クリーヴズ公爵家の後継
ソフィアとの再会を果たした後、魔の森にあった魔法陣について話し合いが始まった。難しい顔をして、ソフィアとロルフ、そしてエドガーの三人は様々な仮定を探っていった。三人の熱量はすさまじく、どこかの研究所ではないかと思えるほど。
イヴェットはとっくに彼らについていくことをやめていた。
魔法陣や魔術の知識が足りず、三人の会話に全くついていけないのだ。イヴェットは自分なりに勉強をしてきたつもりだったので、半分も理解できないことに密かに落胆した。
もっとも勉強は手探り状態で、先生も誰もいない状態ではあったのだけども、それなりにやれていると思っていた。でも、ポンポンと次から次へと知識が飛び出し、そこからさらに発展するように議論しているのを見ると、自分の能力の低さを実感する。
「イヴェット嬢」
重いため息をついたイヴェットに、隣に座るウィルフレッドが小さく声を掛けた。なんだろうと、首を少しだけそちらに向ける。ウィルフレッドはどこか悪戯っぽい笑顔を見せていた。
「気にしなくていい。俺にもさっぱりだから」
「……態度に出ていたなんて恥ずかしい」
思わず両手で顔を隠した。何故か、家を捨てると決めてから感情をコントロールすることが難しい。知らないうちに思いが顔に出てしまう。
「いいじゃないか。ここは王都ではない。もっと感情的に喚いても誰も咎めない」
気楽な様子で言い切られて、隠していた手を下ろした。
「そうね。わたくしも一応は公爵家の跡取りとして勉強してきたから、ついていけないことがショックだわ」
声を小さくして、自分の気持ちを告げてみる。ウィルフレッドはバカにすることなく重々しく頷いた。
「気持ちはわかる。でも、こういうのは好きな奴にやらせておけばいいんだ。俺だって辺境伯の跡取りだが、まったくわからない」
「ウィルフレッド様に求められているのは魔法ではないと思います」
「そうか? それでもこの辺境領では魔法に詳しい方が頼もしく思えるだろう?」
能力が足りなければ、補うように他の人を側に置けばいいだけの話。でも、印象として魔法に素晴らしく造詣の深い領主と、魔法はほんのちょっとだけしか使えないという領主ならば、前者の方が気持ち的にとても安心する。
イヴェットはようやく笑顔を見せた。そして、自分の能力の足りなさを考えるのをやめた。
「公爵令嬢をやめるのだから、割り切らないと」
「え! そうなの?」
小さな声で、しかも隣り合わせのウィルフレッドにしか聞こえないような音量だったはずなのに、ソフィアが耳聡く聞きつけた。
他の二人も話し合いをやめ、イヴェットに注目する。困ったようにイヴェットは視線を彷徨わせた。
「別に怒っているわけじゃないわよ? でも、どうして? あれほど努力をしていたのに」
「……ソフィア姉さまはご存知だと思うのですが、わたくし、お母さまから何も継承していないのです。色々な文献を調べたり、知っていそうな人に聞いたりしましたけど、ほとんどわからなくて」
できる限り軽い口調で話した。それでも、内容が重かったのか、部屋の中がしんと静まり返る。その気遣う空気が居たたまれなくて、膝の上に組んだ手に視線を落とした。
「今さらながら確認なのだけども」
ソフィアがどこか悩みながら話しかけた。
「クリーヴズ公爵家はどうでもいいとして、婚約者に未練はないの? わたくしは一度だけ会ったことがあるけれども、それなりに仲が良かったでしょう? つまり義妹と浮気した彼と、やり直して結婚するつもりがあるかどうかなのだけども」
クリーヴズ公爵家のことについて聞かれるかと思っていたら、ゴドウィンとのことだった。すっかり婚約者でなくなっているつもりでいたので、まさかの確認に瞬いた。
「結婚しません。正直、気持ちが悪い。わたくしと半分血のつながっている彼女とあれだけ睦み合っているのに……結婚なんてありえない」
「後妻の娘と婚約者の男、目の前でいちゃついていたの?」
「彼らは気が付いていないと思いますけど。密会にちょうどいい温室があって」
それを知ったのは偶々だった。ゴドウィンがお茶会の予定以外の時に屋敷に来ていると知って、探したのだ。あの時は、探したけれど会えなかったとカイラには告げたが、実は違う。二人で抱き合って、頬を摺り寄せながら楽しくしゃべっているのをちらりと見たのだ。
びっくりしすぎて、見なかったことにした。だけど、結局こうなるのなら早めに動けばよかったのかもしれない。
「なんて最低なの! わたくしが責任を持って、二人を呪っておくから」
想像したのか、ソフィアが激怒した。余りの怒り具合に、エドガーが宥める。
「呪っては駄目ですよ。聖女は祝福だけしてください」
「だって!」
「イヴェット嬢の聖女の良い印象を壊してもいいのですか?」
はっとしてソフィアは表情を取り繕った。憤怒の顔が、すぐさま慈愛に満ちた顔になる。その変わり身の早さに、イヴェットは目を白黒させた。
「こほん。イヴェットの婚約はお兄さまに破棄するようお願いしておくわ。すぐにでも整うでしょう」
「ありがとうございます。ですが、わたくし、多分死んだことになっていると思うので婚約破棄をわざわざしなくても」
「何を言っているの。死んだことになんて、しないわよ」
ソフィアが呆れたようにイヴェットとカイラの計画を否定した。
「それだと、クリーヴズ公爵家に戻らないといけないですよね?」
「戻りたくないの?」
「はい。お父さまが当主代理として随分と好き勝手していますし、領地はボロボロです。わたくしよりも管理実績のある人に任せた方がいいと思います」
これは嘘偽りのない気持ち。それが通じたのか、ソフィアは難しい顔をしつつも納得はしてくれた。
「言いたいことはわかるわ。でもね、クリーヴズ公爵家は代々血で継承してきたの。イヴェットがいるのにその主張が通じるかは、わからないわ」
「それでも……わたくし、後継の儀式ができません。結局これは血が途切れてしまっていることと同じでしょう?」
結局はここに戻る。
クリーヴズ公爵家が行っていた後継の儀式。その内容を知るものはもうこの世にはいない。
「その儀式、エリノア姉さまの時に立ち会ったけれども、前任者から何かを授けられておわりだったわ。その前日から何かするらしいけれども、話ししか聞いていないのよね」
「陛下も同じことを言っていました。その秘められた内容が知りたいのです」
「そうよね。不思議なぐらい隠蔽されていて……。それでね、エリノア姉さまがどう思っていたか、とわたくしなりに考えたのよ」
イヴェットの持っていなかった視点に、真剣に耳を傾ける。
「エリノア姉さまはあなたを後継にするつもりはなかった。極端なことを言えば、自分が最後の継承者だと考えていたとしか思えないのよね」
それは考えたこともなかった。
確かにイヴェットはずっと中央教会に預けられていた。クリーヴズ公爵家に戻ってくることは本当に少なく、エリノアと一緒に過ごす時間もごくわずか。
エリノアですべて終わりにする覚悟であれば。
そこで初めてエリノアの死に疑問を抱いた。イヴェットはエリノアが死んだと連絡をもらい、葬儀に立ち会うために国に戻ったのだ。
その時、事故で死んだとしか聞かされておらず、詳しいことは何も知らない。棺の中に横たわるエリノアは綺麗に身支度され、ただ眠っているように横になっていた。
「……お母さまは、どうして亡くなったのですか?」
「魔法を暴走させてしまったのよ」
想像すらしていなかった原因に、息が詰まる。エリノアはクリーヴズ公爵家当主として相応しい魔力の持ち主で、魔法も魔術にも精通していた。そんな彼女が失敗などするだろうか。
「何の魔法を試したのかはわからない。それはお兄さまも随分と調査したけれども分からなかった。あの男にも随分と追及したけれども、あの男は本当に何も知らされていなかった」
忌々しそうにソフィアは吐き捨てた。思わぬ激しさに、イヴェットは息を呑んだ。
「本当に悔しい。わたくしが側にいれば、あんな死に方、させなかったのに!」
当時を思い出したのか、ソフィアの目に涙が滲む。どう慰めていいのか、狼狽えていると、ロルフがため息をついた。
「ここでクリーヴズ公爵家のことを話しても結論は出ないのだから、これ以上は無駄だわ」
「ロルフ、冷たい!」
「そういうことじゃないわよ。今やるべきことがあると言っているの」
だが、一度ソフィアの目から零れ始めた涙は止まることなく、さらに途切れた集中力もなかなか戻らず。
いったんこの場はお開きになった。
「ソフィアお姉さまはこちらにはどれぐらい滞在するのですか?」
ぐすぐすと泣いているソフィアに訊ねた。
「魔法陣が解決するまでこちらにいるわ。魔の森の魔力のバランスもおかしいから、整えるためにも浄化が必要なの」
「……そんなに長く、中央教会を不在にしていいのですか?」
「うふふ。追い返そうとしてもダメよ。今回はちゃんと大聖女様の許可をもらっているの」
エドガーは苦虫を嚙み潰したよう顔になった。どうやらあまり長くここにいてほしくないようだ。それはロルフも同じようで、変な顔をしている。周囲の空気を気にすることなく、ソフィアは手を叩いた。
「そうだわ、ついでだからイヴェットにも手伝ってもらいたいわ」
「今も十分に手伝ってもらっていますよ」
エドガーはイヴェットが何かを言う前に、くぎを刺した。
「わたくしの助手をしてもらいたいのよ。今回は沢山魔の森に入らないといけないでしょう?」
「いつものようにソフィア様には騎士たちを同行させます」
「ええー! いいじゃない。経験はイヴェットの知識になるし、浄化だけでなく色々な祈りを知っておいて損はないわ」
どうやら家から出た後の事を心配してくれているようだ。ふんわりと温かい気持ちになりながら、イヴェットはソフィアに都合がつけば手伝うと申し出た。




