義姉のいない社交界1
なんて華の少ないドレス。
母パメラの侍女ケイトが選んだドレスを見て、眉を寄せた。
首はきっちりとレースで覆われ、色味も抑えたモスグリーン。流行りのフリルも使わず、ドレスの裾に少しだけ手の込んだ刺繡があるだけ。アリソンの年齢の令嬢が選ぶドレスではない。どうひいき目に見ても、年配者のドレスとしか思えなかった。
特にアリソンは人の目をぱっと引く華やかなものが好きだった。胸元が魅力的に見える大胆なネックラインを持つドレス、選ぶ色はピンクやオレンジが多い。
「はあ、なんてつまらないドレスなの。陰気臭いったらないわね。わたしの良さが全く表に出てこないじゃない」
「しばらくは公爵家の跡取りとして相応しい装いが必要ですので。正式に決まるまでは我慢です。それぐらい、お嬢さまにもできますでしょう?」
ケイトは表情を少しも変えることなく、淡々とした口調で告げる。馬鹿にされているように感じたアリソンはきつく睨みつけた。
「そのままのわたしでは相応しくないというの?!」
「そうはいっておりません。ただ、イヴェット様の後ですからね。それなりに見栄えよくしないと」
イヴェットよりも下に見られている。そのことが屈辱で、アリソンは持っていた扇子を投げつけた。扇子はケイトのこめかみに当たった後、床の上に転がる。ケイトが避けると思っていたので、当たってしまったことに狼狽えた。
そんなアリソンを見て、ケイトはほんの少しだけ口の両端を持ち上げた。そのつかみどころのない笑みに、アリソンは急激に気持ちが冷えていく。
「わ、わかったわよっ! さっさと着つけて頂戴」
ケイトは表情を変えることなく、言われた通り手早くドレスを着せ、髪を高く結い上げた。アリソンに対して義務以上の態度を見せないケイトであったが、その腕前は確かなもの。徐々に仕上がっていく様子を見ているうちに、先ほどの怯む気持ちなどすっかり飛び去ってしまった。
「できました。苦しいところはありませんか?」
姿見の前に立ち、前を見て、くるりと回って後ろを見て。体に合わせて作ったドレスはサイズ感もぴったりで、形は悪くない。ただ、アリソンの好みではないだけだ。
「サイズは丁度いいわ。それにしてもやっぱり地味で、可愛くないわね」
「そんなことはありません。とてもお美しいですよ。次期公爵ですからね。可愛らしくふわふわしているよりも、凛とした美しさを前面に出すべきです」
「ケイトの言いたいことは、わかっているわよ。でも、もうちょっと……そうね、わたしらしい雰囲気がほしいわ。これだけドレスが地味なんですもの、せめて贅沢なアクセサリーをつけるぐらいならいいんじゃないかしら?」
イヴェットが死ぬまでこんな味気ない格好をしなくてはいけないなんて、うんざりだ。美しいドレスや宝石を我慢することは非常につらい。
「そうでございますね。でしたら、こちらのネックレスとイヤリングを」
そう言いながら、ドレッサーの引き出しから宝石箱を取り出した。蓋を開けて、アリソンに見せる。
小さめな黒の宝石を沢山使ったチョーカーと、チョーカーに使われている宝石よりも大きな黒の宝石を使ったイヤリング。
葬儀で使う色合いに、不満げに唇を尖らせた。
「黒い宝石? 美しい黒だけど、わたしがつけたいのはこんな地味なものじゃないわ。ダイヤモンドとかルビーとか色の美しい宝石よ。ぱっと人の目を引くものがいいのよ」
「そちらはアリソン様が跡取りになった暁にはいくらでも。今は、姉の病に心を痛めている妹を演じなければ」
ケイトがあまりにもわかってくれなくて苛立った。
「今夜は特別なのよ。初めてゴドウィン様にエスコートしてもらうの。誰よりも綺麗なわたしをみてもらいたいのよ」
いつもは人目を避けて逢瀬を重ねた。もちろん秘められた恋はとても刺激的で、イヴェットよりも愛されていることが実感できた。その彼と、初めて人前に出られるのだ。病に倒れたイヴェットの代理であっても、二人そろって参加できる特別な夜。
ケイトは逡巡したあと、宝石箱を下げた。代わりに小さな箱の蓋を開ける。
「では、こちらの赤いピアスはいかがでしょう?」
燃えるような美しい赤い宝石で作られたピアスはとても小ぶりだ。
「どこかで見たような?」
「イヴェット様の母君のつけていたピアスです」
「ああ、思い出した。嫌がらせでお義姉さまから取り上げたのよね」
部屋にあった宝石を取り上げた時のイヴェットの悲しそうな様子を思い出し、くふくふと笑った。大嫌いなイヴェットが泣くのを我慢しているのを見るのは、何とも言えない快感がある。大切にしていた彼女の母の遺品を目の前で壊してやったこともある。踏みつけられてバラバラになった小物を床に這って拾い集める姿は惨めで、アリソンの心は大いに満たされた。
「このピアスに使われている宝石、公爵当主に与えられるものだそうです」
「そうなの?」
「はい。古参の侍女が言っていたので間違いないかと。それに残されている歴代の肖像画にもこのピアスは耳に飾られています。イヴェット様が持っていたのは後継者と認められたからだと思われます」
アリソンはピアスを摘み上げた。公爵家当主の証と言われれば、とてつもなく自分に似合うように思えてくる。
「でも、小さいわ。こんな大人しい宝石で、ゴドウィン様はわたしを綺麗だと思ってくれるかしら?」
「ご不満なら、こちらのチョーカーをつけてみるのはいかがでしょう?」
もう一つの宝石箱から出てきたのは、銀細工のチョーカーだ。透かし彫りで、とても繊細なデザイン。宝石は使われていないが、それでも目を見張るほどの美しさがある。
「いいわね。二つともつけて頂戴」
「畏まりました」
ケイトは恭しい手つきで、チョーカーとピアスをアリソンにつけた。それだけで見ていればとても地味だと思っていた宝飾品も、身につけてみれば、とてつもない存在感があった。何度も何度も角度を変えて、自分の姿を鏡で確認する。
「ふうん。宝飾品があるだけで、印象が変わるわね。こういうのも似合うのかも」
そう納得していると、扉からパメラが入ってきた。
「アリソン、ゴドウィン様がお迎えに来ているわ」
「え! もうそんな時間?!」
「あら、随分と地味なドレスを選んだのね。陰気臭いわ」
パメラは不思議そうな顔をして、娘の全身に視線を走らせる。アリソンは少し悲しそうな顔を作り、ドレスを摘んで広げて見せた。
「わたし、義姉を心配する健気な義妹なの。だからいつもと違って大人しい色なのよ」
「ああ、そういうこと」
パメラはおかしそうに笑った。
「お義姉さまが病になって引きこもっているから、わたしが代理になったと広めないと」
「それがいいわ。ついでに、公爵家はアリソンを次期当主としての教育を始めたと広めておきなさい」
パメラの最後の一言に、アリソンは首を傾げた。
「お母さまは夜会に参加しないの?」
「ええ。ジェレミーの熱がまだ下がらないのよ」
「お父さま、まだ寝込んでいるの? もう四日よ?」
ゴドウィンとの逢瀬や買い物で忙しくて、ここしばらくジェレミーの姿を見ていないことを思い出した。
「新しい薬が合わないみたいでね。熱を出したり、引いたりしているわ」
「それって大丈夫なの? わたしがちゃんと後継者と認められるまで元気でいてもらわないと困るわ」
「大丈夫よ。お医者様に来てもらっているし、家令がこまめに様子を見ているわ」
家令と聞いて、アリソンは顔をしかめた。この家令はケイトの夫で、パメラが後妻として入ってきたときに一緒に入ってきた男だ。
アリソンはパメラに顔を寄せた。ケイトに聞かれないように小さな声で聞く。
「ねえ、その家令は信用できるの? ケイトの夫よね?」
「心配性ねぇ。逆に聞くけど、彼らがいなくなって、やっていけると思う?」
「そうだけど……。わたしが公爵になる時に借金まみれなんて嫌よ」
パメラは娘の心配に、呆れを見せた。パメラの反応の悪さに、アリソンは危機感のない母にさらに言葉を重ねようとした。
「心配いらないわ。これでもちゃんと考えているから」
パメラは娘の頬にそっと触れた。目を細め、微笑む。
「難しいことは考えずに、楽しんでいらっしゃい」
なんとなく誤魔化されたような気もしたが、アリソンを呼ぶゴドウィンの声を聞いて、意識は逸れた。




