54 モスキルト
「モスキルトは蚊だ。ルビーモスキルトはモスキルトの上位種だな」
「蚊ぁ?!……あっ」
サイゴドンさんの説明に思わずがばっと勢いよく顔を上げたはいいが、思い切り下の光景を見てしまった。くらぁっと本日何度目かの血の気が引く感触。
ああ、やってしまった。
まるで眩暈がするように目の前の光景がぐらりと震えて輪郭がぼやける。これはまずいとサイゴドンさんの体にしがみついて目の前の光景を強制的に遮断していれば、一分と立たないうちに「ついたぞ」とサイゴドンさんが呟いた。降ろす前に合図を送るように私の背中をぽんと一度叩いて、ゆっくりと私の体を降ろすと足の裏が平坦な道についたことがわかる。
「あ、ありがとうございます…」
まだ足元がふわふわと浮いているような感覚こそするが、これ以上サイゴドンさんにしがみついたままでいれるわけもなく、おそるおそる瞼を開くと先は予想以上に開けた場所で、目の前には洞窟の入口があった。
ああ、よかった。先ほどみたいな光景が続いていたら私は本当に役に立たなかったと思う。いや、戦闘も出来ないから今後も役に立つかは分からないが、それでも足場がしっかりしている場所なら一緒についていくことくらいは出来るはずだ。
此処はロキータ族の集落なのか洞窟の前にはチャッピーやポチポチにそっくりのロキータ族がいるようであったが、どのロキータたちもチャッピーと比べて全身泥塗れだ。
「ペス!」
チャッピーが声を上げると、チャッピーに瓜二つのロキータ族が緩く手を上げる。どうやら名前はペスと言うらしい。
やっぱり犬の名前っぽい。
チャッピーやポチポチと違ってゴーグルをしていないので、いよいよ数が増えたら見分けがつかなくなりそうだが、それにしたってペスの体は泥まみれだ。そう、まるで子供が雨上がりの公園なんかで遊んだような。
「チャッピー キテタノカ」
「キョウ キャクジン アンナイ」
「ソウカ」
二匹のぽてっとした短い尻尾が揺れる。
二匹は互いに背中を向けると、その短い尻尾同士を合わせて見せる。彼らなりの挨拶の方法なのかは定かではないが、尻尾同士を合わせたチャッピーとペスは満足げに歯を見せて笑う。
「オレ ペス。」
「ペス……。…えっと気になったんですけど、すごく泥だらけですが…」
私の問いかけにペスは自分の体を見返したのち、あぁ、と頷く。
「オマエモ ドロ ツケルカ」
「い、いえ私は…」
「ドロ ツケル モスキルト ササナイ」
泥を塗ることで肌に厚みが出来て、蚊が刺しても針が肌まで通らないということは聞いたことがあるし、ディスカバリーチャンネルやTVの無人島生活系企画で見たことがある。
でも、彼らは人間と違って毛深い生き物で蚊取り線香も虫よけスプレーもない世界で生きている生物だ。それなのに、たかだか蚊如きに何をそんなに怯える事があるのだろう。
「あのモスキルトって――」
そう私が口を開いた瞬間、背後の崖からブウウウン!とモスキート音を何十倍にも音量を上げたような羽音が響くと共に、2メートルもあるサイゴドンさんと変わらないほど大きな虫型モンスターが二体現れた。
恐らくあれがモスキルト、という奴だろう。
細長く伸びた六本の手足は黒と白のボーダー柄で、血を吸うために伸びた口器はまるで金属のようにつるりとした表面で鈍く銀色に光る。図体が大きいせいで、どうみたって凶器にしか見えない。あんなものでぶすりと刺されてしまってはたまったモノではない。
「きゃあああっ!!」
それに、あの姿はどう見ても蚊だ。
なんというかあまりにも見慣れた姿ではあるのだが、これだけ大きいと叫びが上がる。何より気持ちが悪い。黒光りする前羽を動かしながらホバリングしたモスキルトはまるで値踏みをするようにチャッピーとペス、それからサイゴドンさんを見た後に私を見つめると歓喜とばかりに声にならない奇声を上げた。
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次回:8/4(水)