Hungry Spider 【彼女の日常】
三部作?になります
これはそのいち
ねぇ、お腹減ったの
三日前から部屋に住み着いた彼女がねだる。腰までの黒髪、完璧なラインの身体、月光色の肌。化粧はしてないはずなのに唇だけが鮮やかに赤い。仕事から帰ると、誰もいないはずの部屋にいた。見知らぬ人間が部屋にいる不気味さも感じず誘われるままに抱いた。
彼女が実際に食事をとる姿は見たことが無い。部屋にいる間はいつも抱き合っていた。五日目の朝に、立ち上がることもできないことに気づく。
「ねぇ、お腹減った」となおもねだる彼女をあらためてまじまじと見つめる。
一体何が起きているのだろう。この女性は誰なのだろう。そう聞くと、「今更それは重要なことかしら?」と彼女は笑い、これまた完璧な弧を描く唇に吸い寄せられた。
もう、腕をあげることすらできない。今は昼なのか夜なのか。
けれども、甘い快感は尽きることなく押し寄せる。
彼女が馬乗りになったまま、覗き込んでくる。長い髪に隠れてその赤い唇と左眼しか見えない。
「ねぇ? そろそろやめておく? まだ間に合うわよ?」
「君は?」
「もっとお腹を一杯にしてくれるとこに行くわ」
何処に? 何処に? 何処に? 何処に? 何処に?
絡めた指に、かろうじて力を込める。何に間に合うのかはもうわかっていた。なのに自分は何をしているのかはわからない。釣りあがった彼女の唇の隙間から小さな牙がのぞいていることに初めて気が付いた。
これまでで一番美しく満足げな笑顔と、
馬鹿ねとつぶやく喜びにあふれた声と、
するすると黒髪が巻きついてくる感触とに痺れる。
「ねぇ、貴方。知っていた? 狂気は極上の味にさせるエッセンスなのよ」
彼女が一粒だけこぼした涙は、錆びた鉄の味がした。