婚約者と義妹による雑な殺人計画
サロンで婚約者を待っている時から、嫌な予感がしていた。
今日は月に一度の婚約者とのお茶会。交流を深めるために、六年前に婚約した時から毎月欠かさず行われている。普段も遅刻しがちではあったが、二時間待たされたことはない。彼の来る時間に合わせて用意してあったお湯も、お茶をいれる前にポットの中で冷めているだろう。
ため息をつき、サロンに置いてある時計に目を向ける。あともう少し待って、こなかったら部屋に戻ろう。そう決めたところで、サロンの扉が開いた。
ようやくやってきた婚約者を見て、眉をしかめる。彼は一人ではなかった。腕にはイヴェットの義妹が絡みついていた。
「お義姉さま、ごめんなさいね! ゴドウィン様とちょっとお話していたら、楽しくて時間を忘れてしまって」
アリソンが非常識な行動をとるのは今に始まったことではない。彼女は貴族の娘としての常識が乏しく、普段から平民のような振る舞いをする。彼女に注意をすると、嫌がらせが倍になってしまうので、ある程度は見逃していたけれども。さすがにこれは無理だ。
イヴェットは呆れを隠さず、はっきりと注意をした。
「アリソン、姉の婚約者に抱きつくのは非常識よ。離れなさい」
「ねえ、ゴドウィン様、お義姉さまの言葉、聞きました? いつもわたしを虐めるのです。わたしはお義姉さまともっと仲良くなりたいと思っているのに」
「許せない所業だな」
「ですから、正義はわたしたちにあるのです!」
正義?
何の話か分からず、首をかしげた。アリソンは時々訳の分からないことを言う。何のことであるかをきちんと説明してほしいものだけれども、自分の話すことは説明しなくてもわかっていると思っている節がある。
これも注意した方がいいだろうか、と悩んでしまう。
「お義姉さま。ちゃんと改心してくださいね!」
「え?」
そんな言葉とともに、かしゃりと何かがはまる音がした。びっくりして、突然重くなった手首を見る。
どんな早業なのか、イヴェットのほっそりとした手首には武骨なバングルがあった。真っ黒なバングルは、見るからに禍々しい雰囲気をまき散らしている。
「魔道具?」
「わたしからのプレゼント! これ、死ぬまで魔力を吸い上げていくのですって」
にんまりと笑うアリソンとバングルを交互に見ているうちに、体から力が抜けていく。ふわふわとした浮遊感が気持ち悪い。
アリソンの言う通り、これが魔力を吸い上げているという状態なのだろう。嫌がらせの一部とは思うのだが、何がしたいのかがよくわからない。
「どうしてわたくしが魔道具をはめられているのかしら?」
「もちろん、僕たちの愛のために死んでもらうためさ」
「えぇ――……」
何がもちろんなのか、僕たちの愛が何なのか、まったくわからない。わからないが、ろくな考えではないことだけは理解できた。
ゴドウィンはにやにやしながら、眉間にしわを寄せるという器用な表情をした。
「僕も貴族だ。家の利益のために、君と結婚すべきだと理解している。だからこそ、不快感を誤魔化しながら、何年も君の婚約者でいた」
「はあ」
「でも、僕は知ってしまったんだ。真実の愛というものを」
真実の愛。
非常に不安定で、信用ならない言葉が彼の口から飛び出してきた。
ここ最近、貴族社会で、特に若い世代でとても流行っている言葉がある。それが「真実の愛」。
家の利益を考えた結婚ではなく、心を通じ合わせた相手との揺るがない至高な愛を表現したものらしい。
この「真実の愛」が世間に認知されたのは実は五十年ほど前。
当時の王太子が身分の低い令嬢を見初めて、人目を忍んで二人で色々と育んだ。期間限定だとお互いに慰め合いながら、気持ちだけでなく、肉体的にも愛を高め合った結果。
ついには愛のない結婚はできないと、王太子は婚約者であった侯爵令嬢に婚約破棄を突き付けた。さらには、王太子の寵愛を一身に受けた身分の低い令嬢を虐めたとして、告発。人として、あるまじき行為と糾弾した。
この訴えを聞いた貴族は皆、白い目を二人に向けた。
当時の王家は王子の暴挙に卒倒した。
身分制度の上に成り立っている貴族社会において、頂点に立つ王族が身分制度を否定。
婚約者の令嬢の両親は当然激怒。
貴族がたくさん参加している夜会でのやらかしのため、握り潰すこともできず。
婚約は白紙になり、王太子は身分を返上、平民となって愛を育んだ令嬢と結婚した。
その過程は阿鼻叫喚であったとしても、結果的にはハッピーエンドのお話である。王族としての特権と引き換えに、愛のある結婚を手に入れたわけだ。
当時の人たち、祖父母世代においてはタブーな話であったけれども、五十年以上もたてば当時を知る人も少なくなり。今は小説となって、舞台となって、再び脚光を浴びるようになった。
二人だけの秘めやかな恋、身分差を超えた崇高なる愛の結びつき。
ある程度、社会を知っていると顔をしかめる人が多いが、若い娘、特にまだ婚約者がいない下位貴族の女性たちにとって憧れの恋愛バイブルになった。
身分を捨ててまで自分を選んでくれる、そんなところが悶えるほど嬉しいらしい。イヴェットには全く以て理解できない気持ちだ。
「――ということで、二人の愛を貫くにはどうしたらいいのか、色々考えた結果。僕の婚約者のまま、君が死んだらいいんじゃないかとなってね」
イヴェットは何度か瞬いた。
言葉自体は理解できても、どういう事情で、どうしてそんな結論に至ったのか。常識の範囲を超えた考えに、イヴェットはすっかり頭が混乱していた。
アリソンがにやにやと、淑女とは思えない下品な笑顔を見せた。
「お義姉さま、理解力が悪いわね。わたしたちは愛し合っているの。家の繋がりのための結婚なら、わたしでもいいはずよ」
「……どうしてわたくしが死んで、うまくいくと思うの?」
「婚約破棄をすると、国への届け出、慰謝料……とにかく面倒がたくさんある。それならば婚約者が病で死んで、仕方がなく家のために残された義妹と結婚することになったという方がスマートじゃないか」
馬鹿だからこんなことも分からないのか、と二人はイヴェットを嘲笑う。
徐々に話が見えてきたイヴェットは頭痛がし始めた。どこをどう突っ込んだらいいのか。とりあえず、わかりやすいところから聞いてみることにした。
「あのね、アリソンはこの家の血を継いでいないでしょう? わたくしが死んだとしても、アリソンはクリーヴズ公爵家を継承できないわ」
クリーヴズ公爵家はイヴェットの母親エリノアの家系だ。父親のジェレミーは婿養子で、イヴェットが成人するまでの間のつなぎの当主でしかない。社交界では便宜的にクリーヴズ公爵と呼ばれてはいるが、正式には当主代行。それは国にも届けられていて、もし万が一、イヴェットに何かがあった場合、継承権は祖父母の代までさかのぼって、親戚の家に渡る。
これはこの国の継承方法で、まったく血の継いでいない人間が相続できないようになっていた。もし血筋に問題がある場合は、議会で協議が行われ、国から認められなければならない。
そのためイヴェットが死んだくらいでは、後妻の連れ子であるアリソンが公爵家を継承することは不可能だ。
「ふふふ、お義姉さまは知らないのね。わたし、連れ子ではなくてお父さまの娘なの」
「はい?」
「だから、この家はわたしも継げるのよ。可哀想なお義姉さま」
面白いことがあったかのように、アリソンはくすくすと笑う。ゴドウィンも一緒になって笑い合っている。
その様子から、クリーヴズ公爵家の系譜について正しく理解していないことがわかった。それはきっと、アリソンの母である後妻も一緒。
だが、ジェレミーは自分が中継ぎであることを知っている。公爵家の代理当主になるにあたり、国王の前で宣誓をしているのだから。イヴェットが成人してこの家を継げば、ジェレミーと後妻、連れ子のアリソンの三人はこの家とは関係ない人間になり、出ていくことは決められていた。このことは正式に文書にも書いてある。
どうしたものかと、本気で対処に困ってしまった。言葉だけでは理解してくれるとは思えない。
「わたしだってお父さまの娘なのに、いつだってお義姉さまばかりいい思いをして! でも、これで最後よ。どう? 婚約者に死んでほしいと言われて。うふふふふ。お義姉さまが死んだ後はわたしが全部貰ってあげるから、心配しないでね」
「死んでね、と言われて死ぬわけないでしょうに」
思わず心の声が音となって零れた。アリソンはにんまりと笑う。
「そのバングル、魔力を吸いきるまで外れないのよ。しかも徐々に体が弱くなっていくから病気に見えるの」
「アリソンは賢いな。いつもつまらなそうにしているイヴェットとは大違いだ」
「そうでしょう? 毒を飲ませたり、暗殺したりしたら、足がつくじゃない」
二人はお互いを褒めたたえながら、はしゃぐ。イヴェットは手首のバングルに視線を落とした。
幾つも透明な魔石がはめられていて、ここに魔力をためるようになっているようだ。よく魔法騎士や冒険者がいざという時のために身につけているものと同じ。
ただし、魔力を空になるまで吸い上げると言っていたので、膨大な魔力を吸い上げる高価な魔石が使われているだろうし、魔法陣から制限が外されているのだろう。
「そろそろ辛くなって来たでしょう? 大丈夫、ちゃんと最後まで面倒を見てあげるから。そうすれば、わたしは優しい義妹として評判がよくなるわ」
「なんて頭がいいんだ! それならば結婚後も安心だな。悪い噂はない方がいい」
能天気な二人の会話に、顔を上げた。
「今なら引き返せるわ。だからこれを外しなさい」
「うふふふ。さすがにお義姉さまも死ぬのは怖いのね。でも残念。鍵なんてないもの。でも、お義姉さまが死ねば外れるから証拠も残らない」
鍵がないと嬉しそうに言うアリソンに、イヴェットは信じられない思いで彼女を見つめた。
「鍵がない?」
「あるわけないじゃない! 死んでもらいたいのよ。だったら、なくてもいいでしょう?」
イヴェットは初めてアリソンを恐ろしく感じた。アリソンはイヴェットの顔色が悪くなるのを見て、嬉しそうに声を上げて笑った。
「わたしは幸せになるの! お義姉さまも残りの人生、大切にね!」
二人は楽し気にサロンから去っていった。