少しの休息
ゴリゴリと、与えられた作業部屋で薬草をすり潰す。大きめの乳鉢に大量の薬草を入れ、少量の聖水を加えた後、ひたすら乳棒を動かしていた。
実践訓練を何日も行っているが、なかなか上達しない。ソフィアはとても優秀だと褒めてくれるけれども、彼女の浄化や聖魔法と比べたら天と地ほどの差がある。
アドバイスを求めれば、魔力の純度を上げればいいと言われる。簡単そうに言うが、魔力の純度はどうやって上がっていくものなのか。
見よう見まねでやってみても、ソフィアと同じようになるはずもなく。
思いつく限り、色々試してみたものの、壁にぶち当たってしまった。毎日試して、ソフィアに相談するも、糸口は見つからない。
イヴェットは大きなため息をつくと、追加の薬草を投入した。
「お嬢さま」
もう一つ大きな悩みがあった。国王からの手紙だ。辺境の街に留まることを連絡したことで、毎日手紙が届くようになった。クリーヴズ公爵家でわかったこと、あとはジェレミーの容態など。一言二言、イヴェットに伝えても問題ないことが書かれている。
それを読んでいるうちに、ジェレミーと一度話さないといけないのではないかと思うようになっていた。冷遇されていたとはいえ、血のつながった父親だ。彼には彼の、イヴェットの知らない理由があるのかもしれない。もちろん、愛する娘はアリソンだけで、イヴェットの顔など見たくないと思っているかもしれないが。
「お嬢さま!」
カイラに呼ばれて、はっとした。顔を上げれば、カイラの心配そうな眼差しと出会う。いつの間にか、かき混ぜる手はカイラの手で包み込まれていた。
「悩みながら作ると、ポーションがまずくなります」
「……まずい?」
「はい。悩みの入ったポーションはそれはそれは酸っぱくなるのです。一度、飲んでみるといいです。えずいてしまうほど、酸っぱいです」
そんなことあるのかと納得できないまま、手元の乳鉢を見た。いつもなら鮮やかな緑色になるはずの薬草たちが、やたらと黄色くなっている。使っているものは変わりがないから、純粋にイヴェットの気分が移っただけのようだ。
「ポーション、感情に左右されるの? 知らなかったわ」
「常識です。喜びは甘味、苦しみや悲しみは苦味、悩みは酸味になります」
今まで作ってきた時は、何も考えていなかった。逆に頭を空っぽにして作ったことで、雑味がなかったのかもしれない。酸っぱいと言われてしまった状態で、このまま作るのは躊躇われた。でもここでやめてしまえば、折角の薬草が無駄になる。
「どうしよう?」
「そのまま作ればいいと思うぞ」
「うきゃああ!」
突然背後からのぞき込まれて、体がびくりと飛び跳ねた。耳元で聞くウィルフレッドの声に、顔が真っ赤になる。そんなイヴェットの変化に気が付いていないのか、そのままの状態で話し続ける。
「騎士なんて毎日魔の森で怪我して帰ってくるから、あれば飲むだろう」
「ちちち、近い!」
耳からウィルフレッドの声が聞こえないように両手で塞ぐ。ウィルフレッドと目が合うと、目を細めて微笑まれた。その笑みに、不思議と頭が沸騰する。もう見ていられなくて、耳を押さえ目を閉じて項垂れた。
「意識されている」
「なんで距離が突然近くなっているの……」
「ちゃんと言葉と行動で気持ちを伝えないと、いつまでも伝わらないとアドバイスをもらった」
イヴェットの脳裏にソフィアの顔が思い浮かぶ。余計なことを絶対に言っている。
確かに魔の森から戻ってから、今までと変わらない態度を心がけてきた。どうしていいかわからなかったし、好きと言った先の行動が想像できなかったから。
だけど、ウィルフレッドは違ったようだ。護衛の時のような気やすさは変わらないが、気が付けば本当にすぐ側にいる。
「ふふーん。そうですか、そういうことですか。魔の森から帰ってきた後おかしいとは思っていたのですよ」
何かを察したカイラがにやりと笑う。イヴェットは慌てて否定する。
「違う、まだそういうんじゃなくて」
「流石に鈍感を装うのはどうかと思います」
「カイラ」
「それに、恋愛は楽しいものです」
こんなにも胸がバクバクして、気持ちも落ち着かなくて、走って逃げたくなるような気持ちが楽しいのだろうか。
納得できなくて黙っていれば、ウィルフレッドが一歩下がった。ちょっとした距離だが、寂しいと感じた。自分自身の気持ちに戸惑う。
「そのポーション。出来上がったら、騎士団に持っていこう」
「でも、不味いのよ?」
ポーションのことに戻ってほっとした。恋愛事の話でなければ、冷静になれる。
「こちらの騎士団で使っているポーションは非常に不味いです。それを飲みなれているのですから、酸味ぐらい大丈夫じゃないでしょうか」
「それに連日、ソフィア様に同行して怪我をしているからな。試飲だと言って飲ませてみればいい。怪我も治るし、反応も確認できる。いいこと尽くしだ」
そういうことで、酸味のあるポーションはそのまま森の探索から戻ってくる騎士たちに差し入れすることになった。
◆
「ぐあおおおお! の、喉がひりつくっ!」
「何だ、この酸っぱさは!」
ソフィアと一緒に魔の森に同行していた騎士たちが地面に転がりのたうち回る。だらだらと冷や汗をかき、喉を掻きむしるようにしているところを見れば、かなりの不味さのようだ。
「ポーションなど不味いのが常識! この程度で苦しむとは鍛錬が足りない!」
悶えて転がる騎士たちをギラリと睨みつける。騎士たちは涙目でそんなダレンを見上げた。
「そこまで言うのなら、お手本を!」
「そうだそうだ! 団長、ぐぐっと一本!」
ポーションの味から復活したのか、騎士たちがダレンを囃し立てる。
「どうぞ」
恭しい手つきで、カイラがダレンに差し出した。ダレンは両足を広げ、左手で蓋を開けた。そして、一気に飲み干した。
「不味い! だが、まだまだいける!」
凄まじい顔をして、そう言い切った。悶絶する様子を期待していた騎士たちは、そんなダレンをつまらなそうに見ていた。
「えー……」
「ちぇっ。団長最強説、洒落じゃないんだ」
大げさなほどのたうち回っていた騎士たちも興ざめして、立ち上がる。不味いと言っていた割には随分と早い復活だ。
「はははは! こんなもの、不味いレベル三だ。まだまだ序の口よ」
「ちなみに辺境で買えるポーションの不味いレベルは?」
「レベル二だな」
「不味いレベル十は?」
「聖女ソフィア様の作る、超不機嫌ポーションだ」
胸を張って堂々と言い切る姿はどこか清々しい。ところが、すぐさまダレンの頭を何かが直撃した。
「わたくしの作るポーションに何か問題でも?」
「いや、伝説級のポーションを部下たちにも飲ませたいと」
ソフィアの機嫌を直そうと、適当なことを言う。それを聞いていた騎士たちが、全員顔を青くした。
「まあまあ、そこまで言うのなら? 特別に作ってあげてもよくってよ」
そんな微笑ましいやり取りを見守っていると、カイラがこっそりと囁いた。
「どんなにまずいポーションでも、ここの騎士たちは面白がって飲み切ってしまいそうです」
「そうみたい。でも、できる限り美味しくできるように心がけるわ」
流石に力のない人たちを守るために命を張っている騎士たちに、あえて不味いポーションを提供できない。イヴェットは気持ちを無にして作ろうと心に決める。
「ソフィア姉さまは騎士団の人たちととても仲がいいのね」
「聖女と騎士たちの距離はどこでもあのような感じです。式典や祝祭の時の聖女は慈愛に満ちていて、暴力なんて無理みたいな顔をしていますが、浄化の場所は魔物が溢れているところなので。タフでないとやっていけません」
他の聖女のことを知っているカイラがそう教えてくれた。自分が聖女の優しい部分しか知らないことに驚きつつ、現実を知ればあの逞しさは必要だと納得した。
そんな他愛もないことを話していると、背筋がぞわりとする何かを感じた。
何かが全身に絡みつき、引きずられるような感覚。
恐ろしさに体が硬直した。
「イヴェット!」
ウィルフレッドの大声に、ようやく体が自由になる。ウィルフレッドはイヴェットを庇うようにして引き寄せた。イヴェットをめがけて風の刃が飛んでくる。
「伏せて!」
ソフィアが大声を張り上げ、結界魔法を展開する。騎士たちはすぐさま剣を抜いた。風の刃は結界に弾かれた。同時に空間がいくつも歪んだ。ぐにゃりと歪んだ空間から、魔物があふれ出した。
「魔物……」
誰もが目を見開き、唖然とした。ここは教会の敷地内にある鍛錬場。祈りを常に捧げ、どこよりも安全な場所。
「信じられない! ここは教会よ!? どうなっているの!」
ソフィアは狼狽えながらも、溢れてくる前に空間の歪みの中に浄化を放ち、魔物を消滅させる。騎士たちはソフィアの浄化から零れ落ちた魔物を次々に斬り捨てた。
「こりゃあ、森にあった魔法陣と同じタイプだな。どんどん湧いて出てきやがる」
ダレンが舌打ちをしながら、向かってきた魔物を蹴散らした。
ソフィアは空間の歪みを包みこみ、浄化する。だが浄化して空間が閉じても、新しい歪みが発生した。
「次から次へと! 本当に忌々しいわね!」
復活するたびにソフィアは浄化を繰り返す。潰しても潰してもまた空間がよじれる。ソフィアの浄化の早さよりも空間の歪みの方が早くなり始めた。同じく、騎士たちが相手にできる数を超える。
ソフィアは厳しい表情で、空間を睨みつける。
「イヴェット! 鍛錬場に結界を張って! 魔物を外に出さないようにするわよ!」
「わかりました!」
イヴェットは言われるまま、自分を中心に結界を展開する。異変を感じたのか、魔物は外に出ようと結界の壁を叩いた。何度か叩かれて、結界にひびが入る。
「もっと強くできる? 少し時間が欲しいわ」
「頑張ります」
騎士たちはソフィアを狙う魔物を斬り払う。
ソフィアは両手を胸の前に組んだ。
簡易的ではない、本来の手順に従った浄化。純度の高い祈りから生まれる力は最大のもの。
目が眩むほどの光と共に、封じられた空間は浄化された。
「すごいな。聖女の浄化はエドガー叔父上の浄化と質が違い過ぎる」
ウィルフレッドは魔物が消えたことを確認してから、剣を鞘に戻した。
「ソフィア姉さまがいる時でよかった」
ほっとしたせいなのか、結界を張った時に必要以上に魔力を使ってしまったのか。
体に力が入らない。ふらつく体をウィルフレッドが支えた。
「魔力を使い過ぎだ。救護室へ行った方がいい」
「でも」
鍛錬場の惨状を見て、顔を曇らせた。地面は抉れ、建物が壊れている。所々、魔物の血がべったりと付いていた。冷静になれば、気分ばかりが悪くなっていく。
「今にも倒れそうです。わたしが付き添います」
後始末を手伝っていたカイラが小走りに近づいてきた。何かできることは、と考えても、何も思いつかない。
「……今度は掃除ぐらいできるようになるわ」
がっくりと肩を落としたところで、目の端に何かが映り込んだ。不思議に思いそちらに目を向ければ。
「アリソン?」
空間の割れ目に、こちらを憎々しげに睨むアリソンがいた。そして、その後ろに何か喚いているゴドウィン。
「お義姉さま……」
「え? 繋がっているの?」
状況がよくわからず困惑した。自分の目で見ているのに、何がなんだかよくわからない。
「なんでお義姉さまが生きているのよっ! さっさと死ねっ!!」
彼女の唇から怨嗟が零れ落ちると同時に、空間の割れ目から節くれだった枯れ木のような大きな手が伸びてきた。目の前に迫る魔物の手に、イヴェットは恐怖で体が硬直し、逃げることができなかった。
「イヴェット!」
「あっ……!」
ウィルフレッドは躊躇うことなく斬り落とした。アリソンの、恐ろしい悲鳴と共に空間が閉じた。




