目が覚めたら拝まれていた
ゆっくりと目を開ける。あまり馴染みのない白い天井に、何度か瞬いた。
大きな窓からは気持ちが良いほどの光がたっぷりと入り込み、まだ昼前なのだと教えてくれる。騎士たちを送り出したのは午前中の早い時間。すでに三時間ぐらい経っているのだろうか。
体を包み込む柔らかな寝台、肌触りの良いシーツ。ごく普通の宿ではここまでの贅沢品は使えない。しかも、マルメロの宿よりも質が良い。
心地よい寝室に、夢の中にいるのだろうかと、ぼんやり考えていた。
「お嬢さま、ご気分はいかがですか?」
「カイラ」
すぐさま体調を気遣う声に、首を少しだけ横に傾ける。いつもなら泰然としていて、あまり感情を見せないカイラが、ものすごく不安そうな目をして覗き込んでいた。こんな彼女を見るのが初めてで、何かよくないことでも起きたのかと、慌てて起き上がる。だが、激しい眩暈に襲われ、再び枕に頭を戻した。
「急に動いたらいけません。すぐにエドガー様を呼びますから」
「ここ、どこなの? それにわたくし、どうして寝ているの?」
騎士たちの姿を見て気持ちが高揚した。そして、エドガーに祝福を与えてはと勧められて、拙いながらも祈りを捧げた。
そこまでは覚えている。
でもその後は、記憶が曖昧だ。祈りの中に入り込んでしまったような感覚。嫌なものではなかったが、自分だけしかいないような、でもすぐ側に何かがいるような、不思議な空間にいた。
気が付けば、寝台の上で横になっていて。
「辺境伯のお屋敷です」
「辺境伯様の? ご挨拶しなくては」
教会の一室だと思っていて、慌てた。通過点として国境の街に来ただけだった。呪いの解除をしてもらったのも偶然。だから挨拶するつもりはなかったのだが。こうしてお世話になっているのに、挨拶しないのはありえない。
「慌てなくても大丈夫です。すでに顔合わせをしておりますよ」
「どういうこと?」
「エドガー様、聖職者でもあるのですが、辺境伯でもあるそうです」
「え?」
想像外の答えに、ぽかんと口が開いた。カイラは怒っているのか、どことなく雰囲気が怖い。
「最初に言ってくださったらよかったのに。こういう不意打ち、最悪です」
「聖職者であることは間違いないのよね? 辺境伯と兼任、できるのね。知らなかったわ」
確かにそうでなければ、公爵家の継嗣であったイヴェットが中央教会に聖女候補としていくことはできないだろう。
「でも、お嬢さまがゆっくりできるのなら、それでいいです」
「教会で十分なのに。どうして辺境伯の屋敷を借りたの?」
「それがですね、今朝の祝福を見た住人たちが大騒ぎしまして。教会は今大変なことになっています」
「どういうこと?」
大変なこと、と言われて首を傾げた。朝の祝福は確かに気持ちが乗っていた。イヴェットにしても過去一番の祈りだった。とはいえ、聖女候補だったのは六年も昔の話。真似事でしかない。
「大聖女様の祝福にも似た、とても美しいものでした。確かにあれを目の当たりにすれば、大騒ぎしたくなります」
「は?」
大聖女様の祝福、と言われて唖然とした。カイラはぐっと拳を握りしめ、やや前のめりになった。
「本当です。大聖女様の祝福、何度も見ているわたしが同じと感じたのです。鳥肌が立ちました」
「そんなことあるわけないじゃない。わたくしが祝福を祈ったのは六年ぶりよ?」
聖女の祝福はその祈りの深さで力の強さが違う。イヴェットは聖女としてはまだまだ学ぶべきことは多かった。それなのに、大聖女と同じ祈りなどできるわけがない。
「祝福は気持ちがどれだけ込められているかだけですよ」
否定するイヴェットに、やんわりと諭したのはエドガーだった。使用人に呼ばれて、イヴェットの様子を見に来たようだ。慌てて上体を起こそうとしたが、力が入らない。
「ああ、そのままで。気分はどうですか? 体の不調や何かおかしいところなどは?」
「体が動かせないほど、だるいです」
「魔力切れです。しばらくこの部屋で過ごしてください。魔力回復が早くなります」
「魔力切れ? 祝福を祈っただけなのに? それに大聖女様と同じと言われても……納得できませんわ」
祝福を祈ることは、聖女候補だった時に毎日のようにしていた。その時に魔力切れなど起こしたことはない。
「信じられない気持ちは理解しますが、事実です」
カイラだけでなくエドガーまで同じだと言い出していて、イヴェットは愕然とした。
大聖女の祈りはとても清らかで、それでいて強い。魔力の質がいいのもあるが、透明感のある誰にも持ちえない祈りは沢山のお務めをして、極められたもの。
脱落したイヴェットが同じものを持っているわけがない。
「そのことについては追々。ところで、イヴェット嬢には聖女候補としてしばらくここにいてほしいのです」
「今朝は気持ちが乗ってしまいましたけど、わたくしは聖女候補ではないのです。騙すようなことになるのはちょっと」
気持ちの丈を込めて祈ることはできても、期待通りの祈りを捧げることはできない。聖女の使う魔法は中央教会でしか学ぶことができないため、イヴェットがきちんと使える魔法はごく初級のものばかり。聖女がよく使う治癒魔法や結界魔法も実践が足りず、中級が使えるかどうか、という不安定なもの。
「カイラ殿から簡単に事情を聞きました。イヴェット嬢の立場も分かります。ですが、聖女の祝福を使ったことが知られた状態で、隣国に行かせられません」
真剣に諭されて、ようやく気が付いた。本当に気持ちばかりの、力のない祝福であればこうして引き留めはしなかっただろう。大聖女の祝福と同じと聖職者に判断された祈りを見せてしまっている。この力を欲しいと思う人たちがどう行動するかなんて、簡単に想像ができた。
「こんなつもりではなかったのに」
「盛り上がっているのは今だけです。落ち着けば、隣国に行くこともできますよ」
慰められて、ちらりとエドガーを見た。
「囲い込まないのですか?」
「囲い込まれてくれるのですか? 辺境伯領としては大歓迎ですが、私は聖職者なんですよ。そんな外道なことはしません。それに」
エドガーは笑顔を見せながら、カイラに視線を向けた。
「彼女が許してくれないのではないですか?」
「カイラは……わたくしをいつも守ってくれるから」
「おや? もしかして」
侍女として優秀であっても、力のない平民だ。権力者や犯罪者たちからイヴェットを守り切ることはできない。それに、イヴェットが危険である状態は、カイラにとってはもっと危険になる。
「エドガー様」
何やら低い声でカイラがエドガーの名を呼んだ。エドガーは苦笑しながら、首を左右に振る。
「貴女の秘密をここでばらすわけにはいかないですね」
「カイラの秘密? え、何? わたくしが知らないこと?」
カイラが舌打ちをして、エドガーを睨みつける。エドガーは泰然と彼女を見返した。
「イヴェット嬢。誰もが秘密を持っているのです。きっと時期が来れば教えてくれるはずですよ」
「でも気になるじゃない。あ、もしかしてカイラはエドガー様とお知り合い?」
あれこれと想像していく。カイラが大きく息を吐いた。
「エドガー様は……わたしの養母の友人です。時々、挨拶をする程度にはお付き合いが昔はあったのです」
「そうだったの? 偶然出会うなんて、すごいわね」
教会は広そうで狭い世界だ。イヴェットも教会にいた時間は他の聖女候補よりも短いが、それでもその間に関係のあった人はすべて覚えていた。何年も離れていても、不思議と深いつながりがあるのだ。
「そういうことですので、安心してここでお過ごしください」
「ありがとうございます」
お礼を告げると、エドガーは次の予定があるからと部屋を出ていった。その後姿を見送ってしばらくしてから。
「あ! 聖女の祈りについて、聞けなかったわ!」
エドガーに丸め込まれたことだけが分かった。




