月色の石
こっそり月見雑文祭という大昔のイベントに別HNで参加したときのものです。
テーマ:秋や月見などを多少絡める。
縛り:次の条件を満たす文言・語句を文中に入れる。
1.始まり:「満月の夜に」
2.文中に『すすき』『うさぎ』『団子』をいれること。
3.掛詞又は(文中に)月見に関した語の同音異義語を入れること。
例:「月=尽き=憑き」など
4.締め:「やっぱり丸かった。」(語尾変化OK)
満月の夜に私は目を覚ます。
湖面に影を落とすススキが風に波打って、さざめきが湖と同調する。
その子は、背よりも高いススキの中の何処かにいるはず。私は湖のほとりに立って、おどけながら顔を出した子に驚いたフリをする。
「ぼうや、寒くない?」
もう、夜の風は肌寒いのに。半ズボンのこどもはううん、と首を振った。ぷくぷくとした手で広げて見せてくれる絵。
「ほら、おばさんの絵、描いたよ。あげるね」
クレヨンで濃い青に塗りつぶした空には黄色くて丸い月。
真っ黒な湖面に映った月は、黄色と黒がにじんでいる。絵の中の私は満面の笑みでその子と手をつないで。
「ありがとう。じゃあ、代わりにこの石をあげようね。ほら、お月さまと同じ色の石よ。大事にしてね」
小さな手が握り締めるのにはぴったりのお団子のように丸い石。
こどもは満月の晩に会いに来る。
仕事で遅くなった父親を探して泣きながら迷い込んできたのが始まり。
元は白かったはずのよれよれで薄汚れたうさぎのぬいぐるみを抱きしめながら。
遠くでこどもを呼ぶ父親の声が聞こえるまで傍にいた。
「私はお月様が丸い夜はここにいるからね。私と会ったことは内緒よ?」
いたずらな共犯者の顔をして人さし指で口を押さえると、くすくすとこどもは笑った。
「夏の間、ずっと僕プールに行ったんだけど、まだ泳げないんだ」
学校での出来事をつらつらと話すこどもは、口を尖らせて。
「来年の夏に、教えてあげるわ。もう秋だもの。この湖の水は冷たいから」
「本当? おばさん、泳げるの?」
「ええ、誰よりも上手にね」
「すごい。パパは泳げないんだよ。だから僕教えてもらえなくて困ってたんだ」
あ、コレは内緒だったんだ、と父親が泳げないことを口止めする顔はいたずらっぽく。
そうね。何度か教えたんだけど、やっぱり泳げなかったもの。そう言いかけてやめる。
代わりに「二人の内緒ね」と笑いあった。
けれども、小さなこどもが夜に家を抜け出すことが続くわけもなく。
ある夜「お前……」と呆然とした声が背後からかかる。
誰がいるのかはわかっていた。
三歩踏み出せば、湖に足が入る。
このまま。
この、小さな手をそっとひいて。
それから。
……それから?
「見つかっちゃった」と舌を出して笑うこどもから目を離さず笑い返す。
「見つかっちゃったね。……ほら、もうお帰りなさい」
そっと、こどもの背を押した。
数え切れないほどの満月を数えて、いよいよわからなくなった頃に現れた影。
すすきの先は膝までしかないほど背の高い男性。
「参ったな。全然僕がこどもの頃と変わらないんだね。これがあるから夢だとは思ってなかったけど」
手のひらを開いて見せてくれたのは、あの夜あげた丸い月の石。
「これ、もの凄い値段で買いたいって人がいるんだ。なんでこんな高いものくれたの? まだ持ってるの?」
私がしゃがみこんで目線を合わせたのはついこないだのように思えるのに、今目の前にいる人は、なんて高いところに顔があるのかしら。
「……うさぎのぬいぐるみ、まだ持っている?」
「え?」
「ほら、抱いてないと眠れなかったぬいぐるみよ」
「……あぁ、ずっと小さい頃の話じゃない。なんでそんなこと知ってるの? どこいったんだろうな。覚えてないよ。大分汚かったから捨てたんじゃないかな」
「泳げるようになった?」
「……んー、いいだろ。そんなこと。ねぇ、それよりこの石、すごく珍しいんだってね。『人魚の涙』って」
このまま。
この、大きな背中を突き飛ばしたら?
それから。
……それから。
「こんなに……」
あの頃一粒でいっぱいだった手のひらには、いくつもの石。ころころころと、過ごしてきた満月の夜の分だけ。
「いいの? ほんとうにもらって」
いいのよと笑ってみせても、彼の瞳は吸い寄せられるように石だけを見つめている。
あの夜もらった絵は、親指を吸いながら丸くなっている赤ん坊をくるんでいたぷよぷよのゼラチンを使って、水の中でも溶けないように守っていた。それでも月日はクレヨンの色をにじませている。私はいつものようにそれをそっと胸に抱いて眠りにつく。
凍りつく前の光はまだ柔らかく、水底から見上げる月はやっぱり丸い。