シーン12
夜遅くに、サトルから電話で呼び出された。用事が終わったから撮影をしようとのことだ。その報せを受け取った時、リホと共にベッドの上にいた。
サトルは、こんなことも言っていた。
――いよいよラストシーンだぜ。
待ち合わせ場所は電車で三十分ほどかかる多摩川の河川敷だ。乗客の少ない移動中の車内で、リホはぼんやりと車窓からの風景を眺めていた。風景といっても、すべてが黒く塗り潰されていて目に留まるものは何もない。彼女は何を考えているのだろうか、そんなことを思う。ラストシーンを撮るということは、すなわち。
今更、本当に今更、不安が込み上げる。目的地が近付くにつれ、それは際限なく膨らんでいく。対照的に、リホは、次第に美しさを増していく、そう思えた。
リホの横顔を見つめていると彼女は独り言のように、愛娘は芸術の糧として獄卒に捧げられた、と言った。地獄変のことだろうか。続けて彼女はとても小さな声で、やはり独り言のように、あるいは自身に言い聞かせるように、話しだした。
――痛みでしか生きている実感を得られない人間もいるんだよね。そういう人たちは自分が幸福であるということに気付いた瞬間、死んでしまうの。誰かの苦しみの枷になれるのなら、わたしの死にも意味が生まれるのかな。逃げただけのわたしにも。
聞こえない振りをした。
やがて電車は二子新地の駅に着く。夏の昼間ならばキャンプやバーベキューの客で賑わうこの駅も、年末の深夜では閑散としていた。サトルとの待ち合わせ場所はここから数分だ。撮影機材一式と、リホの荷物を持って、歩く。
河川敷の入口にある電灯の下でサトルは背中を丸めて寒さに身体を震わせていた。彼はこちらの姿を認めると、遅えよ、と文句を零した。こんな時間に急に呼び出すのが悪いんだ、と反論をすると、彼は相好を崩した。
――悪いな。用事が長引いたんだ。
――何をしてたんだよ。
――実家に帰ってた。母さんに顔を見せておいたほうが良いと思ってな。
珍しく殊勝なことだ。そんなことを思いながら機材を渡す。カメラを受け取ったサトルはリホのことを見つめた。リホはサトルのことを見つめた。けれども言葉が交わされることはない。サトルは深呼吸をし、撮影済みの映像を確認するためだろう、イヤホンを装着してカメラを操作した。液晶モニターが光って昼間の出来事が映る。
サトルは途中を端折りながら最後まで見終えると、再びリホのほうを向いた。
――カメラを止めたんだ?
リホの喉が波を打つ。気まずい空気がはびこる。
その空気を払拭しようと、慌てて会話に割り込んだ。
――映像に収めるようなことは何もなかったよ。僕はすぐ家に帰った。
サトルはこちらに視線を寄越し、少し考える素振りを見せてから、頷いた。
――そうか。
そのことについての会話は、呆気なく、終わった。
サトルはカメラを構え、撮影をしながら段ボールの回収方法や全体の段取についてなど淡々と指示を出した。そして最後に、懐からスターリングシルバーのジッポーライターとオイルの缶を取り出して、リホに託した。
わざわざ私物を貸し出すなんて完全に自殺幇助だ。ましてやその瞬間をカメラに収めるなんて。何を考えているのか分からない。自滅の道を歩んでいるようにしか思えない。けれどもそれで良いような気がしたのでリホの手からライターと缶を奪った。
――僕に任せて。責任を負ってみたい。
準備はほぼ完了した。すると、ずっと黙っていたリホが、ねえ、と声を発した。
サトルが素早くカメラを振る。リホはレンズを睨みながら改めて口を開いた。
――ねえ、言うことはそれだけ?
サトルはカメラから視線を外した。
――リホちゃん、それは俺に言ってんの? それともピースケに言ってんの?
リホは、両方にだよ、と強く言い放った。
――わたしさ、あの、わたし、わたしに、奪い合うほどの価値って、あ、なんでもない。
サトルは横目でこちらを見た。目が合う。ただし、お互い何も言わなかった。
その無言のやり取りを認めたリホは、微笑みながら呟いた。
――優しい上っ面だね。
皮肉なのかなんなのか分からない。
――わたし、死ぬのやめた。
唐突に漂ったその言葉に対し、思わず、反射的に尋ねる。
――どうして?
リホは、柔らかな表情を浮かべた。
――わたしね、生まれ変わりたかったの。ううん、変えたかっただけかな。出自や、生き方や、考え方を、変えたかった。
――死ぬのをやめたってことは変わることができた?
――どちらかといえば、変わらないで良いんじゃないかなって感じかな。
そこで彼女を大きく息を吸った。
――だって、わたしは何をしても、わたしだから。知らないかもしれないけど、サトルくんと二人きりの時のわたしと、ピーくんと二人きりの時のわたしって、まったく違うからね? サトルくんもピーくんも同じでさ、その、あの時とは違って、いまは何もなかったように白々しく話をしてる。上っ面。表面はコロコロ変わる。じゃあ、それって偽物かなあ? ああ、この際、偽物でも良いや。確かなのは、わたしは悲しかったし、あなたに生き続けて欲しかったし、ここに、わたしはいた。
リホは、自身の胸元をギュッと掴んだ。
そんな彼女をサトルは慈しむように見つめ、やがて、カメラを下ろした。
――サトル、撮影をやめるのか?
――ああ、見えないものはカメラじゃ撮れねえよ。
サトルはそう言うけれど、すべてを飲み込むことはできなかった。なぜなら、リホの台詞は上質なホラーだったからだ。とてつもなく恐ろしかった。
――カメラを回せよ。この映画は僕の作品でもあるんだ。地獄の業火なら上っ面を燃やせるかもしれない。本質を炙り出すって言ったのはお前だろ?
サトルは、そしてリホも、何も言わない。そんな二人に手を広げて訴える。
――さあ、ラストシーンを撮ろう。




