 アリソンは一筋縄ではいかないこの女をどうやって追い払おうかと逡巡した。

 乱暴に追い出してもいいのだが、そうした場合、今後に関わる。アリソンは何としてでも公爵家当主になるのだから。こういう女にも自分を認めさせなくてはいけない。


 だが、実際には追い返す言い訳が思いつかない。いつも如才なく対応してくれる侍女のケイトも家令も、パメラと一緒に外出中だ。


 無難な理由をひねり出し、申し訳なさそうな表情を作る。


「申し訳ありませんが、義姉は医師の勧めで領地に戻りましたの。もう少し早く連絡を頂ければお知らせしたのですが」

「領地に療養?」


 クリーヴズ公爵家の領地は王都から馬車で二日ほどのところにある。ロバートソン伯爵夫人は訝しげな顔になる。


「領地にある屋敷は老朽化しているから、建て替えの準備をしていると聞いていたけれども。そんな場所に追い出したの?」

「老朽化」


 思ってもいなかった情報が出てきて、冷や汗が出る。

 とても使えるような状態にないから近寄るなと、イヴェットと共にサロンで聞いた記憶が蘇る。ロバートソン伯爵夫人が知っているのは、イヴェットが茶会か何かで話題の一つとして口にしたのだろう。


「ふうん。知らなかったようね。でも、そちらにいるのなら、領地の屋敷へお見舞いに行けばいいわね」

「それは」


 焦りばかりが出てきて、上手い言い訳が思いつかない。ぎゅっと手を握りしめ、唇を噛みしめた。

 ロバートソン伯爵夫人は嘆息した。


「あなた、あまり自分の家のことを知らないようね。当主になりたいと言いながら、何の努力もしない。よくもイヴェット嬢の代わりだなんて言えるものだわ。クリーヴズ公爵にご挨拶して帰るわね」


 止める間もなく、ロバートソン伯爵夫人は屋敷の中に入ってしまった。アリソンは慌ててロバートソン夫人の前に回り込む。彼女はようやく立ち止まった。好き勝手するロバートソン夫人を睨みつける。


「勝手に入られては困ります。父には後ほど訪問があったことを伝えます」

「部屋にいるのでしょう? ジェレミーはわたくしの従弟なの」

「従弟?」

「あら、それも知らないの? わたくしとジェレミー、それなりに親しい間柄だったと思っていたけど」


 アリソンが狼狽えているすきに、ロバートソン伯爵夫人は横を通り過ぎた。


「ちょっと何勝手に人の屋敷に入るのよ!」


 アリソンはついに怒鳴った。ロバートソン伯爵夫人は気にすることなく、サロンの扉を開ける。そこは具合の悪いジェレミーが一日を過ごしている場所だ。


 そして。


「ジェレミー?」


 虚ろな目をして宙を見ているジェレミーがいた。



 それからはあっという間だった。

 ロバートソン伯爵夫人がジェレミーの従姉というのは本当らしく、ここしばらく反応がなかったジェレミーが彼女を見て反応を返した。茫然としていた彼女はすぐさま自分の護衛に指示を出して。


 アリソンは止めることもできず、そこに立っていた。ロバートソン伯爵夫人はアリソンのことなど少しも気にすることなく、後からやってきた人たちと共に去っていた。もちろん、ジェレミーも一緒に。聞こえてきた会話から、いつ死んでもおかしくないほどの状態らしい。


 そんなはずはない。

 パメラが甲斐甲斐しく世話を焼いていて、なかなか良くならないからと常に新しい薬を買い求めていた。今日だって。ジェレミーの体に良い物があるからと出かけて行ったはずだ。


「ジェレミー! どうしてジェレミーがいないのっ!」


 パメラの甲高い声がアリソンの意識を現実に戻した。いつの間に戻ってきたのか、気が付かなかった。


「お母さま」

「アリソン、彼はどこにいるの?!」

「お父さまは具合が悪くなってしまって、ロバートソン伯爵夫人に」


 がつっと鈍い音がした。

 勢いに負けて、床に倒れ込む。そして遅れてやってくる頬の痛み。衝撃が強くて、目がちかちかする。何が何だかわからなくて、這いつくばったままパメラを見上げた。


「お、おかあさま?」


 見下ろすパメラの顔はいつもの朗らかなものではなく。目に狂気を宿して、ゴミでも見るような視線をアリソンに向けていた。


 初めて向けられる眼差しに、体が震えた。


「ねえ、アリソン。どうして止めなかったの?」

「止めたわよ! でも」


 言い訳する前に、勢いよく頬を張られた。再び床の上に倒れ込む。


 パメラは怒りのまま、転がっているアリソンの腹に蹴りを入れた。先のとがったパンプスが鳩尾に入った。アリソンはあまりの痛さに涙を流し、暴力をやり過ごそうと体を小さく縮める。声すらも上げられない。抵抗もできず、ただただ暴力を受け入れていた。


 娘の様子を気にすることなく、パメラは狂ったように何度も何度も蹴りを腹に入れる。アリソンはただパメラが落ち着くのを待つしかなかった。


「パメラお嬢さま、落ち着いてください」

「ケイト……だって! ジェレミーが!」


 悲痛な叫びに、ケイトはパメラをそっと抱き寄せた。


「心配いりません。ちゃんと印をつけていたではありませんか。パメラお嬢さまなら今すぐにでも取り戻せます」

「印、そうだったわ! じゃあ今すぐにでも」

「いけません」


 強く言われて、パメラはケイトを突き飛ばした。肩を怒らせ、ケイトを睨みつける。


「どうしてよ? ジェレミーが苦しいとわたしを呼んでいるわ」

「ここに呼び寄せてもまた連れて行かれてしまいます。ですから、領地の方へ」


 再び奪われることを想像したのだろう。パメラはぱらぱらと涙をこぼした。先ほどまでの怒りが消え、代わりに悲しみがパメラを支配する。


「今すぐジェレミーに会いたいわ」

「ほんの少しの間ですよ」

「わたしは彼がいないと駄目なの。彼だってわたしがいなくてきっと辛い思いをしているわ」

「では、急いで移動しなくては。さあ、行きましょう」


 少女のように泣くパメラを家令が連れていく。残されたのはケイトとアリソンの二人。

 ケイトは床に転がるアリソンに近づき、かがみこんだ。普段は無表情な彼女の顔に明らかな侮蔑の色が浮かんでいる。いつもなら反発するだろうが、パメラから暴力を受けた後。アリソンは恐ろしさに体を震わせた。


「とんでもないことをしてくれましたね」

「うっ……」

「パメラ様にとってジェレミー様がすべてなのです。それを奪われるなんて。アリソン様にはあの方を取り戻してもらいますよ」

「そんな……無理よ」


 ジェレミーが連れて行かれた療養所もどこにあるのかわからないのに。

 ケイトは唇を歪めて嫌な笑みを浮かべる。


「無理なことはありません。丁度アリソン様のご希望の呪いも準備できましたから、試すことができます。上手く使いこなせれば、ジェレミー様を取り戻すこともできるでしょう。そうすれば、パメラ様の怒りも解けますよ」

「呪い」


 ケイトの言う呪いはイヴェットを殺すためのもの。夜会の後にケイトに確かにお願いしていた。その時に話していた内容を思い出し――。


「まさか、あなたわたしに術者になれと言っているの?」

「少しは察しがいいようですね」

「そ、そんなことしてお母さまが許すとでも!?」


 実用段階ではないという言葉が頭の中でぐるぐる回る。何とか回避しようと、足掻いた。


「実用段階ではありませんが、もし実験して成功すれば、パメラ様の機嫌が戻りますよ」

「失敗したらどうなるかわからないじゃない!」

「それはその時です」


 ケイトは失敗しても成功してもどっちでもいいようで、軽く流した。


「成功した後、その技術を応用して、ジェレミー様を取り戻す。パメラ様はお優しい方なので、これだけで満足されます」


 アリソンは反射的に後ずさった。痛みでうまく動けないが、それでも少しでも離れたかった。


「アリソン!」


 扉が乱暴に開いた。アリソンは愛しい男の声に顔を上げる。確かな味方の存在に、ほっと安堵の息を吐いた。


「ゴ、ドウィ、ンさま」


 ゴドウィンは床に転がるアリソンを見て、驚愕の表情を浮かべた。弾かれたように走り寄ると、優しい仕草でアリソンを抱き起す。あまりの痛みに気が遠くなりそうだったが、それよりも駆けつけてくれたことが何よりも嬉しくて。


 自然と涙が溢れた。先ほどとは違う、喜びと安堵の涙。


「ああ、なんて酷い状態なんだ! 一体誰がこんなことを!」

「お母さまが」


 とにかく今あった出来事を伝えようと、必死に言葉を繋ぐがなかなかうまく話せない。ゴドウィンはアリソンの頭を優しく撫でた。


「無理はしなくていい、とにかくここを出て」

「行かせませんよ」


 ケイトが二人の会話に割り込んだ。ゴドウィンは厳しい眼差しをケイトに向ける。


「侍女が無礼な。アリソンを助けず、傍観しているなど」

「わたしの主はアリソン様ではありませんので」


 ゴドウィンは離されないように、アリソンを強く抱きしめた。ケイトは二人の姿を見て、笑みを浮かべた。


「それほど一緒にいたいのなら、二人纏めて連れて行きましょう」


 ケイトがそう呟くのと同時に、床の上に魔法陣が現れた。ゴドウィンは驚きに目を見開く。突然現れた魔法陣は仄かに輝きくるくると回り始める。


「はっ?! なんだ、これは!」

「に、にげ、て」


 アリソンは真っ青になった。何が起こるのかは皆目見当もつかないが、イヤな予感しかしない。逃げるようにとゴドウィンに伝えるが、それはすでに遅く。


 床が歪んだと同時に、そこが抜けた。二人は抱き合ったまま穴に呑み込まれていった。

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