元帥邸は平和です
「…っ……なぜ、分かったのですか」
一応学園にいた令嬢の中では首席をとれるに入る魔力持ちである。働き口には困らないだろう。……身の回りは自分でできるように躾られて育ったし。不意に確信を突かれて涙も引っ込んだ。高貴な出自という、その出で立ちさえなければだが。
「…君のように真面目な子はやるとしたら突き抜けるからな」
きっと、色々考えて国外追放と言われなくても国を飛び出すかと思った。だからこそ、理由をつけて日参しているのだ。
至近距離で見た紫の瞳には、銀色の光彩が細かく散って、夜明け前の夜空のように綺麗な瞳。初めて会った時のように優しく微笑んでくれる顔。……思えば、幼い心に『素敵!格好いい』と思ったのは婚約者の叔父の微笑みが一番最初だった。
慈しみ愛おしみ大切に思ってくれている、そう伝わる優しいまなざし。
「………っ」
今まで忘れていた憧れが、また再発しそうな予感がした。
顔に熱が集中するのを自覚すると同時に、淑女ではあり得ない体勢なことに気付いてしまった。小さな子供が甘えるような体勢。
「せんせい、下ろしてください」
我に返ってあたふたと恥ずかしがるユスティアが、とてつもなく可愛らしい。彼女の嘆願にもその柔らかな微笑は崩れることはなかった。その
「あぁ、泣き止んだしな」
「……お見苦しいものをお見せしました」
隣へ下ろされる。……化粧も崩れてひどい顔をしているはずだ。そんな姿を晒したのかと少し前の自分が恨めしい。
「……そんなことはない…謝罪しに来たのに、泣かせてしまって」
恥じ入るユスティアに再び触れる硬い指先。…むずがるユスティアが気づかないほど微かな魔力で彼女の体調を探る。
「ですが、泣いたのでスッキリしました。昨日は、色々考えていたら泣くことも眠ることもできなくて」
………きっと執事か父の命令で用意された薬で眠った。強制的に眠らせてしまえば逃走の心配は皆無だ。平和ボケしたと思っていたが元帥の名前は伊達ではないらしい。
「では、今度は面白い話をしよう。何か興味のある本なら禁書庫からでも持ってこよう……少し、眼を閉じて」
泣いたのが分かるユスティアの顔の前に大きな掌を翳し、浄化と治癒魔術をかける。……これで、赤くなってしまった目元や擦ってしまった頬はもとに戻ったが。
「……せっかく可愛らしい化粧だったのに、取れてしまったな」
「大丈夫ですわ」
確かに、自室に引きこもるだけなら、素のままの顔でも良いだろう。男でも必要とあれば化粧を施されるが、何かあるたびに直さねばならない女性のそれは拷問だとヴィンセントは思っている。
だからか、素の顔のまま僅かに微笑むだけで凜とした美貌が愛らしくなる今のユスティアが好ましい。まだ大人になりきれない危うげな雰囲気が、何ともいえず………
「………ユティ!」
「――――お前は、静かにできんのか」
「何で!どうして!!お前は隣に座っているのだ!?ユティ、ほら、早く父様の所においで!!」
半べその威厳もへったくれもない宰相のお帰りである。扉を開けた体勢のまま、両開きの片側にしがみつくように立っている。……厳めしい親父のそんな姿は見ていて楽しいものではない。
室内の光を浴びて煌めく若葉色の瞳が、冷たく細められ存在を無視してヴィンセントのみに柔らかな微笑み向けられる。娘の冷たいその所作に、更に宰相はその場にくずおれた。
「……ディー!お前、使者だと言いながら娘を口説いていたな!?」
「―――――口説いていない。全てお前の過剰な反応だ。まず立ち上がれ」
重たくて動き難いだけの正装でわざわざ来たのは、夫人へ学園内での監督不行きと、アルベルトの不手際を謝罪し両陛下からの親書があったからだ。
「お前の過去を思い出していってみろ!」
「…まだ10の子供に盛ろうとする痴女どものトラウマしかないぞ」
「それはユティに聞かせるな」
「………当時の先生を守らなかったお父様達が悪いんだわ」
「うぐ…」
内心ちょっと動揺したが、言葉に詰まる父に替えの話題を探す。仮にも王族のくせに人目につく東屋でいたす寸前までしていた婚約者を見ているのである意味悟っているし。
「―――――そのトラウマは、ユスティアの様な女性が居てくれればまだマシだったかもな」
穏やかに微笑み、知識を交換してくれるような人。……その点でもアルベルトは恵まれていたのに。
かわいいな、とは耐えず思っていた。
幼くて、好奇心とお転婆を押し隠しながら淑女として精一杯振る舞おうとする教え子。その可愛いユスティアが人形のように表情を凍らせてしまうのが嫌だったので、少し過激に揺さぶった。あんなに泣いてしまうとは予想外だったが。
「わたくしがお話の途中で泣き出してしまったので慰めて頂いただけです。……お父様、先生に失礼よ」
「………娘が冷たい…ヴィンセントより10も上だがそこまで老けたつもりはないのに」
――――今年17で、末っ子のユスティア。確か、母と父は同じ歳で……母はユスティアを28の時に産んでいるということは。
「………先生、やっぱり年寄りではありませんわ。もしそうなら、お父様が墓場に行ってしまいます」
「ぷっ……確かに」
「ゆてぃぃい、お父様を勝手に殺さないでくれる!?」
「いえ、そう言う訳ではなくて」
「物の例えだ。真に受けるな」
娘の事となると血相を変えるのは相変わらずだし、その姿に敏腕と称される面影がないのが不思議だ。
「ヴィー、うるさいぞ」
「お前の方がうるさい」
「………そう言えば、先生はお父様の名前は呼ばないのですね?」
できる使用人達は、『ちょっとポンコツな旦那様』の分をあえてぬるめでお茶を淹れてくれる。……動揺して溢しても火傷しないためだ。
「「…………」」
今さら気付いたささやかな疑問に、首を傾げる可愛らしい仕草。
「―――私の名前はヴィンセント。では、君の父上の名は?」
「ヴィクトル、ですわね」
「ちなみに陛下は私をヴィーと呼び、これをトールと呼んで区別する。つまり?」
『これ』と示され憮然とした父と楽しげに微笑む『せんせい』。
「……ややこしいから?」
「正解……あとは年少者の性だな。呼び名が定着してそのまま。役職も立場もそれぞれ名前があるので呼び分けが面倒だしな」
何となくの答えを口にすると、前髪を混ぜるように撫でられた。その温もりが温かくて、仕草が面映ゆい。
「ユティ、年頃なのだからいい加減にヴィーから離れなさい」
三人は座れる長椅子に少し離れて座っているのに。ヴィンセントの長い腕だからこそ手が届く位置なのに。それでは駄目なのか。…距離的に他者が見たらアウトかもしれないが。父しかいないのなら大丈夫のような気がする。
「……お父様がうるさいから此処がいいです」
ぷいっと顔を背ける様子はとても幼い。その様子にまたヴィンセントの顔に笑みが溢れる。普段は傷痕のせいで怖がられるが、白皙の美貌に穏やかな笑みを浮かべれば生来の美しさがつ。
「ふふっ……ユスティア今日はそろそろ帰るよ。明日は外出もできそうな軽装でくるから、何かしたいことでも考えておいてくれ――お昼前には来れる」
「はい。お待ちしておりますわ」
「……おかしい。一応、この家の家長なのに扱いが悪い…」
いじけ始まったヴィクトルを放置して、玄関までユスティアがヴィンセントを見送る。更に落ち込んだ家長は、長年の執事に慰められて今日も公爵家は平和なのである。
割と楽しんでますが、いつ止まるかビクビクです…