魔の森の異常1
魔の森に入るのは命懸けだ。魔物除けの魔道具を使って道を作れるのは、森の浅いところだけ。それは表面だから可能になる。
魔の森の恐ろしいところは、どんなに開いても元ある姿に戻っていくところ。獣道すらも、一日も経てばあっという間に隠れてしまう。
魔の森への討伐は基本一日交代で行う。魔の森で長い時間過ごしていると、体への負担が大きく、下手をすると動けなくなる。そのため今日はざっと魔の森を調査して、明日以降の予定を組む。何か気になる変化を見つけられればそれを中心に、何も見つけられないようであれば、前回の調査範囲の続きから始める。
膝まで丈を伸ばした草を踏みならしながら、魔の森の奥に向かって進んだ。辺りを警戒しながら、何かしらの異変がないか確認を行う。
ウィルフレッドは草を剣で払い、ゆっくりと先へと進んだ。その後ろをロルフが続く。
「いやあね。いつ来ても、道が消えている。燃やしちゃおうかしら」
「燃やすな。魔の森が火事になったら、シャレにならん」
ロルフの物騒なボヤキに、少し離れた場所で同じく草を踏み固めていたダレンが咎める。彼は剣を豪快に振るって、草を刈っていた。中途半端に刈った草はすぐさま茎をのばし、元の長さに戻る。その様子を目の当たりにして、ダレンが眉間にしわを寄せた。
「こいつら、いつもより戻りが早いじゃねえか。ふざけやがって」
「だから燃やしちゃいましょうよ。その後すぐに水を放流すれば鎮火するでしょうよ」
噛みつきそうな勢いで怒鳴るダレンをロルフが笑う。いつもなら燃やすんじゃねぇ、と怒るダレンだが、今日はロルフの軽口を受け止めた。
「そんな器用なことができるのか?」
「たぶん? 小さい火をぱっと走らせて、すぐ水で鎮火よ。水魔法、使えるわよね?」
ロルフはぐりんと顔を巡らせて、一人の団員に声を掛けた。彼は小さく頷いた。
「でも、繊細なコントロールはできませんよ? 俺は水をばっと出すだけで」
「十分よ。根っこから焼いて道を作るわ。その後、水。火が消えたら、残りの人はちゃんと目印を立てて」
根こそぎ魔法で焼いてもすぐに草は戻ってしまう。帰り道がわからなくならないように、団員に指示を出した。ロルフは何の躊躇いもなく、火の魔法を放った。
落とされた場所に火が燃え移ると、そこから地面を這うようにして、先へ先へと意志を持ったように燃え進む。火の勢いが強くなる前に、水魔法がその火を飲みこんだ。魔法で根まで焼いたおかげなのか、すぐに雑草は伸びてこなかった。
「なんか、スゲーな。剣で刈って踏むよりも早い。ロルフ、お前次回から必ず付き合え」
「イヤよ。私はもう騎士じゃないの。たまに手伝っているから十分でしょう」
「いいじゃねぇか。手当、弾むぞ」
草がすぐに復活しないことを確認して、ダレンが号令をかけた。
「では、行くぞ。何か異常があれば報告を」
先頭はロルフとダレンが、ウィルフレッドは最後尾についた。
しばらく静かに進んだところで、開けた場所に到達する。魔の森の奥にはこうして少しだけ開けた場所がいくつかある。
全員があまりにもあっさりとたどり着いたことに首をかしげていた。いつもなら、魔素の濃度の高さから疲れを感じ始めるころ。でも、今日は全身にのしかかる負荷がない。
この開けた場所は何度も来たことがある。だからこそわかる、その違い。
「……これ、祝福の力よね?」
「恐らく。俺もいつもよりも体が軽い」
「俺も全力疾走できそうなぐらい、元気です!」
騎士の一人が元気にそんなことを言う。他のメンバーも呼応して、こんなことができそう、あんなことができそうと、賑やかに話し出した。
「もしかして、イヴェット嬢、ものすごく優秀な聖女なの?」
「そういう話は聞いていないが。前公爵だった母が亡くなったため、国に戻ってきている。聖女候補なだけで、見習いの域を出ていないはずだ」
イヴェットの護衛になったのは、彼女が十二歳の時。突然母を亡くし、国に連れてこられて混乱していた。父親であるジェレミーとはさほど親しくないのか、泣きそうな顔をしていても決して彼には近づいていかなかった。
ウィルフレッドは丁度その時、王都の騎士団に所属していた。何の気まぐれか、国王と父である辺境伯は悪友と言われるタイプの友人だったらしく、世間を知るという名目の元、王族の護衛にと送り出された。国王の護衛という肩書は騎士ならば誰もが欲しがる素晴らしいもの。だが辺境の地で魔物狩りをしていたウィルフレッドにとって、護衛の仕事は物足りず、鬱屈する毎日だった。
大臣たちとの仕事はまだいい。領地から上がってくる問題や慶事、さらには他国との折衝など、様々な情報が耳に入ってきた。辺境伯領だけで過ごしていたら知ることのなかった政治の駆け引きに、将来辺境伯を継ぐにはこういう力も必要なのかと愕然としたものだ。
ただし、我慢できるのは政治の話だけ。
国王が参加する茶会や夜会などの社交場は苦痛以外何物でもない。流行のスイーツやドレスの話ばかりする令夫人や令嬢たちの話、褒められているのか貶されているのかわからない会話。
言葉一つ、裏を考え無難に切り抜けていく。顔の造作が王都の貴族たちには魅力的に映ったのか、未婚の令嬢を連れて母親が突撃してくるのも心を疲弊させた。
確かに貴族令嬢は美しい。
良い生まれ、苦労を知らない生活。
何事も周囲の人間が整えてくれて、その中で優雅に過ごす。
でもウィルフレッドは辺境伯を継ぐ人間だ。王都の女性が辺境伯領での生活が送れるとは到底思えなかった。嫁になりたいと、過熱する令嬢達に辟易していた頃、前公爵の葬儀でイヴェットに出会った。
聖女としての素質を認められ、中央教会へ出されていた次期公爵。
世間を知らないせいなのか、王都に住まう貴族子女たちよりも持つ雰囲気が幼い。清らかだが、すぐにでも穢されてしまいそうな、そんな危うさがあった。
それは国王も同じように感じたようで。
ウィルフレッドは専属の護衛として送り込まれた。
クリーヴズ公爵家は中に入れば、ひどく腐っていた。亡くなったイヴェットの母エリノアには味方が少なく、利己的な身内が好き勝手していた。何とか名門を維持できていたのは、エリノアの手腕があってこそ。
継嗣であるイヴェットを中央教会に出した理由がすぐにわかるほど、親族の振る舞いは目に余る。特にエリノアの夫ジェレミーはひどかった。彼はあまり自分で考える人間ではないらしく、自分の親兄弟が親族だからと公爵家を我が物顔で利用してもあまり気にしていなかった。後妻とその連れ子がいたため、イヴェットの居場所など最初からないにも等しかった。
「不思議なご令嬢よね。なんとなくふわふわして?」
「ふわふわってなんだ。本人はとてもしっかりしているつもりだぞ」
「彼女の侍女は面白いし」
「それは否定しない」
ロルフの言葉にウィルフレッドは小さく笑った。カイラはイヴェットに常に従っていて、護衛していた間にその人となりを知っている。カイラは教会育ちのエリートで、恐らくイヴェットの守りを教会から託されているのだろう。
「でもこれほど違うなら、次も期待しちゃうわよね」
「それは……どうだろう。彼女達は国を出たいらしいから」
「ああ、確か、そんなことを言っていたわね」
出来ればいてほしいが、それはこちらの都合だ。ウィルフレッドは彼女が国を捨てると決めた出来事を思い出し、ため息をついた。




