21 傷口
青年はリュウのおもちゃを手のひらで軽く握って「ぷぴぃ」と間の抜けた音を鳴らすと、リュウの方へと転がした。リュウはいまだ警戒が抜けないのか尻尾を垂らしたままであったが、目の前に転がったおもちゃの回収はしたようで、青年をちらりと見上げながらもおもちゃを咥えるとすぐに私の横に戻ってきた。
青年はその姿に目を細めこそするがポーカーフェイスなのか、それとも単に興味がないのか口角を上げることは無く、立ちあがると外套を翻し、泉に力なく体を倒した龍を見つめる。
「………あの龍は死んでいるのか」
「いえ、恐らくは…生きてる、かと。」
だからこそ早くに手を打たなければならない。
絶命した黒狼を確認したのち、私はアイテムボックスから黄金蜜の入ったガラス瓶を取り出して龍の方へと駆け寄った。
白い鱗に覆われた肌に手を寄せると、まだほんのりと暖かい。呼吸もしっかりと出来ている。大丈夫、まだ生きている。龍のものと思われるテレパシーを聞いてからは何も聞こえなくなったのが心配だが、まだ、助けられる可能性はある。
傷口となっている部分は真新しいものなのか出血量が酷い上に傷口が深い。あまりにも痛々しい光景に、つい眉間に皺が寄ってしまうが、これ以上躊躇していられる時間はない。
「………どうか、どうか傷口が少しでも癒せますように」
言いながら私がガラス瓶のコルク栓を抜き、ガラス瓶を傾けた瞬間――青年が一言「待て」と口を挟んだ。
「え?」
「…それはなんだ?」
「これは恐らく…黄金蜜です。」
「使うのか?」
「使わないと、この龍が死んでしまうかもしれないですから」
「……そこの龍を助けたとて、見返りがあるかは分からないぞ。なんせ龍は人間を嫌う者が多いからな。」
「いいんです、見返りだとか、そんなの求めてません。それに蜜を使ってお金が豊かになっても私はきっとこの龍のことが気になり続けるでしょうし、龍のためではなくて私がそうしたいんです。」
きっと黄金蜜を使わずに龍を見捨てて帰宅したとて、私は一生後悔を持って生き続けることになる。そんなのは御免だ。私はただ、自分を納得させたいんだ。彼の忠告を聞いても、私のなかにはもう迷いがなくなっていた。私は再度ガラス瓶を傾けて、中に入った黄金蜜を傷口にとろりと流し込むと、傷口に対して圧倒的に量が少ないというのに傷口が蒸気を上げて閉じていくのがわかる。
結局、黄金蜜が入った二本分は全て使うことになったが、中身が空になった頃には傷口は塞がり、あの痛々しい傷跡も綺麗になくなっているほどであった。なるほど、これが黄金蜜の力か。黄金蜜がなぜそんなに貴族の間で取引されるのか、一攫千金と言われるほど高いのか、よく分かった気がする。
「…おお……力が………」
不意に、私でも、それから青年の声でもない誰かの声が響き、私は咄嗟に龍の顔を見つめると、重く閉ざされていた瞼が開き若草色の瞳が露わになると、ぎょろりと私たちを見つめた。
「……お前たちが私を助けてくれたのか。」
龍の声は、穏やかな声をしていた。そこに黒狼のような威圧感や、殺気なんてものはなく、ただ抱いた疑問を私たちに投げかけているだけのような。
「俺は何もしちゃいない、そこの彼女がやったんだ」
「え?!」
青年の呟きに、私の間の抜けた声が響く。
彼だって私を助けるという名目だったのかもしれないが、黒狼との戦闘は間接的に龍を助けたということにもなっただろうに。
龍は私と青年の顔を交互に見ると、頭をこちらへと向けて
「そうか、人間よ、お礼を言おう……。」
と呟いた。
「い、いえ!私は傷口に黄金蜜を使っただけで、そこの黒狼から守ってくれたのは彼と、リュウですから」
「リュウ?」
「あ、リュウはこの子です」
リュウが私の足元でワンと鳴く。龍よりもずっと小さなリュウに、大きい方の龍は目を細めていたが、ふっと息を漏らすように笑いを溢す。青年は龍とは人間を嫌う者が多いといっていたが、いま目の前にいる龍はそれに当てはまらないようで随分と穏やかな性格らしい。
「……そうか、では改めて言わせてくれ。我が名は白龍・シルフィード。旅の途中で厄介なモノに絡まれていたのだが…君たちに助けられてどうにか死なずに済んだようだ。……人間と小さき動物よ、私を助けてくれてありがとう。――君たちには何かお礼をさせてはくれないだろうか。」
龍の口角が緩くだが吊り上がる。穏やかな物言いで出されたのはきっと喜ぶべき提案なのだろうが、あまりにも突然で願い事が思い浮かばない。
そもそも龍って何をしてくれるのだ。なんでも願い事をかなえてくれるのかな。
お礼の範囲が分からずに、ただただ困っていると、リュウが一足先に龍へと近付いて「アオン!」と元気よく吠えてみせた。
「…あぁ、ではまずはお前からにしようか」
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