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魔の森での実践授業


 聖女は魔の森に定期的に訪れ、浄化を行うことも仕事の一つ。


 ソフィアはその容姿からは想像できないほど、逞しく魔の森を進む。二人の騎士を先頭に、どんどんと奥へと進んだ。聖女の祭服を着ているにもかかわらず、街歩きしているような軽快さ。


 イヴェットはソフィアの速度について行こうと、必死に後に続いた。聖女候補の時に何度か経験しているが、あの時は魔の森を歩いたりしなかった。

 十歳前後の候補たちで馬車に乗って移動、習ったばかりの聖魔法を使う。そんなお手軽なものだった。

 実際は仕事をするために、こうして歩いて移動しなくてはいけない。そのことをちゃんと理解していなかった。


 息を切らし、額の汗を拭う。

 時折、魔物の恐ろしい声が聞こえてくる。そちらに目を向ければ、騎士たちが容赦なく切り伏せているのが見えた。そしてすぐさまソフィアは浄化の祈りを捧げる。その手慣れた連携に目を見張った。


「すごい」

「ソフィア様にとって、ここは庭のようなものだからな」


 ウィルフレッドも木から飛び降りてきた小さな魔物を剣で払う。断末魔の叫びさえ上げることなく、地面に落ちた。


「イヴェット! 浄化の祈りを」


 離れた位置からもイヴェットの様子を見ていたのだろう。ソフィアが声を上げて指示をした。言われた通り、イヴェットは浄化の祈りを捧げる。

 必死に祈りを捧げると、何とか魔物の穢れが消えた。その様子にほっと胸を撫で下ろす。


「浄化できている」


 ウィルフレッドが側で確認をしてくれた。座学で学んだ浄化が実際に使えたことに喜びを感じながら、それでもソフィアの浄化とは天と地ほどの差があることに落ち込んだ。


 言葉にしなくても、イヴェットの雰囲気でわかったのだろう。ウィルフレッドが優しく宥めてくる。


「イヴェットは初めてなんだろう? ソフィア様と比べても仕方がない」

「もう少し、簡単にできるものだと思っていたから」

「簡単なはずはない。聖女候補は沢山いても、なかなか聖女にはなれないと聞いたことがあるぞ」


 そう言われて、確かにと頷いた。活躍している聖女の数は二十人もいない。


「聖女候補が候補のままなのは、浄化の質が上がらないからよ。こればかりはこなした量で決まってくるわ」


 いつの間にかソフィアが側にいた。彼女は教会にいる時と変わらない涼しげな顔をしている。すでに魔物の浄化を沢山こなしているはずなのに、疲れを一切感じさせなかった。


「こなした量ですか」

「そう。イヴェットは途中で国に戻ってしまったから知らないかもしれないけど、座学が終わった後の実践訓練が一番大変なの。祈りは教えられることではないのよ。指導者たちは候補たちの話を聞くことはできても、極めるのは自分自身だから。とても難しいの」


 座学でさえ、かなり大変だった。教会の歴史、大陸の歴史、祈りの方法、聖魔法について。討伐にもついて行ったから、その都度、出てくる魔物についての知識も学んだ。


 今思えばよくあの量をこなしたものだ。しかも皆、まだ子供だ。朝から晩まで教会で暮らしていて、しかも仲間ともいえる同期たちがいたから乗り越えられたようなもの。


「毎年聖女候補になる人間は十人以上いるけれども、聖女になれる人は一人か二人よ。もちろんそれぞれの事情というものがあるから、多いか少ないか決められるものではないけど」

「わたくしと同期だった彼女たちはどうしているのかしら?」


 頭の片隅に、もう今は手紙すらやり取りをしていない同期たちを思い浮かべた。各国で見いだされた少女たちは身分もばらばらだったけど、それでも不思議と同じ生活をしていると仲間意識ができてくる。


「イヴェットの同期? 一人だけ聖女になったわね。確か、出身国の魔の森の浄化を担当していたはずよ」

「そうですか」


 今回のことが片付いたら、会いに行くのもいいかもしれない。

 そんな先のことを考えているうちに、騎士たちが足を止めた。


「ソフィア様、魔力溜まりの種です」


 騎士たちの視線の先を見れば、こぶし大ほどの空間の歪みがあった。ゆらゆらと揺れ、小さくなったり大きくなったり。穢れのように黒く不快な存在ではなく、ただただ掴みどころのない不思議なもの。これがもう少しすると、魔を生み出すものになる。


「まだできかけね。イヴェット、浄化をしてみて」

「……ソフィア姉さま。わたくし、魔力溜まりを浄化するのは初めてなのですが」

「さっきの穢れを払うのと同じよ。魔力を練る。心から祈る。浄化する。手順はこれだけよ。さあ、やって」


 簡単そうに言うけれども。


 イヴェットは魔力溜まりをじっくりと観察した。確かに小さい物であるが、それでも異質。見ていると次第に不安な気持ちが膨れてくる。


「大丈夫。ちゃんとできるから。祈りは心の強さよ」


 ソフィアにそう励まされて、イヴェットは腹に力を入れた。


 自分の中にある魔力をまとめ、ぎゅっと濃縮させる。祈りは先日の高揚した気分を思い出しながら、一心不乱に聖文を心で唱えた。


 どんな気持ちだったか、体の奥から込み上げる熱だったか、思い出すことはできるのに、その境地に到達できない。祈っているのに重苦しく、必死に飛び立とうともがいているようだ。


 長い時間をかけて、ようやく祈りが整った。ゆっくりと目を開け、魔力溜まりに向かって浄化を放つ。


 ゆらゆらと空気を揺らしていた魔力溜まりは強風が吹いたように形を歪め、小さくなった。そのまま千切れて消滅するかと思われたが、すぐに元の大きさに戻る。


「……」


 少しも浄化されなかった。誰もが無言でその様子を見ていた。


「ふうん?」


 ソフィアが無造作に浄化を放った。揺らめきは、瞬く間に消えた。イヴェットはがっくりと肩を落とした。


「落ち込んでいる暇はないわよ! 魔力溜まりは沢山あるから、頑張りましょうね」


 聖女の威力を思い知った瞬間だった。



 魔の森を進んでは魔力溜まりを浄化することを何度も何度も繰り返して。

 浄化が思う通りにできるようになった時には、もう立つこともできないほどへとへとになっていた。魔力切れ、というよりも、ただただ体が限界を迎えていた。普段ほとんど歩かないイヴェットにとって、魔の森を進むことが一番困難だった。


「どちらかというと体力の問題ね」


 イヴェットが失敗するたびに、浄化をして進んできたソフィアは朝と変わりなく艶々した顔をしている。付き合ってくれる騎士たちもとても元気そうだ。


「少し休めば」

「あら、無理は駄目よ? もう立つだけでも精一杯じゃない」


 見透かされて、肩を落とした。ソフィアは優しく両手を握りしめる。


「浄化が自由自在に使えるようになるには、本当に経験を積むことしかないの。今日初めて使って、数時間で使いこなせるなんて、普通出来ないから。イヴェットはとても優秀だわ」

「でも」

「そんなに急がないの。無茶をしたところで身につくものではないのよ」


 ソフィアは話はこれでおしまいと言わんばかりに、ウィルフレッドに辺境の街に戻るようにと指示をする。


「ソフィア姉さまは一緒に戻らないの?」

「わたくしはもう少し奥に行って浄化をしてくるわ。やっぱりバランスがおかしい気がするのよ」


 先ほどとは違い、険しい表情で魔の森の奥を見る。鬱蒼とした森は変わらないようにも見えるが、ソフィアの目には違うものが映っていそうだ。


「じゃあ、ウィルフレッド。イヴェットをよろしくね」

「わかった」


 そう応えると、ウィルフレッドはイヴェットを抱き上げた。横抱きではなくて、肩に担ぐように縦に。


「自分で歩ける!」

「この方が早い」


 早いとかそういう問題じゃない。暴れたくとも、体に力が入らずそのまま寄りかかってしまう。


「あらあら、情緒がないわね。せめて横抱きじゃない?」


 ソフィアが揶揄うように声を掛けてきた。騎士たちも生ぬるい眼差しでこちらを見ている。恥ずかしさにイヴェットの頬が真っ赤になった。


「横抱きだと、いざという時に剣が持てない」

「大丈夫! わたくし、歩けるわ!」


 イヴェットは叫んだが、聞いてくれる人はいなかった。ソフィアと騎士たちににこやかに見送られ、ウィルフレッドと共に辺境の街へと戻る。


 降りることを諦めて体を預けてしまえば、ずっしりと重くなった。子供のように彼の肩にもたれかかれば、彼の温かさがじんわりと伝わってくる。そしてその温かさが嫌じゃないところが嫌、と一人心の中でため息をつく。そんな気持ちを隠して、彼に話しかけた。


「ごめんなさい。重いでしょう?」

「いいや。羽のように軽い。ずっとこうしていたいぐらいだ」

「ううう。そういう甘い言葉を言う人だった?」


 イヴェットの中で、ウィルフレッドはどちらかというと気の利く兄のような存在だった。それなのに、こちらに来た時からイヴェットを女性として扱うので、困ってしまう。


「イヴェットは婚約者がいないだろう?」

「そうね」

「だったら、存分に甘やかしても問題ないはずだ」


 どういう意味なのか。

 意識をしてしまったせいか、体中が熱くなる。


「護衛最後の日、本当は大泣きしていたイヴェットを連れて行きたかった」

「それは……兄として?」

「兄になったつもりはないな」


 それは、と言葉が続きそうになったが声が出なかった。聞いてしまったら、この居心地の良い関係が崩れてしまいそうで。もうすでに、ウィルフレッドと離れたくないと言ってしまっているような状態だけれども。


 イヴェットは唇を噛んだ。好きと伝えればいい。でも、ゴドウィンといい関係が築けなかったこともあって、恋愛に自信がなかった。彼に気持ちを伝えて二人の関係がどう変わっていくのかも、分からない。


「焦るつもりはない。今は色々大変だろう。だけど誰よりも側にいて、君を守りたい」

「ウィルフレッド様」


 ウィルフレッドはそれ以上は言わなかった。

 守りたいと言われて、胸の奥がじんわりと熱くなった。

 

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